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飲食店先輩経営者からのメッセージ

すでに飲食店経営者として活躍されている先輩経営者から後輩経営者に向けてのメッセージです。
これから共に飲食業界を引っ張っていく後輩経営者へたくさんのメッセージが寄せられています。

東京都の先輩経営者からのメッセージ

シチロカ

お客様に活力を!

廣田 顕 氏

おにぎり
2014年9月開業

店名の由来は、「お客様に本当に美味しいものを提供し、満足していただくことで 元気になって頂き、明日への活力としてもらいたい。」という想いから。活力という漢字をモチーフに「シチロカ」と決めた。

店のウリはコメを厳選し、具材調理に手間をかけた、こだわりの「おにぎり」だ。

開業前は30~40店舗のおにぎり店を研究し食べ歩いた。使用するコメの種類・コメの炊き方・具材の選び方・具材の味付け・大きさなどなど、どんな商品が受け入れられているのか、個性を出していくにはどうすればよいかと考えた。シンプルな料理だがこだわりは深い。

おにぎりを研究しながら、気になる店には直接連絡をとり、アルバイトとして働きながら修行した。「回転や効率を重視した店ではなく、地域の人がほっとくつろげるあたたかさやおいしいものにこだわってよさを感じて頂ける店づくりを当初から考えていた。」と廣田氏は言う。

羽釜で炊くコメはあきたこまちを使用し、具材も築地から仕入れたサケやすじこを店で味付け。明太子は家族の故郷、福岡から取り寄せるなど。夫婦二人三脚で商品開発しながら店を切り盛りしている。

訪れるお客様は7割が女性だ。雰囲気づくりやおにぎりの大きさも女性向けに工夫を重ねている。また近隣で働く方むけに残業の差し入れ用にと、お持ち帰りののしと袋を手作りした。上司が残業している部下に持ち帰ったら非常に喜ばれ、今度はその部下の方が来店したという。今後もオフィス街で働くサラリーマンやOLの方の元気の源となるべくこだわりの商品を提供し続けていく。

Island Burgers

手作りのハンバーガーの美味しさを伝えたい!

名坂 修 氏

ハンバーガー
2013年12月開業

開業を思い立ったのは数年前。 名坂氏がシステムエンジニアとして働いていた頃、「人に雇われるだけで終わる人生にしたくない」「お金と時間に縛られない生活を手に入れたい」そんな想いからだった。

その頃、飲食業界には「グルメバーガー」と呼ばれるジャンルは、まだまだメジャーではなく、特に東京から離れるとお店自体も少なく、「ハンバーガー = ファーストフード」という図式が出来上がっており、「手作りのハンバーガーの美味しさをまだ知らない人達に伝えたい」という思いを抱くようになった。

開業することを決めてからは、物件探しと、慣れない飲食店でのアルバイトの日々が続いた。元々、技術職を何十年と続けていたのと、性格上の問題から接客業はとても苦手で、恥をかいたり怒られたり という毎日。それでもグルメバーガーに活かせる技術を学ぼうと働き続ける中、一緒に働きたいという料理人のパートナーが現れた為、厨房を全面的に任せる事にする。

その後何とか念願の開業を果たしたが、店舗を周囲の人に認知してもらうまでとても時間がかかり、特に夜、お客様の来店が殆ど無いという日も珍しくない状態が続く。しかし、チラシ配り等の日々の努力の甲斐もあり、徐々に客足は増え、グルメバーガー本から取材を受けたり、テレビ取材を受けるようになった。

今はまだ余裕があるとは言えない状況だが、いつかこの店舗を複数店舗展開するという目標を掲げながら、今日も名坂氏自身、ホールに立ちながら苦手な接客と向き合い、お客様の声に耳を傾けている。

釜焼鳥本舗おやひなや立川店

スタッフは家族同様!お店と共に自分自身も成長したい!

俣本 哲哉 氏

居酒屋、焼とり、もつ鍋
2013年7月開業

飲食店の開業までには、様々な業種・業界で働いた。不動産のデベロッパー・トラックの運転手・派遣会社社員・クラブの黒服・訪問販売など。飲食業界では約8年間FCチェーンの店長からSVまで経験した。家庭を持ったことを機に、飲食店での独立を決意。「将来を考えたときに、会社員として働く自分をイメージできなかった、また子供たちにも何か残したい。」そう考えたからだ。

居酒屋での開業を考えた当初はフランチャイズも検討したが、より自分の裁量で経営できるライセンス事業で、商品にインパクトを感じた「釜焼鳥本舗おやひなや」に加盟。2013年7月に開業した。

「開業3ヶ月は、思ったように売り上げが伸びずに非常に苦心しました。お客様の厳しい意見も頂き、まったくお客様の来ない日もありました。」と俣本氏は振り返る。「ただそんな中で懸命に、お客様に頭を下げて頑張っているスタッフを見て、感謝して思わず涙が出ました。彼らの人生を預かる立場として失敗はできないと強く感じました。スタッフは家族同様です。そして自分自身を成長させてくれます。稼がせてあげたいし幸せな将来を送れるように面倒を見てあげたい。」と俣本氏は語る。

開業以降自分自身が朝から夜まで店舗に入り、赤字の月もありながらも徹底してお客様の声を聞き、改善することを繰り返した。地元の地域特性に合わせ、地道な努力を重ねやっと結果がついてきた。

個人で独立開業して資本力のない中で、店舗の収支でやりくりする厳しさを感じているが、すぐに改善の手を打ちながら自分の裁量で結果を出すということに経営者としてのやりがいも感じている。

今後は地元の立川を中心に、今の店舗を盛り上げながら次の店舗展開も視野に入れている。「スタッフと共に、店も自分自身も成長していきたい。」と日々挑戦を続けている。

元祖焼かつ 桃タロー

厳選した素材をこだわりの調理方法で提供!老舗の味を守り続ける

長谷川 博 氏

焼かつ
1936年開業

上野の精養軒で修業した初代が、御徒町で創業したのが昭和11年から12年頃。名物の「焼かつ」とは、明治時代ごろヨーロッパから日本に伝わってきた「カツレツ」をもとに初代が素材・味・調理法に工夫を重ね店の看板商品にしたのがはじまりだ。

戦後浅草に移転し、今は3代目が老舗の味を守り店を切り盛りしている。

「良い素材や調理方法にこだわれば、やはり原価も手間もかかります。効率的ではないかもしれないが、やはりこの味を美味しいと言ってくれるお客様の為に続けていきたい。」そう三代目店主の長谷川氏は語る。

名物の焼かつは、「あっさり・さっぱりと美味しく食べれる。」と年配のお客様にも非常に好評だ。油に落として揚げる一般的な「とんかつ」とは違い、1枚1枚常に新しい上質の油を用いフライパンで丁寧に調理する事で、油がしつこくなく衣がさっくりと仕上がり、美味しく食べて頂く事が出来るのだという。

トンカツソースも厳選し、皇室御用達とされた「プリンスソース」を使用している。そんなこだわりの「焼かつ」にほれこみ、親子3代で通っている常連客も多いという。けして目立つ場所にあるわけではない路地裏の店だが、ランチタイムは満席となる。

それでも長谷川氏は、「飲食店の経営は決して甘いものではない。」という。食材価格が上がる中で、お得だと感じて頂く値段で出すために厳しい状況も乗り越えて工夫を続けて行く必要があるからだ。また「手間を惜しんでは、美味しい物は提供できない。」と創業当初から受け継がれた調理方法にこだわり今後も店の味を守り続けていく。

王ろじ

ここでなければ食べられない!昔ながらのあたらしい味

来住野 正明 氏

カレー、とんかつ
1921年開業

創業は大正10年(1921年)、初代がフランス料理をレストランで修業したのち、神楽坂に店を出店したのがはじまりだ。豚肉に衣をつけて揚げたものを「とんかつ」と名付けたのはこの店がはじまりと言われている。

当時は様々な洋食も含めて、花柳界で仕出しを中心に商売をしていたという。戦後、新宿に移転し以来「とん丼」を名物に繁盛を続けている。

名物の「とん丼」とは、初代が開発したこだわりのサクサクジューシーなとんかつを、大きく3きれカレーソースをひいた上にのせて提供する逸品だ。

一般的なとんかつはロースとヒレと2種類使い分け使用しているが、王ろじではあくまでロースにこだわっている。「ロースの脂身を苦手と言う方が多いが、豚肉の美味しさ甘みや旨みを本当に味わって頂くためには脂の部分は必要なんです。ただ、脂っこくなく美味しく食べてもらうために肉の仕込みは、手間をかけています。」と二代目店主の来住野氏は語る。「自分が美味しいと感じる、丁寧な仕事をし続ける。自分を信じ、お客様は分かってくれると信じて毎日継続していく。」それが大事だという。

肉の仕込みは、脂身をそいでたたいて伸ばし、粘りをだしとんかつにまとめる。その仕込み時間だけで5時間から6時間を要するという。

「大手のチェーン店も多く出店している地域、その厳しい競争の中で個人店が勝ち残っていく為には、やり方を変えないという頑固さも必要なんです。たださらに味を良くするため、考え続けることは必要です。ここに行かなければ味わえないという味を出して勝負していくことが大切です。」と、二十歳で初代から店舗を引き継いだ二代目は、昔ながらのあたらしい味を追求し続けている。

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