東京都の先輩経営者からのメッセージ
ありがとうをいつも心に
耳塚 史泰 氏
バー平成26年開業
長年、銀座でバーテンダーをしてきた耳塚史泰氏。その長い間お世話になり、そして応援して頂いたお客様に更に頑張っている姿をお見せしたいと思い、独立をしたという。一人一人のお客様に全力でおもてなしをしたいので宣伝はせず、隠れ家の様な場所として営んでいる。看板メニューはなく、その時のお客様のリクエストや、雰囲気をみて最高の一杯を、お出ししている。今では知る人ぞ知る「Bar 耳塚」だが、開業当初は色々苦労したという。元々、バーテンダーという職人気質を重んじてやってきていたので、いざ独立となると経営の事が疎く大変苦労したそうだ。現在は経営の事を色々学べたそうだが、良いお店を継続させるには「美味しかった」より「楽しかった」と言っていただける事が大事だという。今後も“スタッフがスキルを身に付け、独立していく様背中を押していける様なマスターで居続けたい”との想いで精進をかさねている。これから夢を叶えていく方々に、「継続する」を目標に!そして「ありがとう」をいつも心に、と語る。
理想郷のBAR
奥秋 勝己 氏
バー平成23年開業
元々、音楽の世界にいた奥秋勝己氏。たまたまバイト募集の記事をみて入ったお店が『セントエルモスバー』このお店でBARという空間に魅了され、バーテンダーという職業の修行についたという。そして、数店舗を渡り歩き(ホテルのBAR)十数年の修行をし様々なコンペなどでも輝かし成績も収めた。その今までの経験を振り返り、『理想郷のBAR』を作りたいという思いが強くなり、独立を決意。BARという異空間をこよなく愛する人達の理想郷というコンセプトを抱え、今の『芝浦ボンド』が完成した。勿論、オープンして直ぐにこの理想郷のBARが完成した訳ではなく、自分の今までの修行で得たスキル・経験、様々なお客様との接客の末、完成した。
今は他業種での理想郷を作る事も視野に入れ、日々精進している。自分よりも若い世代の方々に“次なる『理想郷のBAR』を作るため頑張って欲しい”と力強くエールを贈る。
「できたてを食べて頂きたい!」という想いからはじめた、元祖釜めし!
豊田 隆 氏
釜めし1926年開業
創業は大正15年(1926年)。現在の三代目豊田氏の祖母が、関東大震災後混乱の中避難している人々に釜を使って炊き出しをしたのがはじまりだという。「美味しいご飯をできたてで食べて頂きたい!」そんな想いから誕生したのが、一人前の御飯を具材と共に釜で炊き提供する「釜めし」だという。当時は1人前を炊ける釜など当然なかった頃、初代が釜の大きさや底の高さなど試行錯誤を繰り返し、1人前の釜を職人に作らせ提供するようになった。
その当時どこにもなかった商品は話題を呼び、店名も「釜めし」とのみうちだして営業していたとのことだ。元祖と呼ばれる所以である。戦後浅草で新たに店を構えた当時は、復興のために「釜めし」を他の飲食店にも快く提供し、浅草周辺に広め他の飲食店と力を合わせ活気を呼び戻したという。現在でも浅草周辺では、釜めしをメニューとして出す店が多いのはそんな歴史があるからだ。
「『釜めし 春』の釜めしは、米を吟味することからはじまる。炊きあがりが水っぽくならず少し甘めの良質な国産米を毎年厳選して使用する。大正時代から変わらない醤油・日本酒・みりんで作る特製たれと具材から染み出る旨みで、味わいを出すのだという。
代々受け継がれてきた、老舗の変わらない味を求めて、親子3代にわたって通い続ける常連客も数多いとのこと。お正月は特に1年の中でも繁忙期を迎える、家族で釜めしを楽しみに毎年遠方からやってくるお客様もいるということだ。
現在は三代目豊田氏から、四代目に代替わりを進めているという、今後も家族経営で浅草本店と上野店で老舗の味を守り続けて行く。
先々代から守り続けた味を東京の人に食べてもらいたい!
米川 宏 氏
お好み焼き2013年9月開業
元々、大阪の堺市で先々代が開いた「登仁角」。先代の頃にお好み焼店に業態転換し、地元で成功を納めた。
父の店を手伝いながら高校生まで堺市で暮らした米川氏は「絶対継ぐものか」と大学から上京。その後20年ほどサラリーマン生活を送った後、父(先代)の介護のため大阪へ。次第に「この人の作り出したものを守って行きたい」と開業を決意するに至った。先代を看取った後、「この味を東京の人に食べてもらいたい」と東京で物件探しをスタートした。しかし、なかなか物件が出ないまま約1年。様々な想いが巡った頃、現在の物件と素敵な心意気の仲介業者に出会った。
開業後は、東京と大阪のお好み焼に対する文化の違いや、利益を残すための売価設定等…考え、苦労することが多かった。それでも先代の頃の「登仁角」を知るお客様が何人か訪れると、「のれんにキズは付けられん」と、より店を守る決意を固めた。
今後は多角化するつもりはなく、この店で三代目登仁角の名を広めて行くつもりだ。
最後に米川氏は語る。「"他人には絶対負けん!"と思う強力な武器がないと、飲食店の開業は厳しい。」商売人の家庭に産まれた米川氏からは、生半可な気持ちや甘い展望で飲食店の開業をすることを危ぶむ気持ちが強く表れていた。
地元の方にくつろいでもらえるような店づくり
蒲生 健 氏
居酒屋2014年1月開業
大学卒業後、大手チェーン店に入社。居酒屋業態で店長など、約10年間の経験を積んだ。当初より将来は独立開業を考え、計画を立てていた。接客から調理まで携わり、本部での管理業務も一通り経験したタイミングで、これまで培ってきた経験を活かし居酒屋業態で独立を決意した。
独立する際にまず考えたことは、信頼の置ける人材を集めること。チェーン店時代の料理長に声をかけ、2014年共に開業を実現した。「自分はラッキーです、人に恵まれ運がよい。真面目にやっている人には運も付いてくる。」と蒲生氏は言う。
オープン当初は試行錯誤しながら、地域に愛される店にするにはどうしたらよいか、日々考え続けた。地元に住んでいる舌の肥えたお客様に満足していただけるように、日本酒は40種以上を常時メニューに置き、季節ごとにおすすめを5~6種類入れ替え日本酒の美味しさを伝えはじめた。
また料理や素材にこだわり、都内の農園から直接新鮮な野菜を仕入れ、調理に使う出汁も手間をかけてとっている。家族の故郷から産地直送の食材や米を送ってもらいメニューにも取り入れている。接客はチェーン店の時にはできなかった細やかな気配りを心がけ徹底するようにした。
「オープンして半年が経ち、ようやく地域の方に喜んで頂け、くつろいで頂ける店の形になってきました。」と蒲生氏は語る。まずは足場を固め、堅実に地域に愛される繁盛店になることが当面の目標だ。