東京都の先輩経営者からのメッセージ
従業員を自分に惚れさせ、客が従業員に惚れる。
跡部 美樹雄 氏
レストラン2009年開業
現在餃子とワインの店・熟成肉の店を手掛ける跡部氏の飲食人生は、意外にも寿司屋から始まっていた。専門学校卒業後、寿司が好きで寿司店へ入店。その後割烹料理店など含めて10年ほど板前として活躍した。
板前時代には腕に自信があった跡部氏だが、包丁を離した時、PC操作・事業計画など、初めて自分の出来ないことの多さに驚いた。その後、コンサルティング会社などを経て、たまたま友人に紹介された物件で「餃子焼専門店 立吉(現在の店の前身)」を立ち上げた。
この頃、経営やビジネスに関する知識は持ち合わせていたが、なかなか思うような売上ではなかった。月々多額の返済に追われ、もうだめだと思った時、跡部氏の目は不思議とお客様ではなく従業員に向いていた。立吉の売上が伸びたのはそこからだ。開店当初平均230万程度だった売上が、最高580万円まで伸びた。
この時変わったことと言えば、恐らく従業員の意識だろう。従業員は跡部氏の言葉を受け、お客様に愛される従業員を目指した。
跡部氏の従業員教育は激しいツンデレだ。「お前はお客様に何が与えられるか?与えられるものがないなら帰れ!」こんな言葉を浴びせられた従業員は、やはり離れていく者も多かった。しかし、この言葉の裏に込めた想いは熱い。「ここで働くことが目的ではダメだ。何を求めて働くのか?」このようなことを跡部氏は問いかける。
跡部氏の言葉の裏には必ず「誰かのため」が含まれている。「肉を学びに働きに来るのではなく、家族の生活を豊かにするために働くんだ」 「お前のミスであの客が来なくなっても良い。だがお客が来なくなって売上が減ったら、仲間の給料が減るだろう!」こうした言葉で従業員は一人一人が強くなり、自立をし、結果として組織が強くなっていく。
跡部氏にとっては、餃子や熟成肉は稼ぐためのツールであり、店舗は手段。だが、やはり元々の職人気質からか餃子や熟成肉の開発は研究そのもの。今後については、店舗展開はやりたいスタッフがいれば・・・ということだが、跡部氏自身は熟成肉を世界一にするために戦略を立て、進めている。
従業員がお客様に愛される。自分はそんな従業員に格好良いと思われる、光を放つ存在で居続けなくてはならない。昔感じた板長への想いに近いかもしれない。しかし、今はそれを超えたと自信を持って言える。光り続けるために、跡部氏はいつも全力だ。
「スイッチをONにしたら、スイッチをOFFに出来ないようにぶっ壊せ。」これから開業するなら、どんなことがあっても諦めるな、必ず答えはそこにある。やるんならやれ!有言実行出来る奴だけが勝てる。この厳しい言葉の裏にも、負けて欲しくないという優しさが感じられた。
出会えてよかったねと感じて欲しい。そのために何ができるか常に自問自答。
後藤 隆 氏
ラーメン2005年開業
「やろうと決めたらやるだけ」そう後藤氏はいう。2005年に「RYOMA本店」を新井薬師前に開業する以前は、飲食店とは全く違う業界で、建築業や営業、サービス業など様々な仕事をしてきたという。開業のきっかけは、らーめんを食べる事が好きだったことや両親が中華料理店を営んでいた影響もあるとのことだが、とにかくやってみたいと考えたことがはじまりだという。
今までに飲食店での経験はなかったが、2年以内に独立すると決意しラーメン店で約1年半働き準備をして開業した。「開業して2ヶ月はオープン景気もあり好調だったが、そこから半年間は厳しい時期が続きました。」「自分一人では続けられなかったかもしれない。その当時一緒に働いていたスタッフに励まされ、とにかく『これがあったら面白いよね』と思うものを試作しメニューを増やしたりして工夫を繰り返しました。」そう後藤氏は開業当初を振り返る。
開業した時にはメニューは塩ラーメンと鉄板定食の2種類だけだったという。その後当時まだまわりになかったとりチャーシューを開発したり、トマト味の伊太利ー麺等こだわりのメニューを増やすなど地道に改善を重ねてきたという。
「飲食店のやりがいは、お客さまとのふれあいです。お客様に『ありがとう』と言ってもらうために、何が出来るか常に自問自答です。」「店側がありがとうございますというのは当たり前。味だけおいしくてもありがとうとは言われない。お客様がここにきて良かったな、出会えてよかったなと思ってもらいたい。」と後藤氏は語る。「常に考えている事は、人生の最後の時に身近な人や家族から何と言われたいか。」「昔からサーフィンが好きで良く海に行っていました。サーフィンでは一瞬の判断が命取りになる事もあります。そんな経験から考えるようになったのかもしれません。」という。
今はRYOMA本店と東京煮干屋本舗の2店舗を展開しながら、「Let`s Just Do It.」の精神で新たな分野にもチャレンジしていきたいとのことだ。
美味しい餃子と心地よい空間を気持ち良く楽しんでほしい
陳 培霞 / 香山 謙吾 氏
餃子屋2007年開業
2007年阿佐ヶ谷に開業した、「餃子房 豚八戒」は、中国ハルビン出身の陳氏と兵庫県出身の香山氏とが御夫婦で切り盛りしている4坪の餃子の専門店だ。香山氏は、10代の頃からバーや創作料理の店などをいくつも立ち上げた経験を持っている。開業のきっかけは本当にたまたま今の店が貸店舗として空いていたのを香山氏が見つけて、餃子の専門店で一人でも始められる規模の物件だったこともあり開業を決めたのだという。
ハルビン出身の陳氏の故郷では餃子が名物だという。子供の頃は家庭の味としてどの家でも餃子を作っていたのだという。「開業資金はあまりなかったので、すべて自前で内装も厨房も作りました。」 「もとは焼鳥店だったようですが、大工仕事でカウンターを作ったり、厨房の戸棚も近隣でもらってきたりして、もともとそういう事が得意でしたが、やはり開業までに時間はかかりました。」そう香山氏は振り返る。
「餃子房豚八戒」の名物は中国式の5種類の餃子だ。焼餃子・蒸し餃子・水餃子と選べどれも人気だという。日本の餃子はニンニクが入っているが、中国ではニンニクは入れないという。しっかりと味や旨みはあるが、あっさりと軽く食べれるため女性客にも非常に好評だという。まだその日仕込んだものはその日のうちに使い切り常に新鮮で美味しいものを提供するようにしているのがこだわりだ。
当初は陳氏1人で始めたが、2~3ヶ月後にはすぐに評判になり、忙しくなってきたため御主人の香山氏も手伝いに入るようになったという。現在は18時からの予約しか受け付けていないが、既に3か月先まで一杯だという。今後も夫婦でお客様のためにひとつひとつ良いものを提供していきたいとのことだ。
安くて美味しいものをがっつり食べて満足してもらう!それが使命
橘田 千也 氏
洋食2013年開業
『馬場南海』は、キッチン南海の神保町本店で修業をした橘田氏が独立経営している店舗だ。橘田氏が本店に入ったのは、昭和46年19歳の頃だったという。本店で約7年修業をしたのち26歳の時に下井草で独立開業をし約35年間営業。続けてきた下井草の店舗建物の立ち退きに会い移転をして2013年開業したのが『馬場南海』だという。
19歳で修業を始めた当時から、独立を考え本店で7年間修業をしていた時は給料のほぼ9割を貯蓄し7年間で約800万円程度の開業資金を準備し、開業店舗も1年~2年近く好条件の物件を探し独立したという。約7坪の店を下井草に開業し開業当初から、非常に好調だったという。
「当時はキッチン南海のブランド力もあり、安くて美味しい洋食をがっつり食べられると非常に好評でした。神保町本店で修業してた当時はとにかく忙しく、店舗の他にも出前が非常に多く出ていました。」「下井草で開業してから、約35年間続けてこれましたがおかげさまでずつと黒字経営が出来ていました。」そう橘田氏は語る。
馬場南海の人気メニューは定番のカレーライスやカツカレーだ。また場所柄学生や若者向けに、カツと生姜焼きなどの盛り合わせメニューもある。キッチン南海からのれん分け独立した店舗は約15店舗ほど現在はあると言うが、どの店舗も非常に永く続いている老舗となっている。70歳を超える方でも現役で働いているそうだ。永く営業を続けるうちに、それぞれ味に個性が出てくるという。
「下井草から移転して馬場南海を開業した当初は、なかなか厳しい時期もありました。」「ただ手作りで美味しいものをお腹いっぱい食べて欲しいという気持ちで、地域に合わせてメニューの見直しをしたりしました。」努力を惜しまず継続した結果、下井草から移転しても変わらず通ってくれるお客様や、徐々に地域の方のお客様も増えてきたという。 今後も変わらぬ想いで、店を続けて行きたいとのことだ。
広島お好み焼きの王道スタイル
大林 大吾 / 桜庭 寿弥 氏
お好み焼き2012年開業
2012年飯田橋に開業した、広島お好み焼きの店『もみじ屋』は、もともと飯田橋で33年続いた広島お好み焼きの老舗『れもん屋』で修業をした、大林氏が独立して開業をした店だ。大林氏が『れもん屋』に入ったのは18歳の頃のこと。埼玉で弁当店を営んでいた父親がオーナーと同級生であった縁もあり店の手伝いからはじめたのだという。以来20年以上社員として修業し経験を積んできた。
本店が区画整理のために立ち退きをする事になったタイミングで、当時一緒に働いていたスタッフと合同会社をつくり独立をしたという。
「開業時には特に資金調達に苦労もありましたが、開業後は、おかげさまでこれまでのお客様が途切れずに来て頂き、新規のお客様も順調に増えています。」そう桜庭氏は振り返る。
広島お好み焼きの王道のスタイルを引き継ぎ、人気メニューは定番の『肉玉ソバ』と『いか天ソバ』だ。広島お好み焼きに必ず使用される麺(ソバ)は製麺所に特注し細い蒸し麺を使用している。天かすやとろろ昆布・魚粉などの材料も広島から取り寄せている。ソースは広島おたふくソースだ。もやしはブラックマッぺと呼ばれるシャキシャキした食感と特有の豆の甘みが感じられるものを使い、キャベツや九条ネギなどの具材は旬のもを厳選して使用している。シャキシャキとした食感とこだわりの具材の旨み、そしてソバとソースの香ばしさが一体となり絶妙な美味しさとなるという。
昔ながらの王道スタイルで提供される、『もみじ屋』の広島お好み焼きのファンは多く、開業初日には宣伝告知もしていなかったにも関わらず、噂を聞きつけた常連客が早くから開店を待ち望んで並んでいたという。「ありがたい事に、多くのお客様に来て頂いてランチの時間帯にはなるべくお待たせしないように気を使っています。」と大林氏は語る。今後もひとつひとつに手を抜く事無く、本当に美味しいものをお客様に提供し、満足して頂きたい。とのことだ。