東京都 新宿区の先輩経営者からのメッセージ
手作りのハンバーガーの美味しさを伝えたい!
名坂 修 氏
ハンバーガー2013年12月開業
開業を思い立ったのは数年前。 名坂氏がシステムエンジニアとして働いていた頃、「人に雇われるだけで終わる人生にしたくない」「お金と時間に縛られない生活を手に入れたい」そんな想いからだった。
その頃、飲食業界には「グルメバーガー」と呼ばれるジャンルは、まだまだメジャーではなく、特に東京から離れるとお店自体も少なく、「ハンバーガー = ファーストフード」という図式が出来上がっており、「手作りのハンバーガーの美味しさをまだ知らない人達に伝えたい」という思いを抱くようになった。
開業することを決めてからは、物件探しと、慣れない飲食店でのアルバイトの日々が続いた。元々、技術職を何十年と続けていたのと、性格上の問題から接客業はとても苦手で、恥をかいたり怒られたり という毎日。それでもグルメバーガーに活かせる技術を学ぼうと働き続ける中、一緒に働きたいという料理人のパートナーが現れた為、厨房を全面的に任せる事にする。
その後何とか念願の開業を果たしたが、店舗を周囲の人に認知してもらうまでとても時間がかかり、特に夜、お客様の来店が殆ど無いという日も珍しくない状態が続く。しかし、チラシ配り等の日々の努力の甲斐もあり、徐々に客足は増え、グルメバーガー本から取材を受けたり、テレビ取材を受けるようになった。
今はまだ余裕があるとは言えない状況だが、いつかこの店舗を複数店舗展開するという目標を掲げながら、今日も名坂氏自身、ホールに立ちながら苦手な接客と向き合い、お客様の声に耳を傾けている。
ここでなければ食べられない!昔ながらのあたらしい味
来住野 正明 氏
カレー、とんかつ1921年開業
創業は大正10年(1921年)、初代がフランス料理をレストランで修業したのち、神楽坂に店を出店したのがはじまりだ。豚肉に衣をつけて揚げたものを「とんかつ」と名付けたのはこの店がはじまりと言われている。
当時は様々な洋食も含めて、花柳界で仕出しを中心に商売をしていたという。戦後、新宿に移転し以来「とん丼」を名物に繁盛を続けている。
名物の「とん丼」とは、初代が開発したこだわりのサクサクジューシーなとんかつを、大きく3きれカレーソースをひいた上にのせて提供する逸品だ。
一般的なとんかつはロースとヒレと2種類使い分け使用しているが、王ろじではあくまでロースにこだわっている。「ロースの脂身を苦手と言う方が多いが、豚肉の美味しさ甘みや旨みを本当に味わって頂くためには脂の部分は必要なんです。ただ、脂っこくなく美味しく食べてもらうために肉の仕込みは、手間をかけています。」と二代目店主の来住野氏は語る。「自分が美味しいと感じる、丁寧な仕事をし続ける。自分を信じ、お客様は分かってくれると信じて毎日継続していく。」それが大事だという。
肉の仕込みは、脂身をそいでたたいて伸ばし、粘りをだしとんかつにまとめる。その仕込み時間だけで5時間から6時間を要するという。
「大手のチェーン店も多く出店している地域、その厳しい競争の中で個人店が勝ち残っていく為には、やり方を変えないという頑固さも必要なんです。たださらに味を良くするため、考え続けることは必要です。ここに行かなければ味わえないという味を出して勝負していくことが大切です。」と、二十歳で初代から店舗を引き継いだ二代目は、昔ながらのあたらしい味を追求し続けている。
毎日新鮮な物を仕入れその日のうちに使い切る
高橋 和男 氏
洋食2011年9月開業
高橋氏が飲食に関わりを持ったのは、高校生の頃飲食店のアルバイトしたのが、 はじまりだった。高校卒業後、単身東京に出て住み込みで飲食店の仕事を本格的に始めた。それ以来、純喫茶・ベーカリーレストラン・居酒屋・炉端焼き・バー・パスタ店など様々な業態で経験を積んできたという。
四ツ谷の老舗洋食店で経験を積んだ後、2011年に独立し、『キッチンたか』を開業した。開業場所は当初からビジネス街での出店を考え、店舗の規模や賃料条件も見合った現在の場所に決めたという、ただ現在の店舗を見つけるまでには、50~60の物件情報をみたという。
「まずは自分自身で一人で店を管理できる範囲で、無理せずに運営できる店舗規模と賃料条件で開業できる場所を決めました。メニューも絞り開業当初は、ハンバーグやポークソテーなど7品から始めました。」と高橋氏は振り返る。お客様の流れや運営面も見ながら1年くらいかけて毎月2品~3品増やしていき現在のメニューと品数になったという。
一番の人気メニューは、肉汁がたっぷりつまった『ハンバーグ』だ。これまで培ってきた経験と技術で丁寧に焼いたハンバーグを、オーブンで仕上げる事により肉汁と旨みを逃さず提供出来るのだという。肉汁たっぷりのハンバーグは口コミで評判となり、遠方から来店されるお客様も多いという。
「まだ飲食店で働き始めたころ、はじめて自分の作った料理をお客さんが『美味しかったです。』と言ってくれた時のうれしさは今も覚えています。」「芸能界と飲食業は笑顔で働く所と昔上司に言われた事があります。自分自身も飲食が好きです。毎日新鮮なものを使用し、その日のうちに売り切る。そしてお客様に美味しかったと言われることはやはりうれしいですね。」そう高橋氏は語る。
「将来的には建物も老朽化が進んでいるので移転も考えているが、今の規模やメニューは変えずにやっていければと思っている。」今後も夫婦2人で店を切り盛りしていく。
安くて美味しいものをがっつり食べて満足してもらう!それが使命
橘田 千也 氏
洋食2013年開業
『馬場南海』は、キッチン南海の神保町本店で修業をした橘田氏が独立経営している店舗だ。橘田氏が本店に入ったのは、昭和46年19歳の頃だったという。本店で約7年修業をしたのち26歳の時に下井草で独立開業をし約35年間営業。続けてきた下井草の店舗建物の立ち退きに会い移転をして2013年開業したのが『馬場南海』だという。
19歳で修業を始めた当時から、独立を考え本店で7年間修業をしていた時は給料のほぼ9割を貯蓄し7年間で約800万円程度の開業資金を準備し、開業店舗も1年~2年近く好条件の物件を探し独立したという。約7坪の店を下井草に開業し開業当初から、非常に好調だったという。
「当時はキッチン南海のブランド力もあり、安くて美味しい洋食をがっつり食べられると非常に好評でした。神保町本店で修業してた当時はとにかく忙しく、店舗の他にも出前が非常に多く出ていました。」「下井草で開業してから、約35年間続けてこれましたがおかげさまでずつと黒字経営が出来ていました。」そう橘田氏は語る。
馬場南海の人気メニューは定番のカレーライスやカツカレーだ。また場所柄学生や若者向けに、カツと生姜焼きなどの盛り合わせメニューもある。キッチン南海からのれん分け独立した店舗は約15店舗ほど現在はあると言うが、どの店舗も非常に永く続いている老舗となっている。70歳を超える方でも現役で働いているそうだ。永く営業を続けるうちに、それぞれ味に個性が出てくるという。
「下井草から移転して馬場南海を開業した当初は、なかなか厳しい時期もありました。」「ただ手作りで美味しいものをお腹いっぱい食べて欲しいという気持ちで、地域に合わせてメニューの見直しをしたりしました。」努力を惜しまず継続した結果、下井草から移転しても変わらず通ってくれるお客様や、徐々に地域の方のお客様も増えてきたという。 今後も変わらぬ想いで、店を続けて行きたいとのことだ。