大阪の先輩経営者からのメッセージ
笑顔とおでんであなたを癒す♡
土井樹利 氏
バー平成27年11月
二十歳のころからイタリア料理の調理人として働き始めた。自分のお店を持ちたいと色々考えた結果“Bar”を開こうと決意するも、イタリア料理は未だ修業中だったので何か個性・差別化できるモノを模索していた。そこで発想したのが「おでん」だった。実は祖母が大衆演劇の劇場で28年もの間おでんを販売していた歴史に着目し“長きにわたり引き継がれつぎ足してきたおでんのつゆ”の伝統を守りながら主力商品にした「おでんばー KING」が誕生した。お店のコンセプトは、持ち前の明るい接客と笑顔、伝統のおでんとお酒で、日頃から何かと疲れているお客様を癒して差し上げられるお店とした。開店当初は何をするにでも全て一人で行ってきたので、悩みは尽きず、SNSなども開業するまで経験していなかったため告知(販売促進)の難しさを痛感しましたとのこと。お店を継続してこられた秘訣は“営業中はどんなことがあっても自分自身が楽しむこと”と語る。経営者として一番大事にしているのはお客様で「何かあった時は戻ってこられる場所であり、一番落ち着ける場所であり続けること」だそうだ。尊敬する兄が板前をしており、いつか兄妹2人の“寿司とおでんをテーマにしたお店”をつくることを視野に入れ、今日も自慢のおでんと笑顔で多くのお客様を癒し続ける。
一番大事にしているのは「人」=信頼できる仲間
箕輪 明 氏
イタリアン2013年開業
元々、料理人である父親の影響を受け幼少の時から、飲食店で独立することを夢見て、独立時期を明確に決め、そこから逆算し行動目標を立て実行に移していった。進学校を卒業後、周囲の反対を押し切る形で調理師専門学校へ進んだ。そこで信頼できる近い将来人生を共に生きる仲間と出会い、計画がより鮮明になっていったそうだ。それぞれに、ある人は料理、ある人はサービスという形で仲間と担当を分担し、自分は務めに出ながら資金を貯め起業する準備を着々と行っていった。自身が23歳の時に「ラ プロメッサ」で開業し一つの目標を果たす。ただし経営者としては駆け出しだったため、分からないことばかりで、お店のコンセプトなどの具体的な経営戦略はなく、色々な模索と消去法的に導き出したと結果と当時を振り返る。開店当初は想像していたものとは全く違い、思ったような収益を上げられず3ヶ月ほどは苦しい展開となったが開業前に準備していた運転資金と仲間たちとの必死の努力、周りの方々のアドバイスなどで乗り越え、6ヶ月目に初めて黒字化に成功する。2年目、3年目と着実に固定客・常連客が増え軌道にのり現在は2店舗を運営するに至る。経営者として経営・運営に関わることは全て大事に考えているが中でも一番大事にしているのは「人」=信頼できる仲間と語る。今後は他業態、他業種での展開も視野に入れ活動していくそうだ。これから始められる人には「やらずに後悔するより、やって後悔するほうが良いのではないでしょうか。ただ現場での経験は重視して欲しい。」とエールを贈る。
コーヒー文化と正しい情報・知識を発信し広めていきたい
安部利昭 氏
カフェ平成3年開業
元々、百貨店の営業職を約35年間勤めあげた。その後、開業を目指した時期、日本には正しいコーヒーの情報と知識が少なく、コーヒーはインスタントが主流で、生鮮食品として扱われていなかったのだそうだ。世界で愛されているコーヒー文化と正しい情報・正しい知識を発信し広めていきたいとの志を持ち修業に入った。調理師専門学校で1年、さらに、そこで教わっていた講師の田口氏を師事して約2年間の修業後コーヒーの焙煎・製造・販売会社を起こした。次いで、多くの方にコーヒーを知っていただくために行っていた有料試飲を進化させたカフェを開店した。開店当初はコーヒー本来の楽しみ方を周知するまでに長い時間がかかったそうだ。15年継続してこられた秘訣は?の問いに「リピーターをいかにして獲得するか、を常に考え続けてきた。」と語り、お客様の満足度を追求してきた姿勢が見える。経営者として一番大事にしていることは「人」で、人材育成に力を注ぎ、“コーヒーマイスター”などの資格取得を必須課題として、その知識研鑽のうえで、“バーンホーフに行ったらこんな事を教わった!”など来店してくださったお客様に何かを持ち帰ってもらえるような接客ができ、お客様に役立つことのできる人材に育てることを目指している。今後は益々、世界中から話題性があり希少性の高い珍しい豆を探し続け、自社製のスィーツによりマッチした味わいのコーヒーを提案することに力を注いでいくそうだ。これから始められる人に対して「品質管理の徹底が何よりも大事なこと。」とエール贈る。
お客様の笑顔づくりの達人を目指しています
柳谷 英治 氏
和食2015年10月
元々料理を作るのが好きで、18歳の時に、日本料理の世界に入り、大阪や京都のお店で修業し、35歳で独立。
最初は、大阪本町で10年間、和食の店を経営された後、北新地に移転。業態・店名も改め、現在3年目になるのだという。
お客様にお料理とお酒を存分に楽しんでいただく事に徹底的にこだわった結果、「おまかせ料理」「日本酒専門」「完全個室完備」「1日4組限定」「完全予約制」という、ユニークなスタイルに。ロスをなくしグレードの高いワンランク上の食材、献立を提供させていただくのがモットーだそうだ。ターゲットは、接待や記念日のお客様。
前のお店を始めた頃は、ちゃんとした料理を出していれば、お客さんは来てくれると思い、開店の時もほとんど告知をせずにオープン。その結果中々認知してもらえず、いろいろご苦労もあったのだそうだ。腹をくくって、自分の店の魅力や考え方を、料理や、サービスや、様々なツールを通して伝え続けた結果、じわじわとファンが増えて、安定してきたとの事。
今のお店は、その時の反省を踏まえ、開店からしばらくは、期間限定で、あえてランチ営業を実施。目玉として提供した「黒毛和牛のすき焼き御膳」が爆発的にヒットし、テレビや雑誌の取材も受け、短期間でお店の存在をアピールできたのだという。
おまかせ料理の店なので、看板メニューというものはありませんが、旬の食材と厳選した約40種類の日本酒との、その時期その時期の、感動のマリアージュが”売り”との事。
ここまで継続してこれた秘訣は、常に期待に応え続ける姿勢をみせることで、お客様に「信頼」していただけたから、とご主人は言う。
美味しいものを美味しく食べることで人は”笑顔”になる。お客様をみんな笑顔にすることが、ひいては世の中に貢献するのでは、とご主人は考えている。
ゆくゆくは、現在のお店をもっと成功させて新しい店を出したいとの事。
これから始められる方には、
好きなことで商売ができるのはとても幸せな事。飲食の世界が本当に好きなら、きっと成功する方法はあると思うので、希望を持って頑張ってください。
とのエールをいただいた。
日常のちょっとした贅沢を感じ『ホッ』と一息つける店づくり!
政友 晴人 氏
居酒屋2001年7月開業
政友氏が飲食店の開業を志したきっかけは、大学卒業後知り合いが東京で飲食店を開業する際に手伝いに入ってからだったという。その後居酒屋・高級炉端焼き屋などで経験を積む中で「いつかは自分の店を」という気持ちが強くなっていったという。
東京で料理修業をしていた時代、当時の上司に連れて行かれた店で「やきとん」と「焼酎の」美味しさにはまり、「大坂でも美味しい豚と焼酎が楽しめるお店を出したい」と考えたという。当時関西ではほとんどなかった「豚料理専門店」をコンセプトとして、政友氏は2001年に本格焼酎とぶた肉料理の店「日日是耕日」を開業した。
店の看板メニューは「とんタンの味噌焼き」だ。こだわりは牛肉文化の関西では珍しい豚タンを手間をかけて下処理し、自家製の味噌床に漬けこんで焼くオリジナルメニューだ。
「他には食べられない美味しいものを、という想いで開発しました。豚タンを扱うのは、初めてでメニュー開発するまでは試行錯誤の繰り返しでした。」そう政友氏は語る。黒豚の産地でもある鹿児島に食べに行ったり、牛たん専門店や焼きとんの店など食べて研究を重ね、各地からブランド豚を取り寄せて試食・試作を重ねたという。開業後は食材へこだわり、美味しいものを提供する事はもちろん、お客様にくつろいで頂ける店づくりを日々重ねている。
「お客様にはお仕事帰りに「ホッ=3」と一息ついてもらいたい。お酒の好みやお食事の好みを覚えおすすめしたり、居心地良く過ごして頂くため店内の環境にも気をつけています。」「料理に喜んで頂くことはもちろん、雰囲気も含めて何か一つでもご満足頂ければ非常に嬉しいですね。」そう政友氏はいう。
今は豚の熟成肉などの、新たなメニュー開発にも取り組んでいるという。今後も「ホッ」とくつろいで頂ける、ちょっと贅沢な時間を過ごせる店づくりを続けて行きたいとのことだ。