東京都 目黒区の先輩経営者からのメッセージ
お客様がお客様を連れて来てくれる、お客様がつくる店。美味しかったといわれるのは一番のやりがい!
木野 利裕 / 千葉 貴允 氏
からあげ2009年5月開業
丸健水産の創業は1957年、初代がおでんだね屋として店を出したのがはじまりだ。当初はおでんだねを店先で売るだけで、今のような立ち飲みスペースはなかったが、買い物ついでに小腹がすいたお客様のためにとおでんをはじめたところからカウンターができ、お客様の要望にこたえてお酒も提供するようになったのだという。
「実は初代の頃は、お酒は扱わないという方針でした。お客様の強い要望もあって私の代からお酒の提供をはじめましたが、地域がら昼間から飲まれるお客様も多く、他店で飲んでこられた方は、お酒は1本までとさせて頂いています。」「やはり女性のお客様も多くいらっしゃるので、気持ち良く楽しんでほしいですからね。」そう二代目店主堀井氏はいう。「良いお客様は良いお客様を連れて来てくれます。そんな来て頂いたお客様に美味しいと言って頂くのが一番のやりがいです。」お客様に気分良く楽しんでほしい、そのための環境を整えるのにも人一倍気を配っているとのことだ。
おでんだねは常時約40種類を準備し、最高に一番美味しい状態でお客様に食べて頂けるようにおでん鍋の管理を怠らない。「うちのおでんだねは添加物や保存料は一切使用していません。そのため味に期限もあるので他に卸す事もしていません。」「ねりものやさつま揚げなどおでんだねは、全て自社工場で製造加工しています。」「他店のやり方もありますが、うちの店では一番美味しい状態で提供できるように、タネを煮込みすぎないように気を使っています。頃合いを見て、たねの種類ごとに入れ替えをしています。忙しい時には1日3回から4回入れ替えています。手間はかかるがお客様のために手は抜きません。」そう堀井氏はこだわりを語る。
「今後もお客様のために、身体の動く限り店に立ち続けたいですね。動かなくなったら店先にでも座っています。」と笑いながらいう。こだわりのおでんと店主の人柄に魅了されたファンは多く、地元の常連客や評判を聞いてきたというお客様で、常に客足は途絶えない。
うなぎ料理は、日本の伝統の食文化!大切に伝えて行きたい!
中山 剛一 氏
うなぎ2012年開業
実家は横須賀で100年以上続く、老舗の懐石料理とうなぎの店「大黒屋」だという中山氏。外食チェーンで店舗の運営や商品開発に携わり、その後実家の老舗店舗で約2年間修業を積み「めぐろ大黒屋」を開業したのは32歳の時だったという。
「もともと実家が老舗の懐石料理とうなぎのみせだったので、そのノウハウや技術をもってこれるということや、仕入れや食材などもうまく本店と活用する事ができるメリットもありこの業態で独立しました。」「またうなぎは昔よりはるかに希少資源となり、今ではなくなりそうな食文化となっています。日本伝統の食文化の一つとして伝えて行きたいという思いもありました。」そう中山氏は語る。
創業明治38年だという老舗の本店から受け継がれているたれを使用、うなぎの仕入れや仕込み調理も本店仕込みの本格的なうな重を提供している。また女性や中高年層には嬉しい、ボリュームを控えた半身丼も好評だ。今では周辺のサラリーマンやOL、地元在住のの中高年層など常連客も多くいる。
「この場所はもともとは実家の駐車場でした。土地勘がある地元で出店をしたいと考えたのと、なるべく低投資で資金をかけず出店を考えこの場所に決めました。」開業に際しては、これまでの大手の外食チェーンでの新規出店の経験や、商品開発での全て数値に起こすというレシピの作り方や仕事の効率化などを上手く本店や自店にも取り入れる事が出来たという。「自分の意思で仕事が出来る。店を経営するようになってからはそれがやりがいの一つです。そして自分や家族との時間も作る事が出来るようになった事も良かったと思っています。」
「これから開業する方には一般的かもしれませんが、人・物(商品の仕入れや確保)・金・情報(広告宣伝)を良く考える事が大切だと思います。」そう中山氏は語る。今後も日本伝統の食文化うなぎの美味しさを伝え続けて行きたいとのことだ。
毎日を楽しみ、そして楽しませる、食が生み出す笑顔と喜びをいつまでも絶やさない!
水上 誠二 氏
ハンバーガー2005年開業
2005年駒沢に開業した、AS CLASSICS DINER(エーエスクラッシクスダイナー)は、水上氏が、ハンバーガーのパティからマヨネーズ・ケチャップ・マスタード等に至るまですべて自家製にこだわり、ジャンクというイメージを覆したアメリカンダイナーだ。水上氏は、以前大手のIT関連企業でデザイン等の仕事をしていたという。20代後半の頃Barを2年ほど経営したこともあり、飲食業の魅力を感じていたとのことだ。
現在の店舗で独立開業する以前は、飲食店に約6年ほど勤務し開業までの準備をした。「コンセプトは、以前アメリカにいた時に好きで良く通っていたダイナーをイメージして作りました。店舗名も実はその店が由来です。その店名プラス自分がAという頭文字の付く単語(アーティストなど)が好きであったのと、高品質を示すAランクという複数の意味を持つAという事でAS(エーエス)CLASSICS DINERとつけました。」「出店場所は、あえてアクセスの悪い場所で自分自身を鍛えながら、地域の方に長く通って頂ける愛される店作りをしようとこの場所で開業しました。」そう水上氏は当時を振り返る。
「ハンバーガーの味は肉もそうですが、ケチャップやマスタードも味の大きな決め手です。例えば肉にいくらこだわりがあっても、既製品のケチャップなどを使えばやはりその味になってしまう。こだわるなら全て自家製にして、ここでしか味わえない味を作ろうと思いました。」開業当時は1日数名の日もあったと言うが、こだわりの味や雰囲気に、今では多くの地域のお客様に来て頂けるようになったという。現在は駒沢本店のほかに六本木ヒルズ店も出店している。
「ただ直営店舗の展開は、今後考えてはいません。うちのスタッフはほぼ全員独立希望者です。今後は安心して働ける会社としての体制を整えながら、今のスタッフの独立を応援していきたいと考えています。」これからもオーナーチーフとして現場に立ちながら、地域の方に愛される店作りを続けて行きたいとのことだ。
手作りの安心で健康的なおいしさを家族(お客様)に感じてもらいたい!
上村 信一郎 氏
洋食1999年開業
1999年上村氏は35歳の時、武蔵小山に「がぶ」を開業した。家は母親が美容院を経営し父親はカイロプラクティックを経営しており、
小さい頃は自分で食事をよく作って食べていたという。飲食の道に進んだのは、17歳のころ喫茶店のウェイターからはじめ、以降いくつかの飲食店で働きながら独立開業に向けて準備をしてきたという。
今の場所で開業を決めた理由は、店舗が小規模で賃料条件も手ごろであり、地元も近く土地勘があったため、夫婦2人で運営するには良いのではと考えたからだという。
がぶの名物『がぶ丼』は、オーストラリア産の牛もも肉ステーキを塩と秘伝のしょうゆだれで味付け、どんぶりご飯の上にスライスしたステーキ肉がはみ出すくらいに盛られた丼である。当初はサービスメニューとして考えていたが、常連のお客様からの要望が非常に多く、また味や見た目のインパクトから口コミで評判となったこともあり、名物メニューとなったのだという。
「赤身肉なので、脂がしつこすぎずに食べられ、塩胡椒と化学調味料を使わず自家製の醤油だれで美味しく食べて頂けるように考えています。」「人の手でつくった安心で健康的な商品をお客様にも食べて頂きたい。」と上村氏はこだわりを語る。
名物の『がぶ丼』がメディアにも取り上げられるようになり、評判となって今では他のメニューも数種類あるが,8割~9割のお客様は『がぶ丼』を注文されるという。
「ただ調理したものを提供するだけではなく、+αの想いを伝えられたら良いと思っています。」「自分が食べたい物を自分の子供たちや家族(お客様)に食べてもらいたい。」「普段食べている家庭料理よりちょっと上質な日常食を楽しんでもらいたい。そう思っています。」
1度しかないその時の食事を、楽しみに来てくれるお客様のために、毎回が真剣勝負だという。今後も原点の想いを忘れずに、食事ともに心もいっぱいになる店をつくって行きたいとのことだ。
美味しく健康に食べ続けられる味を目指します!
數家 豊 氏
ラーメン1989年開業
數家氏が開業を志したのは、28歳の時だった。家庭の事情で、家族全員を養う必要に迫られ飲食店舗での独立を考えたのだという。「当時すでに28歳だったため、その年からでもスタート出来る商売と考えた時、飲食店をするなら単品商売が出来る業態を考えました。その頃、友人に美味しい店があると紹介されたのが『たんたん亭』でした。」そう數家氏はいう。ちょうど人材の募集をしていた事もあり、浜田山のらーめん店『たんたん亭』に独立を前提で修業に入り、その後約6年修業を重ねた後、1989年「かづ屋」として独立開業を果たしたという。
かづ屋の看板メニューは、自家製麺と自家製ワンタンを使用した「ワンタン麺」だ。「たんたん亭のコンセプトを継承していますが、よりそのコンセプトを追求し今の味にするためには、試行錯誤し工夫を重ねました。」その他、瀬戸内海しまなみ海道でとれる小いわしの煮干しや函館産の真昆布を使用し鶏ガラ・豚ガラ・チャーシューに使用する豚肉類は全て冷凍は使わずフレッシュな状態で仕入れ使用しているという。良質の素材を厳選し、添加物を入れずに鮮度の高い美味しい状態で出す事がこだわりだ。「鮮度と一番美味しく食べられるタイミングを、お客様の入り具合や天候・気候に合わせて出す事がポイントです。」「ただやはり長年の勘だとか職人的な技術が必要にはなってきます。それが他には真似できない他の店との差別化にもなっています。」そう數家氏はこだわりを語る。
開業した当初は、厳しい時期もあったというが、こだわりの味に魅かれるお客様が徐々に増え、インターネットでも口コミも広まり、今では開業の時から世代を越えて通って来てくれる常連客も多いのだという。今後は若手の独立開業の支援をしながら、新たな分野へのチャレンジも考えているとのことだ。