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飲食店先輩経営者からのメッセージ

すでに飲食店経営者として活躍されている先輩経営者から後輩経営者に向けてのメッセージです。
これから共に飲食業界を引っ張っていく後輩経営者へたくさんのメッセージが寄せられています。

北海道の先輩経営者からのメッセージ

小料理 なごみ。

良き先輩たちに恵まれた感謝の気持ち

中山 祐樹 氏

小料理
平成16年9月

祖父母が営んでいたラーメン屋。夏休みなどで遊びに行くと、その仕事ぶりを見ていたからか「料理」を身近に感じ、いつの間にか料理人の世界へ、と思っていた。学生時代の先輩が働く和食店で働き始めたのも、漠然とだが学生時代から調理人という話をしていたことがきっかけだったそうだ。
次に働いた店でも、先輩たちに恵まれたと語る。独立を考え始めたのも、この頃だ。カウンターでの仕事は、お客様に顔を覚えてもらえるところ、そして色々なお客様と知り合える場所、そんなことも教わった。そして、その店で働いた後、独立し店を出したという方と出会う。自分で店を切り盛りしていること、仕事が出来るひと、そんな憧れを抱いていた。数年後にその店で働いたのは、そんな縁からかもしれない。そこで改めて「料理」を教わったという。

その店に来ていたお客様から「飲食店を立ち上げたいから手伝ってほしい」と話が舞い込む。飲食店をゼロから立ち上げられたのも「いつか自分の店を持ちたい」と飲食店のノウハウを教わっていたからこそ出来たこと、と話す。
そして、いよいよ自分の店を持とうと思った頃、店を移転するという先輩から現在の店の物件話がきた。何かをやりたい、という色々なタイミングが合う時にやるのがベスト、だらだらとしていると気がそがれてしまう。丁度良いタイミングだと思ったそうだ。
内装から壁、床、厨房と改装したようだが「やりたい」希望を全部入れたら見積金額が予算を大幅に超える金額に。ただ、それも「やりたい」希望の金額を知ることが出来て良かったようだ。
料理へのこだわりは全て手作り、ということに表れる。お通しやしめ鯖、おでんのがんも や夜に麺や汁物のリクエストをされることも多くスープ風のカレーも用意。それも手作りだそうだ。

飲食店も機械化が進み、冷食なども出回り、スイッチひとつで何でも出来る時代。個人の良いお店が少なくなっていく。気持ちよく、美味しいものを食べてほしい、手作りの味を食べてほしい。他の店に行くこともあると思うが、久しぶりに気が向いて自分の店に来てくれた時「いつもの“小料理 なごみ。”だな」と安心して寛いでもらえれば嬉しいと語る。

ナチュラル ワイン テーブル Organic +

料理もサービスも普通のことを、きっちりとすること

斉藤 祐介 氏

オーガニックレストラン
平成22年12月

小さな頃からヨーロッパが好きで、テレビで観たイタリアン料理などのキレイさに魅了され、知らない食材など色々と勉強をした。家で料理したことはなかったようだが東京の辻調理師専門学校へ進み、料理の世界で知らないことを知ることが楽しかったという。
卒業後はフレンチ店そして地中海料理店、その後、魚をメインとしたワンランク上の居酒屋で腕に磨きをかける。20代前半の頃、漠然とだが自分の店を持ちたいと思っていたようだ。

結婚を機に札幌へ。未来のお子様のことや将来のことを考え、自分の故郷・静岡市とどちらか迷ったようだが人口も多い札幌に決めた。
来札2か月で希望をクリアする良い物件に巡り合い、3か月後には「ナチュラル ワイン テーブル Organic +(オーガニックプラス)」をオープンさせる。
オーガニックにこだわったのは、東京にいた頃オーガニックのワインを飲んだ翌日は頭が痛くならないことに興味を覚え、勉強をしていたこと。また奥様の体が弱く食事改善をすることで体質改善できること、オーガニックは知れば知るほど奥が深い。ワインはもちろんジュースやパスタ、醤油、味噌、酢などオーガニック製品を使っている。ヴィーガンやマクロビオティック対応のお料理とスイーツも用意している。そのため他よりも材料費がかさみ、無駄だと思うことや節約できる経費を出来る限り抑えている。

当時は珍しかったオーガニックということで雑誌関係に取り上げて頂いた、そしてオーガニックに関心が高いお客様も多かったようだ。今はリピーターのお客様はもちろん、観光客も増えており、海外のベジタリアンのかたや本州からの野菜好きなかたが多いという。
オープン当初は、経営ということを分からず山あり谷ありで「続ける」ことの難しさを知った。この店を長く続けることが今の目標。将来は少し改装してパンやお菓子などの販売や軽食を楽しんでいただくことも見据えている。

斉藤商店

日本人として、北海道を、四季の味を、本当に美味しいものを食べてほしい

齋藤 匡恒 氏

ラーメン・小料理バル
平成28年1月

工学部の大学を出た後、料理を覚えるため和食店へ入る。目的は、ペンション経営のためだった。学生時代、一人暮らしで賄い料理が食べられることもあり飲食店の調理場でアルバイトしていたので、戸惑うことはなかったようだ。働き始めてまもなくペンションの時代ではない、と飲食店経営に心は動いていた。

日本人だから和食、まずは魚のことを知るため魚を中心とした和食店へ入る。次に和食全般を教わるため割烹料理店、そして炭を起こし焼くことを学びたいと炭火焼鳥店へと移る。縁があり地元、北海道・支笏湖の旅館へ、その関連の阿寒湖の旅館へと移る。
その後は、病院や老人ホームの料理を作る会社へ入り料理長になるが、今までとは作る料理が違う。カロリー管理や食べ合わせなど、色々な知識が必要だったと語る。

目標は、お店のオープン。働きながらメニューの構想は、ずっと練っていた。そして、いよいよ店舗探し。路面店ではないが決め手は、2階だが窓があること、特別感があり、そして目立つ。しかし2階にあるからこそのマイナス点もあり、高級そうに見られて入りづらいというお客様も多いようだ。
屋号の「斉藤商店」は、自分の名前に「商店」をつけたもの。個人店だということをアピールするため、イメージに残り、そして記憶に留まると思ったからだという。
安くて美味しいものが“すすきの”じゃなく、この“北24条”という立地でも食べられる、というのがお店の基本。

昼はラーメン、夜は小料理バル。ラーメンの叉焼なども全て手作りにこだわっている。病院で培われた想い、それは「食育」。こどももそうだが、大人になってからでも遅くはないはず。自分が作る料理で少しでも「本当に美味しい」と思える味に出会ってほしいと作っているそうだ。
将来は、食育に大きく関わりたい、子供食堂もやっていきたい、身障者が働けるテイクアウト店を作りたい、そんな夢を胸に抱き心を込めながら料理を作っている。

串焼き か楽

今は、継続することが大事

片岡 正己 氏

串焼き
平成27年3月

学校を卒業し自衛隊へ。当時、食事は隊員が作っており、厨房に立つうちに興味が湧いた。調理師免許を取得するため希望して食事を作る担当回数を増やしてもらい、免許を取得。6年の自衛隊生活にピリオドを打ち、いよいよ調理人としての人生が始まる。

最初に飛び込んだのは、寿司屋。色々な経験を積みたいと居酒屋へ、そしてビール園も経験した。そこでは札幌の夏の風物詩でもある大通公園ビアガーデンに行く機会もあり、会場の設営やメニュー開発、レシピ作りなども経験。その頃には既に自分の店を持ちたいと考え始めていたという。
自分の思うように出来る、自由になる、という思いで、今考えると「責任」ということは意識していなかったと語る。

そして、やき鳥・おでん 根・北24条店で4年半、店長として発注からお酒の勉強など営業に関わる全て行った。ここで初めて、自分の店を持つイメージが現実的に出来たと話す。
そのイメージが出来たこと、そして店長だったこと。そのため売上はもちろん、原価率や人件費、家賃などを見ることが出来て勉強になったという。
10年あれば資金も含めて準備が出来ると計画してから約10年、本当に自分のお店を持つことが出来た。お店を辞めて資金繰りをしようと動き始めた時、知らない間に奥様が少しずつお金を貯めてくれていたことを知る。それでも若干の融資を受けるため事業計画書を作成。大変だったが、自分で作ったおかげで開店してから物事がスムーズに運んだという。

串焼にしたのは、根の時代、名前に冠している焼鳥の売上が思わしくなく、勉強をして対策を行った、すると嬉しいことに売上が伸びた、という成功体験から。オープンした「串焼き か楽」では農家を営んでいる実家からの野菜を使ったメニューも多く、江別をPRしていきたいと語る。

味処升田

失敗しても全て自分の責任

升田 幸信 氏

小料理
平成11年3月

旅館を営んでいた家に生まれ育ち、自然と調理の道へ。調理師専門学校を卒業後、日本料理店で約3年、違う仕事を覚えたいこともあったが和食の世界で直接入ることの出来ない有名な親方がいる全日空ホテルの「車屋」に。調理師専門学校の先生が紹介してくれてのことだったという。
30歳を超えた頃には自分の店を持つ、と決めた。自分にはお客様はいない、だから分かりやすく人通りがあるところ、そして自分一人で出来る小さなカウンターの店というのが探す条件。見つかったのは1年以上経ってからだった。一人にこだわったのは「「はい、すみません」しか言えなかったが自分の腕を試したい、そして、まずは一人で気兼ねなくやってみたかったから。

店造りでこだわったのは入口だ。「味処 升田」という名前を付けることで自分を知っている人には分かりやすくしたが、知らない人からすると名前のついた店は入りづらい、そこでドアに外から少し見えるガラスをはめ込み、ちらっと中が見えるようにした。
オープンするのに一番大変だったのは、葉書の宛名書き。6軒の店で修業した際のお客様の顔と名前が一致している人だけに送ったが、それでも約300枚。オープン10日間でほとんどのお客様が来てくれて、今も常連客になっている。今では季節の節目に約600枚出しているそうだ。

一番大切なお品書き。一人だからメニュー構成が大変だ。料理を造る、出す、お酒を出す、食器を洗う、そしてテーブルを片づける、など、やることは一杯だ。当初は直ぐに出せる料理を中心にしていた。
開店時間は18時から朝の3時まで、帰るのは朝の6時や7時だったそうだ。早い時間は常連のお客様、そして12時を過ぎると同業の方たちの来店。早い時間のお客様が少ないときでも同業の方の来店があって助かったという。その後、体力的に辛いこともあり、閉店時間を2時に、そして1時に、オープンしてから10年を過ぎるころには現在の12時閉店に早めた。
ほとんど常連のお客様に支えられ、ここまできた。これからもお客様を大事に、そして昔は苦手だった会話を楽しみながら続けていく。

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