北海道の先輩経営者からのメッセージ
「北海道の食文化を世界に伝える。」
市川 暁久 氏
居酒屋、海鮮2007年開業
「それしか出来なかったから」と飲食店開業のきっかけを、さらりと語る。21歳の時、高校時代にアルバイトをしていた故郷の居酒屋で、働き始め、1年後には、アルバイトから店長に抜擢された。店長を務めた3年間で、店の売上を2倍にまで伸ばした経験を持つ。札幌に移り、3年程修業を積み、2007年28歳の時に、札幌駅北口で開業した。札幌駅界隈には、全国チェーン店が多く、“本物の海鮮を食べられるお店が、あまり無い“と気づき、クオリティーの高い海鮮を、客単価4千円~5千円で食べられるお店作りを目指した。ご縁があり、札幌の超有名寿司店への納入業者から、間違いのない材料を仕入れる事が出来た。開業から3年程が経過した頃、売上に僅かながら陰りを感じた時に、今のお店のコンセプトを、徹底的に深化させる事を決め、根室のセリ人との出逢いから、産直仕入れと、本州からのニーズに応える形で、流通事業(にほんいち水産)をスタートさせた。仕入れを追及する事で、驚異的なFLコスト44%!を実現し、現在は、北海道内の8漁港と、札幌市場から直接仕入を行い、通常の仲買よりも安く仕入れる仕組みを構築し、更に、食器、調味料に至るまで、自社内で調達する。社名の「にほんいち」は、一番ではなく、「日本人としてひとつになれる!」という思いだ。今後は、愛情の籠った店作りと、強い業態力をもって、海外・日本全国に北海道の食文化を伝える展開を加速する。
「夢とありがとうを繋ぐ企業」
佐々木 秀幸 氏
イタリアンレストラン2007年開業
18歳の時、27歳で独立開業する事を決意し、目標を立て、計画的に動き始めた。ホテル・リゾートのサービスマナーと簿記会計の専門学校を卒業後、北海道のホテル経営を手掛ける会社に就職し、経営者となる為の資金・知識・人脈を構築する。その会社では、約70軒分のレストラン立上げを経験し、9時から18時までは、通常業務。18時から24時までは、「成功者になる為には、成功者の話を聞かなければならない」と、社長のカバン持ちを行い、24時からは、資金を貯める為に、深夜の力仕事も掛け持ちしながら、寝る間を惜しんで働いた。計画通り、7年後の平成19年27歳で、札幌市内に、20代が気軽に、オシャレに楽しめる、イタリア料理のお店「イタリアンダイニング・グラッツェ」を開業した。リスクを最小限にする為に、専門のコンサルタントに支援を仰いだ結果、与信や、資金面、交渉事など様々な面で、スムーズに開業する事が出来き、運営も順調に進んでいる。経営で大事にしている事は、“夢とありがとうを繋ぐ企業”として、1人1人が、夢と目標を持つ事を大切にし、人格を重んじ、感謝の心と言葉を忘れない企業作りを行っている。経営者としては、現状に満足せずに、常に危機感を持ち続け、勉強と、情報収集を怠らず、次々と新たな手を打ち続けてきた。今後は、東京進出も視野に、いずれはホテル事業も手掛けていく。
「お客様の背中に向かって頭を下げる。」
古屋 嘉章 氏
カフェ1987年開業
19歳の時、幼少の頃から通っていた老舗喫茶店の伝説的マスターの人間力に魅了され、アルバイトとして入門を依頼し、当時通っていた厳しい専門学校の完璧な単位取得を条件に、許可され、弟子入りした。以来、いくつかの有名喫茶店で、修業し、人脈を構築する。入門時に目標として掲げていた、10年の節目、28歳の時に、独立開業。開店当初から、好景気に支えられ、また、師匠やその周囲の人達に可愛がられた事で、経営は、順調だった。あまりの忙しさに、両手首を故障して、一時休んだ事もあるが、開店以来、店を守り続けている。現店舗に移転後も、ススキノの社長達に可愛がられて、一時期、同一館内に7軒の喫茶店がひしめき合っていたにも関わらず、支持され続けた、「ひとえに、師匠や、周囲の方のお陰。」とあくまで謙虚だ。お客様に愛され続ける秘訣としては、“どれだけ人と深い繋がりが出来るか”という事と、“お客様の背中に向かって頭を下げる”事だ。お客様はもちろんの事、指導して頂いた諸先輩達、納入業者、仲間との信頼関係を大切にし、いつも“人から学ぶ姿勢”と“生きた情報”を得られるカウンターでのコミュニケーションを大事にして来たからではないかと話す。今後は、「人付合い」「挨拶」「お礼」など当たり前の事をそれ以上の付加価値に変えて提供できる人材を育成しながら、尊敬する諸先輩達の様に周囲に良い影響を与えられる存在になる事を目指す。
「一生忘れられない味で、喜びと感動を与えたい。」
大村 哲也 氏
ラーメン2001年開業
小学校の頃、「ラーメン屋さんってカッコいい!」と憧れていた。20歳頃、先輩を見て、自分も飲食店経営者になる事を決意、中華業態のお店に就職し、修業に入った。26歳の時に、札幌市郊外で、餃子とビールが主力商品のお店を開業した。初めから順風満帆ではなかった。経営的、精神的に厳しい時期も、周りの人が支えてくれて、お客さんがお客さんを連れて来てくれた。何とか食べる事が出来るようにはなったが、今後の事を考え、先行き不安に悩んでいた頃、良く通っていたラーメン店で、会話の中から、「ラーメン屋の触り位なら、教えてあげるよ。」と言われ、昔から憧れていたラーメン屋を出店する事を決意し、目立たない裏路地で、ラーメン店の機材が全て揃った居抜き物件を見つけ、勝負をかけた。「面白いラーメン屋があるよ。」という口コミで、ジワジワとお客様が増えて来た時に、ご縁から、幹線道路に面した路面店に移った半年後、運良く全国のTV放送に出て、大繁盛店となった。人材が集まり、育つ度に、そのスタッフに活躍の場として、新しい店舗を開き、現在6店舗を運営しているが、決して、多店舗主義ではなく、あくまで、スタッフの活躍の場を作り出す事に集中してきた。大事にしているのは、“人に喜びと感動を与えたい!“という気持ちだ。売上よりも、面白いお店、”自分だけにしか出来ないお店作り“を行い、お客様に「一生忘れられない味だね。」と言われた時の喜びを忘れず、今後は、現在の店舗を守りつつ、海外出展も視野に、今ある事に感謝し、楽しみながら、自由な経営でチャレンジを続ける。
「ジンギスカン店を開くため羊飼いから始めた男の店」
中島 康晴 氏
ジンギスカン2005年開業
世界であらゆるモノを奪い合っている現代で、子供が夢を語り、未来を作れる社会を実現し、「いただきます」“全ての命”に感謝する言葉を使う世界唯一の国である日本の未来を創る為に、会社を営む。いつか飲食店をやりたいと考えて、試行錯誤を繰り返すうちに、ひつじ肉は、ほぼ大半を輸入に頼っている現実を知ると同時に、とても美味しい北海道産のひつじ肉に出逢った。仕入が叶わないのならば、自分達で生産しようと、2005年に、緬羊飼育事業を開始する。自分達の志は、必ずや、社会に良い影響を与えられると考え、幾度となく訪れる経営資源不足や、難題が起きても、ひつじ達の生き方から学んだ「支え愛」「励まし愛」を胸に、乗り越え、2012年2月、札幌ススキノに、様々な方々の深いご縁と、力強い支援で、唯一の北海道産ひつじ肉専門のジンギスカン店「いただきます。」をOPENした。経営理念は、“みんなで、自ら、創る、造る、作る、食べる、生きる、笑顔、幸せ”だ。愛し愛され必要とされる人財企業として、夢と創造力を発揮・大切にし、生産から販売の全てに安全安心を提供し、日本の自然を活かし、国際流通や輸入に頼らない生産に挑戦し、みんなが、参加できる社会企業を実現する!という5つのビジョンを掲げ、より多くの方に日本の食文化の素晴らしさ・大切さ・未来を伝え続ける。