北海道の先輩経営者からのメッセージ
「一日の終わりに辿り着く場所」
本間 一慶 氏
バー2007年開業
17歳、ホテルでの配膳アルバイト時代に、接客業の楽しさに目覚めて以来、飲食業の魅力にすっかりハマり、そのまま飲食業界に就職。バーテンダー中心に、料理の修業を経て、2007年、29歳の時に、いくつもの縁と縁が重なり、これは、偶然ではなく、必然だと感じて独立開業した。師匠の教え通り、入った瞬間に“非日常”を感じられる場所作りに徹し、「1日の終わりに辿り着く場所」として、隠れ家のように、他人に干渉されない癒しの空間、自分だけの居場所を意識したレイアウトと雰囲気を演出し、お客様それぞれが、思い思いに、お酒や葉巻、料理などを楽しむ。想いは、「入ってきた時よりも、少しだけ楽しくなって帰って頂く」事だ。実は、バー業界は、歴史と伝統を重んじるのが常識であり、若い世代が入りにくく、ハードルが上がりがちだが、ここ「BAR一慶」は、その常識を破り、ノーチャージ制を導入したり、営業時間外に若年層向けのイベントを開催したり、と間口を広げている。また店内外でイベント活動では、“1店舗で出来る限界を超えるには、地域を盛り上げる事”と考え、ススキノ地域全体の活性化にも積極的だ。今後は、時代時代に合わせた在り方を常に追い求め、次世代に繋がる“新しいバー文化”創造に奔走し、20年後メインの飲み手となる20代の若い世代が、背伸びの仕方を学べる店作りと、バー業界を担っていける人材育成に力を注ぐ。
「人材が伸びれば企業も伸びる!」
大坂 智樹 氏
和食2010年開業
高校時代に、地元、留萌で3年間アルバイトをした経験から、鮨店に就職し、21歳の時、札幌に移り、市内有名鮨店にて、15年間修業、3年間にわたり、お店を任せて頂き、運営・経営のノウハウを学び、お世話になった親方に許可を得て、平成22年「鮨棗」を開業した。現在も自らプレイヤーとして、現場に立っているが、経営者の覚悟を持って、計数を管理し、プレイングマネージャーとしてのバランス感覚を大事にしている。現在「棗」2店舗、「葵」2店舗の計4店舗を運営しているが、あくまでも、“いつも頑張ってくれる仲間と、色々な方のご縁のお陰“と話す。これから開業を目指す方に対しては、「修業・我慢も大事で、経営者の立場を理解し、決して勢いだけで、始めない事。」と経験談としてエールを贈る。商売とは、「人」と「人」の間にあるもので、お医者様と患者様の間に医療が存在するが、それを行うのは「人」、人柄も含めた信頼関係が何より大事と考え、1人1人を大切にして、決して裏切らない事、そして、美味しいモノを出すのが当たり前の時代に、同じ金額のサービスであれば、どの位「喜び」という付加価値を提供できるのかを追及する。今後は、東京・海外も視野に、「人材が伸びれば企業も伸びる」と考え、仲間と共に成長するチャンスがあれば、新店舗も出して行く。
「笑顔と元気!ノリと愛嬌!」
小川 宏 氏
居酒屋2010年開業
調理師専門学校を卒業後、スノーボードの関連会社に就職し、人と接するサービス業の魅力に気づき、25歳の時、飲食店の社員として転職した。2年程務め、独立を目指していた所、勤務先の社長から、店長を務めていたお店を、暖簾分けの形で、独立を支援をしてもらえる事となり、27歳の時に起業。現在は、「粋な居酒屋あいよ」を軸に5店舗を展開する。企業理念は、“辛い事、苦しい事も楽しく笑う”だ。一見辛く、苦しい事も、いつか笑えるようになるまで、一生懸命やってみて、その時、本当に自分自身に向いているかいないかを判断すべき“、との思いから、社名を「SMILE SOL」と名付けた。お店のコンセプトとしては、「笑顔と元気」を重視して、合言葉は、「ノリと愛嬌」、とにかく、スタッフ全員が明るい接客サービスを行い、美味しい料理は、当たり前として、素材力ではなく、スタッフ力で、20代前半に支持され、リピート率80%以上を誇る。今後は、「粋なシリーズ」で、店舗展開をはかり、和洋中こだわらず、様々な業態の多店舗化を目指しつつ、同時にスタッフの独立も支援していく。
「100年後200年後に残したい。」
堀川 秀樹 氏
イタリアンレストラン1998年開業
高校生時代にアルバイトしていた飲食店で、お客様に料理を提供し、喜ばれた事が、心に残っていた。友人の勧めもあり、横浜のイタリア料理の新規OPEN店に入社。その時の厳しい下積み時代を経て、本場イタリアに渡り、1年半程修業し、帰国後、ご縁があり、北海道からお誘いを受け、来道する。しばらくして、横浜に帰り独立する予定だったが、イタリアに似た環境の北海道の魅力にすっかりハマり、当時市内には、パスタ専門店を含む十数軒しかなかったイタリア料理店を36歳で開業した。もちろん仕事は真剣に取り組むが、社風としては、イタリア時代に感銘を受けた、本場イタリアのように、上下間での垣根のない、自由で、対等で、温かみのある人間関係が築ける環境作りを意識している。店名の由来は、イタリア語で、「3連音符」を意味し、当初3人で始めたテルツィーナで、何十人もの人が、活躍できるお店になれるように、との目標から名付けた。創業以来16年間、毎日が同じ事のように繰り返す飲食店の中で、日々新しい気持ちで働ける職場環境をコツコツ創り上げ、ブレイクせずに、ゆっくりゆっくり右肩上がりの成長を続けて来た。今後は、人材を育てつつ、グループ展開や、他業界との連携活動も視野に入れ、三國シェフと共に立ち上げた、上川町の「フラテッロ・ディ・ミクニ」の成功事例を基に、北海道の食文化に貢献する取組みを進め、「100年後200年後も残る店」を目指す。
「北海道を元気にする焼鳥屋!小さなサプライズをコツコツと積み重ねる。」
松下 慎司 氏
居酒屋、焼とり2012年開業
学生時代から、飲食店で働く先輩達が、とてもカッコ良く見え、憧れていた。独立志望で、いつか自分の店を持ちたいと思い、26歳の時に、ある居酒屋の経営者と出逢い、そこで働き始めた。約8年間にわたり、修業を積み、経営、運営を第一線で学んだ。平成24年34歳の時に“人の魅力でお客様が集まるお店”「焼鳥Kitchen晴れ晴れ」を開業。経験は積んで来たものの、経営者としては1年生で、分からな事ばかり、出来な事ばかりの時を、周りにいる他業種の先輩経営者からの叱咤激励や、飲食の先輩、昔からの仲間、お客様が支えてくれて、幾多の難題を乗り越えてこられた。経営で大事にしている事は、ズバリ「人」だ。お客様に、“また逢いたい”と思って、何度も足を運んで頂く為には、お客様一人一人と向かい合い、小さなサプライズをコツコツと積み重ね、“満足の境を超えた、感動”を提供し続け、「人」の魅力で可愛がって頂ける店作りを目指す。今後は、自分の志を共感・共有してくれて、愛情豊かな、一緒に夢を叶える為の「人財」を育てる事を、重視した展開を行う。