北海道の先輩経営者からのメッセージ
3年後、5年後、10年後を見据えて先に先に手を打つこと
田村 輝明 氏
担担麺2011年開業
学生時代から飲食店でアルバイトしていた。その後とても良いご縁をいただき担担麺のお店に務めることになり本格的な修行に入る。その勤め先の経営者がより大きなステージに進出する際、お店を引き継ぐチャンスに恵まれたことが飲食店を経営するきっかけとなったそうだ。お店のコンセプトは“お客様が来店しやすいお店”として、様々な工夫を凝らし、特に看板メニューである“担担麺”は千差万別・嗜好の違うお客様それぞれの好みに味や薬味を調節してくれるという徹底ぶりが人気の秘訣とのこと。開業時のご苦労は?の問いに「ご縁に恵まれていた」と家族、スタッフ、各業者様など関わってくださった方々の支えへの感謝を忘れず、開業後も他店舗の家族経営のノウハウを貪欲に吸収し生かしてきたそうだ。高廃業率の続く飲食業界の中で続けてこられた秘訣は「自分の武器(若さと体力)を理解しフル活用してきたこと」と語り、経営者として最も大事にしていることは「3年後、5年後、10年後を見据えて先に先に手を打つこと。」として、計画性と実践で動くことを重要視してるとのこと。今後は開業当初からの目標である3店舗開業を念頭に準備に余念がない。これから始められる方に対して「飲食店は集客の7割8割が決まってしまう“場所選び”を妥協しないことが重要です。」とエールを贈る。
流行を追わず、毎日食べていただけるものを作り続ける
今 秀次 氏
パン屋平成27年10月
キレイなものが好き。高校生の頃から女性誌を、特に「コスモポリタン」を見ていた。そこに掲載されている装飾や民族衣装そして、いつしか料理の美しさに心躍らされていたようだ。
専門学校へ進み、洋食を学ぶ。学生時代、叔父様の知人が札幌グランドホテルの調理人、そのつてで洋食部門のアルバイトを希望したが空きがなく、商品の配達などを行う外販部門のアルバイトを行っていた。アルバイトの流れからか学校を卒業する頃には、お菓子作りに興味を持ち、ベーカリー部門への希望に変わっていたという。
卒業後、ベーカリー部門に入ると「アイスクリーム」を1年間作り、その後「お菓子の仕込み」を2年間担当、今では懐かしいピーチメルバやマウント富士、ベイクドアラスカなどを作っていたそうだ。そしてお店を出すために退職するまで32年間、勤め上げることとなる「パン」製造へと異動。異動してから、パン作りに興味が移り、以来パン一筋になった。20代後半には、ホテルを拡張するとき当時、有名だった大阪のホテルプラザへ研修にも行ってきたようだ。
自分で店を持つことは考えていなかったが、40代後半から考え始め、東京のパン屋巡りや店で使うアンティークなどを見に行ったりしていたという。
店名の「パン ド ラボラトリー アッシュ」。ラボラトリーは“研究所、実験室、製作室”という意味。フランス語で「パン屋」を意味する“ブーランジェリー“ではなく、旬の素材や良い素材を見つけたら直ぐに作ってみる、そして良い出来でないと、また作り直す、そんな「研究する」という想いを込めたようだ。”アッシュ”は“H”のフランス語の発音、“秀次”という自分の名前の頭文字。
食パンには砂糖(グラニュー糖)ではなく「甜菜糖」を使い、ベースの素材に保存料や着色料は一切使用していない。ショートニングもトランス脂肪酸の入っていないものを使用。
そのためか離乳食などで購入されるお客様も少なくないという。店頭のプライスカードにはアレルギーを書き込み、お客様に安心感を持っていただいている。
金儲け病は死に病
代表取締役 小林豊 氏
レストラン昭和21年開業
札幌の豊平館で勤めていた祖父が戦時中に軍事関係者への食事提供のために釧路に招かれたのがレストラントキワの長い歴史の始まりで現在は3代目がお店を切り盛りする超老舗店だ。釧路地方の洋食 文化の草分けの存在として多くの名店料理人を輩出したことでもよく知られている。創業70年を越える伝統の味を自身と先代とで提供し奥様がマネジメントとホール接客を担当している。昔からの常連さんは、味の変化にとても敏感でちょっとしたことでも意見が出てくるそうで、味を守り続けることの難しさを痛感する毎日と語る。経営者として大事にしていることは自分たちの健康と財務管理、そしてお店を構成する4つの要素(商品力、サービス、立地、店舗力)で、これらを時代に合わせてバランスを変えていくことがとても重要であると考えている。また昔から教えられてきたことは「金儲け病は死に病」生産者、流通業など色々な方いて初めて料理が作れてお客様の喜びを提供することが出来るということを常に意識しているそうだ。今後は高齢化、立地変革、コンビニの台頭、消費税増税を考慮した舵取りを行っていくとのこと。これから商売を始める人に対しては「色々な地域を良く見て学ぶこと」「地方のお客様は常に刺激を求めている地域に受け入れられる斬新なアイデアで勝負して欲しい」とエールを贈る。
ブレない味を、そしてバターの良さを味わってほしい
白木 秀俊 氏
シュークリーム専門店平成28年10月
一瞬のうちに、その虜になったフランス・イズニー社「発酵バター」。お店をオープンしたのは、このバターとの出会いだった。その瞬間、10年近く空いているな、と思っていた店舗物件の商談を行い、銀行で融資の相談をし、電気工事をスタート。出会いから、わずか3か月後には、お店をオープンしていた。
札幌駅から車でも約30分、そして住宅街。決して条件の良い場所ではない。周囲の人からも心配の声が多かったという。
しかしオープンすると、通りに面していること、赤い入口が人目を引いたこと、そして地元情報誌に事前広告を出したからか、初日から多くのお客様が来店され、今でもリピーターが多く、売り切れの日も多いようだ。
シュークリーム専門店「パティスリー ブール」の“ブール(beurre)”はフランス語で「バター」の意。虜になったバターへの熱い思いが店名に表れている。
「北海道のバターも良いと思う、ただ自分が惚れ込んだこのバターの良さを知ってほしい」シュークリーム専門店にしたのは「このバターの風味豊かな香りを一番表現しやすいから」だと語る。
今では、百貨店や催事などのお声を多数いただいているようだが“味が変わる”と申し訳ないが、お断りしているようだ。
一緒に働いているパティシェと二人。朝から作り立てを提供し、妥協を許さない。時間が経つと水分が出てシューの皮が軟らかくなり味が変わるので、すぐに食べてほしい。作り手が三人になると味がブレるため、お店の拡張も多店舗展開も考えていない。ただ駐車場が2台、というのが悩みの種。
これからも出来立てを直ぐに食べて頂きたい、と作る思いに変わりなく、素朴ながらも内に秘めた思いを熱く語る。
圧倒的な健康を維持し[温故知新]を大切に
宍戸 かずひさ 氏
バー平成21年11月
すすきので生まれ、すすきので育ち、そして色々なバーで酒の飲み方はもちろん音楽や会話を教わった。25年間勤めた食品会社の営業マン時代にも通っていた大好きなバーが様々な理由で次々と無くなってきた頃、自分の将来を見据えたとき「バー」という道に進むことを決めたという。
折しも2008年のリーマンショック、そしてオープン直前には政権交代があり、すすきのの客足は遠のいていた。そんな時期にオープンすることに対して忠告してくれる友人知人もいたが「すすきのの小さな呑み屋 ししドア」はオープンした。
バーに通っていたとは言え、素人。オープン前に札幌商工会議所が行っていた研修に参加。座学のほかに実地研修があり、その研修で行ったバーが今でも繋がりが深い「バー 一慶」だった。自分より17歳も若い経営者。ところが学んだことは沢山あった。夜の店の経営者はライバルではなく『仲間』だということ。そして店からビルを、街を、札幌を活気づけていく、点を線に、面に深堀をしていくと店同士、お客様同士が繋がっていく、そんな信条も合致していた。
今でも月に2~3回ほど通ってくれる友人知人はいる。オープン当初に来てくれる友人知人は有難かったが、バーとしての店に来てくれるお客様を早く作りたかった。そのためSNSの先駆けミクシーやツイッター、そして当時、出始めたFacebookなど活用した。それは今に繋がってきているという。
オープン2年目には、待っててもお客様は来ない、新しいお客様を増やすことを痛切に感じた。カウンターの中と外では見える世界が違っていた。 「バー 一慶」のオーナーからの声掛けで定休日の日曜日にイベントを開催、そして交流会や勉強会、試飲会にも積極的に参加。すると不思議にコラボレーションが立ちあがるなど幅が広がっていったという。
オープン4年後には、そんな縁の中で毎週金曜日にライヴを開催、そのミュージシャンの繋がりで更に交流も広がり、今も様々な縁が生まれている。
これからは自分に色々なことを教えてくれた先輩たちのような大人でありたい、 20~30代の人たちが来やすい店に、そして3世代通ってくれるお店でありたいと語る。