北海道の先輩経営者からのメッセージ
「北海道の秋を彩る黄金色と、太陽の赤・・・」
和田 英之 氏
イタリアンレストラン2014年 開業
高校を卒業後、ホテルで西洋料理の修行に入る。20代半ばから、イタリア料理1本に絞り、イタリア・トスカーナへの留学経験も含め、腕に磨きをかけてきた。自分の全てを表現する為に、お店を持ちたいと考え、30歳を過ぎた頃から、徐々に準備を始め、36歳の時、平成26年に念願のお店「L`oro rosso 」を開業した。イタリアの郷土料理を意識しながら、ワインと共に、気軽に楽しめるシンプルに美味しいイタリア料理と、お客様の顔を見ながら、近い距離でのコミュニケーションが魅力のお店作りだ。中でも、人気メニューは、口に含むと、トロける食感が新しい、“ニョッキ”との事。店名の“L`oro rosso”は、“金色と赤”で、北海道の秋を彩る黄金色と、太陽の赤のイメージで、大地の恵みをたっぷり受けた食材を美味しく提供したいとの想いからだ。今後は、大きなお店での出店も視野に、人材育成にも取り組みたい考えで、お客様に喜ばれる料理を作り、想いを添えて伝え続ける。
「50年以上注ぎ足し続けてきたデミソース」
福田 智 氏
洋食1992年 開業
元々、道内外のホテルで、フランス料理のシェフとして、15年以上の修業を積んでいたある日、知人のご縁から、札幌市東区にある、“鉄東地区”と呼ばれる地域で、26年以上続く洋食店の経営を引き継いで欲しいとの依頼を受け、平成4年に開業する。長年修業してきたフランス料理の技術よりも、地域で愛され続けてきた伝統の味を受け継いだ料理を提供した。中でも、50年以上注ぎ足し続けてきた、くどくない、あっさり味のデミソースをたっぷりかけた“メンチカツ”は創業以来の人気メニューだそうで、2世代にわたるファンもいるそうだ。継続の秘訣は、お客様目線を大切にして、地域の変化し続受けるニーズに対応してきた結果との事で、経営面で大事にしているのは、備品経費も食材費として計上し、管理する事と、ロスを出さずに、食材を無駄なく使い切り、更に、付加価値を付ける創意工夫を続ける事だそうだ。今後は、伝統の味を多くの方に知ってもらう為に、プレミアムメンチカツの外販も予定しており、更に年輪を重ねていく。
「常に向上心を忘れず、感度のアンテナを伸ばす!」
谷内 知樹 氏
ダイニングバー2013年 開業
サラリーマンを4年程経験した後、カレー好きが高じて、カレーショップを始めた。30歳の頃、お酒を出せるお店に転換すべく、東京の飲食店で勉強し、ビジネスモデルを練り上げていった。平成25年11月に、現店舗「マチルダ」を開店。お店のコンセプトは、自分好みの自然派ワインと、クラフトビールに合う料理を提供するお店として、近隣の方々に愛されるお店作りだ。食材も、直接生産者さんを訪ね、より“自然に近いモノ”を意識して仕入れているそうだ。経営面で大事にしている事は、“お客様に喜ばれるように努力するのは、全て当たり前”として、日々の中で、どんなに疲れていたとしても、“常に向上心を忘れず、感度のアンテナを伸ばし、食べ歩きなどから、新しい情報を取り込む事”だそうだ。これから出店する後輩に対しては、“自分が、楽しく経営する為には、スキルアップをし続ける事が大事”とエールを贈る。今後は、お客様、スタッフがハッピーになれるお店を、自分らしい自然体で続けていく。
「流行に流されず、自分の信じた味を追求する」
浅石 勝 氏
ラーメン2002年 開業
元々、飲食店に長く務めており、いつか自分のお店を持ちたいと考えていた。あるお店での修業中に大怪我をし、2ケ月程入院。その間、様々な事を検討し、開業を決意する。平成14年、38歳で、中央区北6条に出店。認知され始めた頃、現代の車社会を鑑みて、駐車場付の物件へ移転したが、駐車しきれず、路上駐車が増えてしまい、結果として、近隣住民の方への配慮もあり、一時閉店を余儀なくされた。休業期間中に、大手新聞社の記者が、再OPEN待望論の記事を掲載した事により、反響が大きくなり、ファンの声に後押しされる形で、満を持して再開する。昨今流行の、濃くて、油こってりの味付けではなく、あっさりした昔風ラーメンで、食べ飽きない味が、支持され、開業当時では珍しかった“白醤油生ラーメン”が、不動の人気メニューだそうだ。経営で大事にしている事は、“流行に流されず、自分の信じた味を追求する事”で、日々、コツコツと努力を続けていれば、必ず夢叶うと信じて進み、今後は、ススキノ店、帯広店を立て続けに開店予定で更に取り組みを加速していく。
「お客様は1000人いたら1000通り!マニュアルなしで、自分を表現し、自分を売る!」
赤松 俊宏 氏
ラーメン2010年 開業
子供の頃から、料理が好きだった。22歳の頃、叔父の経営するススキノの飲食店でアルバイトをした時に、これ以上はない位、厳しく飲食業を叩き込まれた。その後、ケミカル系メーカーに就職し、トップ営業マンとして、30年間勤務、日本全国や、アジアで活躍した。52歳の時、思うところがあり、脱サラし、飲食の世界に入った。自分の追い求める味で試作するも、イメージ通りの味が出せずに、悔しい思いをした事で、情熱に火がつき、すっかりラーメンにハマってしまった。お店のコンセプトは、“お客様に良かったと満足してもらえるお店”で、客席はホール、厨房はステージと考え、料理・接客・エンターテイメント性・居心地などをお店全体で、表現している。スタッフに教えているのは、“お客様は1000人いたら1000通り!マニュアルなしで、自分を表現し、自分を売る!”事だそうだ。経営者として、大事にしている事は、“夢を目標に置き換え、あえてキツい方に身を置く事!”で、その状況下で、いかに自分の心をフラットな状態に保つかという事に重きを置いている。今後は、尊敬する師の言葉と共に、多くの人に背中を見せ続け、「鮭ラーメン」を引っ提げて、大きな勝負に挑む。