北海道の先輩経営者からのメッセージ
「こだわりを持ちつつ、ニーズに合わせる」
佐藤 純基 氏
ダイニングバー平成15年 開業
フランスのレストランで、約2年修行し、帰国後、札幌で勤め、準備を始める。1年程で、良い物件と出逢い、平成15年に、中央区で開業した。若い世代にも、フランスの伝統料理を気軽に楽しんでもらいたいとの思いから、カフェ・ブラッスリーをイメージした雰囲気のお店作りを目指した。開業当初より、モダンなフランス料理が多い中、古き良き食文化を啓蒙し、アルザス地方の郷土料理、“シュークルート”や、フランス領であった、モロッコ料理、“クスクス”など郷土色の強い料理がお勧めだそうだ。長く継続できている要因は、“スタッフに恵まれた事”、“向上心を持ち続ける事”、“こだわりを持ちつつ、ニーズに合わせる事”が大事だと考え、常に変化をさせてきた結果と分析する。経営面では、財務も大事だが、“自分・スタッフ・雰囲気・料理など全てを駆使して、お客様に伝える事”を大切に考えている。今後は、現店舗の維持発展の為にも、新たな逸品メニューを作り上げ、より多くの人にフランス料理の素晴らしさを伝えていく。
「自宅に親しい友人を招いた時のような気持ちで、お客様をお迎えする」
吉江 恵一 氏
ダイニングバー平成19年 開業
自分のお店を持つ事が夢だった。高校時代、喫茶店でアルバイトをした時に、“天職”と感じた。飲食の道を志し、調理師学校を卒業後、札幌グランドホテルに就職し、修業に入った。その後、ホテルのサービスを学び、寿司、バー、洋食など様々な業態を経験していく。2007年39歳の時に、食事と会話を楽しめる空間で、自分が行きたくなる、こんなお店があったらいいなと思うお店作りを目指し、「Osteria YOSHIE」をOPENした。元々、道南の漁師家に生まれ、幼い時から、父が獲り、母が料理する美味しい魚介料理を、札幌の方にも味わって頂きたいとの思いもあったそうだ。長くお店を続けられている秘訣は、“お客様への愛情”で、自宅に親しい友人を招いた時のような気持ちで、お客様をお迎えする事と、スタッフに対しても子を持つ親と同じような気持ちで接する事だそうだ。経営者としては、“これでいいと思わず、常に細心の注意を払う”事を重視している。今後も、今まで通り、来てくれたお客様お一人お一人と、食材、スタッフ、お店に対しても、惜しみない愛を持って接していく。
「先義後利」
樫原 芳也 氏
居酒屋平成22年 開業
商売家系に生まれ、飲食店が、身近な存在だった。いつか自分も経営者になりたいとの志から、調理師専門学校卒業後すぐに修行に入った。20代後半までは、腕を磨き、それ以降は、職人気質に偏り過ぎないように注意しながら、ホールを含めた飲食全般を学び、多店舗運営や、店舗管理のノウハウを吸収し、33歳で、念願の独立を果たす。屋号は、実家で母親が営むお店、「山海」を引き継いだ。数多ひしめく飲食業界で勝つ為には、明確なフォーカスポイントを作るべきと考え、鶏、豚、海老を主原料とした“つくね”に特化。平成22年、平岸で、地域密着、宅飲みの雰囲気を醸し出した、「つくね山海」を開いた。ドリンク・フードは、280円から提供し、より地域の人に気軽に来てもらえるように配慮したお店作りだ。初回来店客のほとんどが、その価格と、形状・ボリュームのギャップに驚くそうだ。開業当初、告知方法について、試行錯誤はあったものの、順調に業績を伸ばし、現在は、3店舗を展開するに至った。経営で大事にしている事は、“先義後利”の精神で、真心を込めて、尽くせば、利益は後からついてくるという理念で、お客様、業者さんを含めた関係者と、WINWINの関係を構築している。今後は、理想の味を追求しつつ、つくね山海をより浸透させ、外販事業にも精力的に挑んでいく。
「焼き鳥の原点となるお店になりたい!」
河野 寛之 氏
焼とり昭和42年 創業
現代表、3代目寛之氏の祖父は、ブラジル移民から、参戦の為に帰国し、終戦後、色々な職業を経験する中で、ある焼鳥店との出逢いにより、修業に入る。昭和42年、免許皆伝を頂き、家族の待つ士別市で開店を迎えた。屋号に込めたのは、“焼き鳥の原点となるお店”になりたいとの願いを込めてつけられたそうだ。2代目は、札幌のホテルに務めた経験があり、手狭となった士別本店の他に、札幌店を設立する為に、昭和60年頃、札幌に移住し、新店舗を開いた。3代目寛之氏は、生れた時から“焼鳥”が身近にあり、自分もいずれ、この焼き場に立つと漠然ながら考えていた。18歳の時に、お店に入り、修業を積み重ねてきた。焼鳥のメニューは、1品のみ!特徴は、“1本の串で、全ての部位が食べられる。”要するに、モモ、ムネ、内臓、子宮に至るまでの全てが、一本の串に打込まれているのだ。それ故、大量生産ができない為、一本一本思いを込めての手作業だ。唯一無二の品質を守り、時間と手間をかける事が、付加価値であり、気持ちが入るから美味しい串ができる。 “人の笑顔で酔って頂いて、楽しく、美味しく食べてもらいたい”との思いがこもる。あえてWEB上の宣伝は出さずに、顔を見て、声を聞いて、人の縁が繋ぐコミュニケーションを作る事が成功の秘訣と信じ、今後も、“味を守り、継続する”事を前提に、「人」を育てる取組みにも挑戦しながら、ジワジワと静かに、お店を伝え広める活動を行っていく。
「人生の思い出の場所になれたらいいな・・・」
五十嵐 里恵 氏
洋菓子2003年 開業
元々、小さい頃からの夢であったパティシエとして、製菓業界に務め、店長などの管理職も経験し、10年程修行を積んだ。街の中心部から、“人の住む場所で、人と接するお店を開きたい!”との思いで、円山地区で、夢だった赤い扉のケーキ屋さん「PorteRouge」を平成15年に開いた。開業前は、資金調達や、人の採用面での苦労はあったものの、周りの方々や、ご主人の助けに支えられ、6年後には、商業施設「マルヤマクラス」出店、平成24年には、店舗を現住所に移転した。運営面で大切にしている事は、“スタッフが、楽しく働ける環境を作る”事で、厳しい中にも楽しむ事を重視する事と、あまり大きく商売を広げ過ぎずに、“目の届く範囲で、手の届く範囲の中で、地域の人と一緒に、地域に密着する”事を大切にしているそうだ。一番人気の商品は、「ふたくちーず」で、開業当時から、愛され続けている。今後は、多くの人のライフスタイル全般に関わりを持ち、地域の子供たちが、成長する過程で、人生の思い出の場所になれるような取り組みを続けていく。