北海道の先輩経営者からのメッセージ
普通のものが美味しい、手はかけるがかけ過ぎないこと
田口 和也 氏
小料理平成22年5月
3年周期で店を移り修行してきたが、先輩からの紹介でスナックも経営している小料理屋の女将の店で働き、約10年。小料理屋とスナックと両方を営むことが体力的に難しい、と、店を譲り受けた。
仲間や後輩が30歳前後で自分の店をだしていく中、考えていないわけではなかったが、家賃や立地、女将についているお客様、など色々考え、当初、出した答えは「NO」だった。幾度も説得され、当時は身軽な状況でもあり、結局、譲り受けることを承諾「旬菜 田ぐち」を誕生させた。
譲り受ける数年前に内装工事を行ったばかりだったので譲り受けた際に冷蔵庫やコールドテーブル、コンベクションを入れ替える程度で終わったようだ。それでも結構な金額になるが、当時、半額免除という助成金制度を受けられたようだ。
最初の1年くらいは、以前のお客様も来てくれたようだが、やはり女将のお客様。足も遠のき始めていた。その頃、広告を出稿していた広告会社の厳選の店として取り上げていただき、その記事を見たお客様が来店、未だにリピートしてくれている。
毎日、すすきの市場に仕入に通い、作り置きしないのが信念。折角、良いものを仕入れてきているのに、味が落ちてしまう。そして変に手をかけ過ぎないこと。玉子焼きやおにぎりなど普通のものが美味しい、とお客様に言っていただき、特に何もしていないので不思議に思うが、注文を受けて自分の手で作るからだと思う、と語る。
さつま揚げなどの練り物も自分で作る、丁寧に仕事をしていれば分かってくれる人もいる。以前、さんまの刺身に骨が一本も入っていない、と感激してリピートしてくれるお客様もいる、と楽しげに話す。
美容師のお母様が夕食を作る時間もなく、自分で作って食べた。食べたいものを自分で作ったほうが間違いない、という調理人を目指した小学生の頃。今は、目の前のお客様に美味しいものを、これからも変わらず美味しいものを作り続ける。
料理は雰囲気、お客様の心地よい居場所になる
川原 恭弘 氏
和食処平成19年5月
小さな頃、お腹一杯お寿司を食べたいと思ったのが調理人人生の原点。札幌の調理師専門学校を卒業後、希望するような寿司屋がなかなか見つからずにいたところ、先輩の紹介で和食店に入ることになった。ところが2年後、経営者が変わり自分が信念とする方向と異なったことから、海鮮居酒屋へ移る。
4年勤めた中でも後半の1年間は店長を務める。この頃、30代前半には店を持ちたい、と目指す道がはっきりと決まったようだ。その店では常連がつくようになり、そうするとメニュー以外のリクエストが増え、自分の料理の幅を広げたい、と強く思うようになったようだ。
そこで和食店に修行に入る。そこはメニューがないばかりでなく、食材の鮮度で調味料を変えたり、お客様の嗜好に合わせた味付けにするなど、自分が思う店だった。
そして、29歳のときに北24条に「海鮮居酒屋 北海」をオープンさせる。6年経った頃、とてもお世話になった先輩が体調を崩し、円山に構えていた店を引き受けることを決め、北24条の店をたたみ、「季節処 川原」として移る。それから5年が過ぎ、改めて自分の商売を考えた時、自分の思い描く店を持ちたいと、現在の場所に巡り合う。
個室や接待需要などに対応できる店、という想い。そして落ち着いた雰囲気、オープンキッチンで料理を作っている様をきっちり見て頂くという希望が叶った瞬間だった。
個人店だから出来ることが色々ある。市場に行って自分の目で見て納得したものを買い付ける。煮つけなどは、ご注文いただいてから煮つけ、天ぷらは揚げた順から直ぐにお出しする。料理を一番良い状態でお出しすることは本当に心がけているようだ。
調理場ではなくカウンターにしたのは、自分の目がお客様に届くため。料理は美味しいだけではなく、ほっこりと落ち着く店で食べて頂きたい。それが総合的な料理。常にお客様の気持ちになることを心掛け、自分の出来る範囲でお客様の要望に応え続ける。
中国の本当の料理と味を届ける日が今の目標
清水 良太 氏
中国料理平成27年8月
調理人を目指していた頃は洋食が主流、友人のお父様が中華調理人で札幌グランドホテルの中華料理店の調理人の口を紹介してくれたのが中華調理の道へ入ることになった理由。
入ってみると、奥深く、3000年の歴史を感じる興味深さもあったようだ。
友人のお父様から調理人の世界に入ると道は2つしかない。①入ったところの料理長を目指すか②独立して自分で店を持つか。自分は独立して自分の店を持つ道を選んだと言う。
そして30年近いホテルで中華調理人として研鑽を積み「中国料理 華扇」を誕生させた。希望の立地ではなかったが、それ以外は宴会が出来るスペース、家賃など条件が合った。
ホテルと勝手が違い、一人で料理はもちろん、食器洗いから色々なことをやらなければならない。それに慣れるまで半年間かかったと語る。
ホテル時代はやりたいことはやれなかった、今は何をやってもOK、しかしそのかわり責任はきっちりと自分に返ってくる。自由に休みを取ることも出来ない、全てが自分の責任だ。
今では遠方からも足を運んでくれるお客様も出来、ランチで来てくれたお客様が会社の宴会や休みの日に家族を連れて来てくれるようになったそうだ。
お店のコンセプトは「日本人が作る、本場の中国料理」。日本人が中国で中国料理を食べると口に合わないとか美味しくない、と言うことがあるが自分が中国に行って食べたものは、とても味わい深く美味しいものだった。今はまだ自分の料理の味を知ってもらう、という段階。だからポピュラーな料理がほとんど。自分の料理の味を分かっていただいてリピーターも増えてきている。それでも冒険はまだ出来ないが、少しずつ本格的な中国料理を出し始めているようだ。
流行に乗らず、本物の中国料理を、そして本物の味を、自分が目指す料理の品々を、いつか味わっていただける日を思い描きながら、鍋を振る。
出会えたご縁を大切にし、人と人とを、おつなぎするお店
三浦 昌宏 氏
鉄板焼き2014年創業
元々レストラン、居酒屋、鉄板焼きのお店など様々な業態の飲食店で16年程務めていた。その経験をもとに“自分のやりたいことを形にしたい”との思いから開業を決意したとのこと。お店のコンセプトは“出会えたご縁を大切にし、人と人とを、おつなぎするお店”、プラス高級なイメージが強い鉄板焼きを“リーズナブ ルに親しみやすく、肩ひじ張らず気軽で入りやすい鉄板焼きのお店”として、いい意味でのこだわりを持たないお店を意識して、堅苦しさのない気取らない雰囲気作りを心がけてきたそうだ。メニューは豊富で、鉄板焼きに固執することなく、お客様が求めるものを提供することが大事との考えから人気メニューは実は「カレーライス」だそうで、このメニューを目当てに通ってくれる常連さん も少なくないそうだ。開業時は、色々な手続きや資金調達での苦労はあったものの、今までの経験を生か して開業することが出来たそうだ。これまで継続してこられた秘訣は「仕事は手を抜かず一生懸命に取り 組んでいるが、良い意味での“テキトウ”な部分を持ちながらお客様を緊張させない気軽な雰囲気」を醸し 出すことに努力を惜しまない。経営で一番大事にしていることは「お客様の笑顔」で、通ってこられるお客様のニーズは様々ですが、悩み相談するお客様も、そうでないお客様も帰るときには皆様に笑顔でお帰り頂きたいと話す。今後はもっともっとやりたいことを形にする取り組みを行っていくとのこと。また、これから始められる方には「最初はガマン、何があっても耐える!体はキツくても、その先に希望の光が見えてくる、そして輝き続けること」と経験からの熱いエールを贈る。
携わってくれた多くの人達への感謝の気持ちが継続の秘訣
店主 石林 靖朗 氏
カフェ2015年開業
若い頃から自分のお店(カフェ)を持つのが夢だった。サラリーマン時代に仕事が終わった後に製菓学校に通いパティシエの技術を学び、準備を整えていったそうだ。エピソードとしては、その学んだ技術で作ったスィーツがある飲食店さんのメニューに採用され、さらにクオリティが上がっていき、自分のお店を出店する気持ちがドンドン強くなっていった。それから様々な出逢いの縁が重なり理想通りとはいかないまでも良き物件に恵まれ出店を決め本格的な準備を始めた。お店のコンセプトは“地域の人達が自分の家の応接間のように寛げ、美味しい食事、スィーツや飲み物、会話を楽しめる場所” だ。開業時は人との関りの中での苦労もあったが、周りの方々に支えられ遂に念願のカフェをOPENさせた。看板メニューは開発まで試行錯誤を繰り返し多くの時間を費やし完成した“幸せのシフォンケーキ”でフワッフワッの食感の中に愛情がたっぷり詰まった、カットの大きさを選べる自信の逸品だそうだ。これまで継続してこられた秘訣は「お客様はもちろんですが、携わってくれた多くの人達への感謝の気持ち」と語る。経営で一番大事にしていることはスタッフ、家族を含む、関わった全ての“人”とのことで、出逢いの度にその都度、新たな閃きや気づきをいただいたそうだ。これからはカフェ業態に限らず幅広い形態で多くの方にスィーツを提供できる方法を模索していくとのこと。これから始められる方には「飲食店を開業することは経営を始めるということなので、関わる方との信頼関係を構築することと、ビジネスとして結ぶべき契約はしっかりと納得いくまで話し合うことをおすすめします。」とエールを贈る。