北海道の先輩経営者からのメッセージ
人を良くして、その結果自分が良くなる
藤井 秀紀 氏
カレー平成19年開業
ずっと独立する事しか考えていなかった。就職もするが、それは全て独立の為だった。何を商売にするかを考えていた時、当時流行りもあったスープカレーの店を持つ事を目標に定め飲食店での修業を経て平成19年に開業。しかしOPENして直後は客足が少なく、認知度を上げる為、自作のチラシを作成し、ポスティングをやり続け順調に客数を増加させていった。お店のコンセプトは“明るく、開放感があり、女性が1名でも来店できる店作り”で、看板メニューは“チキン野菜カレー”骨付きチキンとゴロゴロの野菜が魅力だ。経営理念は“人を良くしてその結果自分が良くなる事”で、常に従業員やお客様の事を考え行動し、今後の展開は店舗数を増やす事も検討しているそうだ。これから開業される方へのメッセージは“やりなさい”、しかし“努力は絶対に不可欠である”と話され、飲食店の商売の素晴らしさを実感されている藤井社長だからこその言葉でエールを贈る。
やりたい事をやるだけ、それに必要な事を逆算でやっていく
長尾 彰浩 氏
フレンチレストラン平成22年開業
「北海道で一番を目指す」という言葉に迷いはない。やるからには一番を目指し続けている。フランス料理一筋、東京で10年、フランスに渡り3年、目指しているものを手に入れるため、常に第一線の環境で修業を続けた。札幌に戻り、2店舗の立ち上げに料理長として携わり「料理」だけでなく「お店を継続させるノウハウ」を経験し、33歳の時に開業する。「昔から自分はワガママ」で、「やりたいことしかやらない」「やりたくないことはやらない」だけ、それを貫くために、人にはできない努力や修業を、今も続け、同時に「より意識の高い人と仕事をする」ことを大切にしている。人との摩擦がない環境では成長はないという。人が集まらないなら、それも自分の実力、チームで「良い料理」「良い時間」を提供する。そのために必要な事を逆算して行動すると、自ずと人材が必要になる。「この仕事にオン・オフがあってはならない。24時間、誰に対してもホスピタリティがないなら、やるべきではない」とスタッフに伝えているという。専門学校を卒業し、迷わず東京の名店での修業を目指した理由の一つに「札幌を見渡しても自分の目指す環境がなかった」からだという。次の世代が札幌を見渡したとき「将来性や先見性を感じられるお店を自分が作る、だから北海道で一番でなければならない」終始迷いなく、一貫性のある言葉と、強く深い信念を貫く。
自分が立つしかない!
黒崎 秀司 氏
居酒屋平成25年開業
元々勤めていた外食企業の閉店に伴い、 共に働いてきた仲間を幸せにするためには“自分が立つしかない!”という使命感に突き動かされ起業を決意。出店に際しては、過去の豊富な経験はあるものの、入念に商圏調査を行い、集客の戦略を徹底的に考え抜き、メイン商材についてもコストパフォーマンスを重視した価格設定と、提供方法にこだわったそうだ。180席あるお店は最初1ヶ月目は本当に来客が少なく薄氷を踏む思いもしたが、2ケ月目以降は徐々に客足が増えその冬の年末には何とか軌道に乗せる事ができた。ひとえに“みんなの心と行動がひとつになった結果”と謙虚だ。継続してこられた秘訣は“常に研究し時代に合わせて変化させ続ける事”と“共に働く仲間との意思疎通”を何より大事にしているそうで、店名の「たいせつ」はお客様、仲間、食材、業者さんなど関わる全ての人を大切にしたいという思いが込められているそうだ。今後も、また来たいと思っていただける楽しみを提供できるお店作りを心掛け常に賑わいをつくり出し、人材が育てば次店舗も視野に入れるとの事。これからの人に対しては、“出来ることをやる姿勢で、多くのお店を見て、知って、研究して、真似て”いいお店を作ってください!とエールを贈る。
世の中が自分に対してどう評価しているかがすべて
石井 誠 氏
レストラン平成17年8月開業
3年間、ホテルで調理スタッフとして経験を積み、23歳のとき「言葉もわからない」「お金もない」「あてもない」ままフランスへと旅立つ。その後、イタリア、スペインと渡り得たものは「生きるという事」そのものだったという。24歳で某有名店のシェフでありながら、全ての業務をまかされる。面接、経理からHP制作に至るまで、ありとあらゆる業務をまかされ自ら店作りを行った。驚くことに、すでにこの時から「ル ミュゼ」という名前で独立すると決めていたそうだ。同時に料理人としてのキャリアも積み上げ、31歳で宮の森の閑静な立地で開業する。その6年後に3倍の規模に拡大し、翌2012年にミシュラン北海道にて一ツ星を獲得する。お店の継続に必要なのは「技術」「経営」「人間力」の3つで、その中でも「人間力」がとても大切だという。本当に苦しいときに「潰れる人」と「乗り越える人」との差は紙一重で、これが「人間力の違い」だと静かに語る。結果はすべて「世の中が自分にどう評価してくれたか?」であって「料理人としての能力」と「経営者としての能力」は別にある。「料理ができるだけでは評価はされない」と言い切るのは、あらゆる物事を「生きること」から「調理」まで、自分自身で「受け止め」「乗り越え」てきたからこその言葉、深く確固たる信念を世に広く伝え続ける。
ここで生きるしかない、やるしかない!という覚悟
三上 輝人 氏
居酒屋平成20年1月開業
「コミュニティーを作りたかった」と開業のきっかけをやさしく語る。開業時は苦労しかなかったが、それでも「ここで生きるしかない、やるしかない」という覚悟で行動すると”人との出会い”が助けてくれて、それが巡り巡って今に至るという。継続する秘訣は「飲食店はホスピタリティの要素が本当にあると思っていて、例えば仕事や家庭で起きた辛いことをコミュニティーのなかで何かのキッカケにできたり、前向きになれることもあったらいい。そんなお店を作りたかったし、あってもいいと今も思ってる」とのこと。しかし、過去に調理スタッフを雇用し続けることができなくなったときのことを思い出すと経営者としての自分に対し悔しさで泣けてくるそうだ。現在2店舗を展開をすることとなり再びスタッフを雇用することに対する想いの強さは、当時の悔しさがあってからこそ。マスターとしての自分については「空気のような存在でいたい」何者でもないが、いなければ日々が少し息苦しくなり、だから会いたくなる。小さな頃、お腹が痛いとき母親がお腹に手をあてると傷みが和らいだ「手当て」ということがお店を通じ、少しでも出来て、続けていけたら良いとやわらかい笑顔で語る。