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飲食店先輩経営者からのメッセージ

すでに飲食店経営者として活躍されている先輩経営者から後輩経営者に向けてのメッセージです。
これから共に飲食業界を引っ張っていく後輩経営者へたくさんのメッセージが寄せられています。

北海道の先輩経営者からのメッセージ

和菜酒房 織部

自分の信念を貫き通しブレない味で伝えたいことを伝える

伊藤 護 氏

居酒屋
平成24年開業

アルバイト時代も含めると20年以上に渡り飲食店で務めてきた。元々商売をしたいとの希望を持っていたが体力勝負の世界と分かっていたので、40歳までには出店すると決意した。お店のコンセプトは、旭川にはない30代より上の大人が楽しむ料理屋で、めっきり少なくなったカウンターを備えた店づくりをイメージし大衆的居酒屋よりもワンランク上、高級和食よりもカジュアルにお酒と食事をゆっくりと楽しめるお店、そして料理は日替わりで旬の素材を一番いい状態で、こだわりの日本酒と共に提供するお店を目指した。開業当初苦労したことは資金調達で、経験は長くても経営者は一年生、どこに相談すればよいのか悩んだそうだ。継続の秘訣は?の問いに対して「自分の信念を貫き通しブレない味で伝えたいことを伝える」ことを重視した結果と語り、クーポン系の告知はせず、毎日素材をFacebookにUPすることを日課としてきたそうだ。経営者としては、お客様を大事にすることは当たり前として、働いてくれるスタッフを大切にすることだそうだ。今後は他店舗化ではなく店舗の拡張を視野に目の届く範囲で運営を続ける。これから始める方には、“始める前にしっかりと可能性と失敗想定を考え練り込んで、ブレない信念を研き、言い訳が出ない程の自信を持った仕事”にして欲しいとエールを贈る。

炭火やき鳥 りょう

お客様の満足の結果が利益

酒井 亮 氏

居酒屋、焼とり
平成26年開業

元々、飲食店が大好きで特に焼鳥屋さんに通う日々、そしていつか職業にしたいと考えるようになっていた。アパレル業界のサラリーマンを経て、資金作りと修業のため名古屋に渡り5年程経験を積み、遂に平成26年地元旭川で開業を迎えた。お店のコンセプトは気の利いたサービスとお客様の居心地空間を重視し、お客様にとって何かのプラスを持ち帰ってもらえるようなお店で、常にお客様の気持ちになって出来る限りのおもてなしを心掛けてきた。開業当初から大事だと思っていたのはスタッフ教育で“それぞれの個性を活かしてあげられるか”ということをテーマに現在も考えながらの一日一日だそうだ。看板メニューの「仔羊の香草焼串」は他店では食べられない味との評価をもらっているそうだ。継続の秘訣はブレずに美味しく提供し続けることと、愛情たっぷりのお見送りに代表される接客サービスだ。今後は札幌進出も視野に入れ人脈作りに取り組んでいる。これから始められる方に対しては“お金儲けだけを考えるのではなく、お客様の満足の結果が利益”という考えで経営して欲しいとエールを贈る。

チキンペッカー

ONLY ONEの1店舗経営

笹谷 信浩 氏

洋食
平成3年開業

元々POSレジを販売する会社でサラリーマンとして外食企業の開拓を担っていた。ある時、海外ブランド・大型チェーンの独壇場だった鳥料理の業態の中で、あえて多くの方が失敗する分野で勝負したいと思い立ち、独立を決意1991年に郊外にて「チキンペッカー」を出店。お店のコンセプトは“大手に出来ない楽しみ・料理の中身・外見を重視したお店”だ。そもそも季節需要が顕著で、浮き沈みの激しい業態という事もあり1年目以降、下がりがちな売り上げを回復する為に、2年目から5年目以降、丼物やハンバーガーなどのサイドメニューを研究開発し様々な手を打ち続けてきたが大手を意識するあまり先ばかりを見て足元が疎かだったと顧みて、お店独自のモノを深堀りして個店ならではのメニュー作りに立ち返るメニュー戦略に切り替えたことが功を奏して24年を迎えることがきたそうだ。今後も個店として進化を続けながら“ONLYONEの1店舗経営”を徹底し来て頂いたお客様を飽きさせない新たな感動を提供し続ける。

有限会社ONSTYLE

十勝の食・人・企業を広く発信する

木谷 修身 氏

アジア
平成13年開業

20代初めの頃に、素晴らしき出逢いの縁がきっかけで飲食店に就職した。結婚と奥様の出産を期に、骨を埋める覚悟で建築関係の会社に転職するも、身体的理由により止むを得ず退職。人生を模索し続ける中、飲食店を営んでいた実父の他界を契機に“弔い”の意味も含め独立開業を決意した。友人知人の協力を得て約半年をかけ居抜き店舗を手作りで改装し2001年「亜細亜食房ハロハロ」を開業。知識ノウハウは無いものの必死の努力でメニューを開発し当時はブームになる前で数少ないエスニック料理店での船出だった。初日から数日間の内に重大なトラブルに見舞われ存亡の危機に立たされたが、家族を守る為の正に“命がけの行動”で窮地を乗り越えたそうだ。紆余曲折を経ながら、その後入社した優秀な社員に良い意味での刺激を受け、良き相乗効果と共に店舗を展開、現在異業種も含め7店舗を運営している。経営理念は、“十勝の食・人・企業を広く発信する”として「地方からでも志があれば大きく羽ばたくことが出来る」ことを示し続けている。これから飲食店を始める方には「飲食業は大変なこともありますが夢と目標持って取り組めば大変やり甲斐のある仕事です。」とエールを贈る。

炭火deジンギスカンしまだや

自分が行きたい店を作ってたら10年経っていた

佐川 公章 氏

ジンギスカン
平成19年開業

同業界で修業を終え暖簾分けという形で独立開業。当時はジンギスカンが流行っており、すすきの界隈でも行列店が多く、あえて競合店の多い立地を選択した。ジンギスカン店舗は料理はおいしいがお酒が疎かになっておりお酒好きな佐川社長自ら厳選した焼酎を常時40本以上陳列。その販売方法もお客様側に焼酎棚を設置しお客自ら選んでボトルを取り従業員に渡し提供する。自然にお客様とのコミュニケーションが取れ種類も多いのでゆっくりと食べて呑めるようになり、客単価も上昇し再来店の動機にも繋がった。ジンギスカンの他にラム焼肉やホルモンも販売し地元のお客様のニーズに答えている。継続の理由は原価ありきの価格決めではなく自店を信用してくれるお客様の相場感を大事にしているそうだ。今後の展開はすすきのまで行かなくても食べれて呑める店を作る為、昨年月寒東に出店し郊外出店に力を入れている。ニーズは常に変化していくのでやってダメだったらすぐに方向転換し挑戦し続けている。完全なるお客様目線の考え方で社長自ら飲食店を訪れた際のストレスを自店に反映させ続けた結果、10年も経っていたと語る。

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