北海道の先輩経営者からのメッセージ
人と人との輪を尊び、お客様の喜びを自分の喜びとし、一期一会の心を大切にする。
井上 孔二 氏
和食平成7年開業
会社として、東京を中心に飲食事業部を作り、また、ススキノでは、パブなどの展開を行っていた。1995年に、ブームの転換期という事を感じて、ススキノで、業態を、飲食店にシフトした。その当時は、まだまだ、本格的な和の雰囲気と、高級食材を使用した、安心安全素材の食べ放題を提供するお店は少なく、和牛などを含め、握り寿司まで味わえる、盛りだくさんなメニューが、多くの方に支持され、翌年、2号店目を出店し、更に多くのお客様に喜ばれたそうだ。長く続けられた秘訣には、“社内で、週に一度は、議論の場を持ち、皆のアイデアで進化・改良させてきた結果”と話す。企業理念は、“人と人との輪を尊び、お客様の喜びを自分の喜びとし、一期一会の心を大切にする。”事で、今後は、お店が「食」を通じてお客様に安らぎと明日への活力を提供できる場となるように日々創意工夫、練磨、遂行を積み重ねていく。
この町にもう一度チーズの灯をともしたい!
宮本 正典 氏
チーズ屋平成2年開業
生家は和・洋菓子を製造販売する菓子店。兄弟と家業を発展させるかたわら、レストランなど飲食店経営を経て平成2年、“早来は日本で初めてチーズ工場が出来た町”だったが生産拠点が十勝に移り行く様を目の当たりにした時「この歴史を守りたい」「この町にもう一度チーズの灯をともしたい!」との強い想いから夢民舎創設に参加しチーズ製造を開始。試行錯誤を繰り返し遂に、後のグループの代名詞となる「カマンベール」を作り上げた。その品質はオールジャパンナチュラルチーズコンテストでも最上位の評価を得たほどだ。その後も次々と新商品を開発し北海道民なら一度は目にしたことがあるほどの人気と知名度を得た。直営店舗「レストランみやもと」は、いわばアンテナショップの意味合いが強い。このお店で提供される豚肉は、チーズ工場でしか育てられない「究極のホエー豚“夢民豚”」と「世界が認めた早来チーズ」が主力商品のお店である。オリジナル商品、ブランド、高付加価値、差別化をテーマに“他店では食べることのできない”オンリーワンの商品が並び、接客はアットホームで心温まるサービスが魅力のお店となっている。現在は、ホエーを飲ませ育てた鶏の卵をベースとしたスィーツ開発にも力を注ぎ、今後も次世代を託す家族と共に歴史とブランドを守り培っていく。
お客様が来やすい、スタッフが働きやすい店づくりを目指しお客様の声を大事にする
遠藤 政広 氏
焼肉昭和40年開業
先代である母親が学校卒業後に東京の焼肉店へ修業入りし、あるご縁から旭川で開業したのは昭和42年頃だったそうだ。父親や祖母の他界、信頼できるスタッフの病などのタイミングが重なり、修業中の札幌から戻り家業に入る。常連のお客様から伝わる伝統の重さを痛感しつつ、時代に合わせたお店作りを模索し続けた。顧客ニーズの多様化と高齢化から座敷ではなく、テーブル席へ変更し、居心地感を重視した雰囲気とレイアウトに改装し、ワイン、日本酒なども取り揃えた焼肉店として、新たなお客様に楽しんでもらう為の企画を打ち出した。改革当初は、都会の流行をいち早く取り入れようと躍起になっていたが、ふと気がつけばどこか独りよがりな部分を感じ、地元のお客様に愛される店作りに集中しつつ、少しずつ新たなモノを加えていくようにした。長く続けて来られた秘訣は“口コミに尽きる”と常連客を大事にしてきた結果だそうだ。経営で大事にしていることは「お客様が来やすい、スタッフが働きやすい店づくりを目指しお客様の声を大事にすること」だそうだ。今後は、老舗焼肉店として多店舗化ではなく、アットホームな雰囲気で“知る人ぞ知る名店”と言われるようなお店に育てたいと意気込みを語る。
競合店に負けない努力
鈴木 泰広 氏
居酒屋平成27年開業
外食企業の取締役として勤めていた会社に骨を埋める覚悟をもって12年務めてきたが、40歳を過ぎて“後輩の成長を妨げてはいけない!後輩の活躍の場を作るため”との思いから独立開業を決意し退職した。今まで培ってきた和食料理の技術を存分に発揮できる業態を考え、“和食中心の居酒屋だが、居酒屋よりも一味違ったこだわり料理を提供できるお店”がコンセプトだ。開業当時、飲食店の経験は豊富だったが、経営者として一から始めたのは初体験で分らないことばかりだった。思いのほか内装費用がかかってしまい、不安な船出だったが奥様と共に二人三脚でお店を切り盛りし右肩上がりで売上を伸ばしているそうだ。看板メニューは、“毎日変わるグランドメニュー”で、その日に入った新鮮な魚介のお造りが人気、また青森シャモロック、手打ちそば等こだわり抜いた素材を使い季節に応じて“旬”を伝え続けている。経営者として大事にしていることは“競合店に負けない努力”でまずは選んで来店して下さったお客さの満足に集中している。これから始められる方には、“お客様に喜んでもらい社会に必要なお店になることが大事”とエールを贈る。今後は後輩を育てながら、自分が苦労した独立を支援しつつ、札幌での出店も視野に入れ多店舗展開の機会を狙う。
そろばんはじくな!ケチるな!金儲けを考えるな!
矢野 整 氏
食堂昭和9年創業
祖父の時代に小樽から始まり、後に人のご縁で帯広に移転した創業80年を越える歴史を持つ老舗店。その3代目として生を受け、東京の大学を卒業後に料理修業に入る。銀座や目白などの有名店で腕を磨き30歳で帯広に戻り家業に入った。帯広駅の店舗を任され一躍行列店に育てる。その後、関東にある百貨店の物産展への出店依頼があり、新たな一歩を踏み出したことから帯広の豚丼文化を守り、世に知らせる全国行脚が始まった。後に振り返り「経営の原点」だったと語る程の経験を積むことが出来たそうだ。“人生はドラマのようで自分に能力がなくても人との出会いでいかようにも変化できる”と実感したのは、人とのご縁から埼玉と北海道の巨大商業施設内への出店、シンガポールなどを含む海外出店など自分だけの力ではない、何かに導かれるような感覚で出会いを大切にしてきた結果だそうだ。“豚丼とかき揚げ丼”を武器に世界で戦い続け、過労から体調を崩した時期に自分を顧みて以前ならば避けてきた嫌なことを前向きに取り組めるようになり、“人は変われる!”ことを実感したそうだ。経営理念は「そろばんはじくな!ケチるな!金儲けを考えるな!」受け継できた素材を吟味した変わらない味と伝統を守り、美味しいものを出し続けることに集中し“お客様に信頼されてこそ本物”との信念を持ち続けている。今後は原点である本店をしっかり守りつつ、また新たな展開を進めていく。