広島の先輩経営者からのメッセージ
お客様に喜んでもらうためには人よりも努力しなくてはならない
濱本 雄輔 氏
和食2016年開業
21歳の時に居酒屋の調理場で働き始めたのがきっかけで、すっかり料理の世界にハマってしまった。腕を磨くために5軒ほどのお店で修業を積んだ。先を極めようとすると、当然雇用者として企業の制約をうけ限界を感じたことと、自分なりの表現で料理に打ち込みたいと考え開業を決意する。一年ほど物件を探し2016年じぞう通り沿いの小さなお店と出逢い「他にはないお店」をテーマに季節感にこだわったコース料理を提供する和食店としてOPEN。開業時は分からないことばかりで、特に資金調達は回りの方々に応援してもらわなければできなかったと語る。1~2ヶ月は苦戦を強いられたが半年過ぎたあたりから徐々に口コミで認知度が広がったそうだ。継続してこられた秘訣は?の問いに「お客様に喜んでもらうためには人よりも努力しなくてはならない。」という覚悟と「絶対に潰せない。」という決意、そして2人3脚で支え協力してくれている奥さまの存在と語る。これから始められる方には「飲食業は全て自分の責任で、自分の行動ひとつで結果が変わる面白い商売、良くも悪くも自分の好きなようにやってみて後悔の無いように精一杯努力して欲しい。」とエールを贈る。
信用
平川浩治 氏
ケーキ2014年開業
19歳の頃からお菓子作りの世界の門を叩いた。広島で3年、大阪で4年ほど修業を積んだ後、東京の有名レストランのパティシエとして12年間第一線で研鑽を積んできた。ある時、ただ好きで続けてきた事だったが、ふと立ち止まると「仕事に目標が見出せない自分がいる」ことに気づき、悩み、仕事をすることの意味から考え直した時に、経営者として独立という形であれば更に高みを目指すことができるのではないかと考えたそうだ。そして独立するのであれば自分の故郷と決めていたので2014年広島で開業を迎えた。お店のコンセプトは「オリジナリティーの追求」で今までの経験を活かし、あくまでも自分スタイルで自分にしか作れないスィーツ開発を目指したそうだ。開業時に苦労したことは、あまりに長い時間を離れた地で生きてきたので、いざ地元に戻った時、土地勘、商圏の特徴、消費行動、人の動きなどが全く分からず、慣れるまでに時間を要したことと、東京で培ってきたものが地元ではなかなかすぐには受け入れてもらえず、味を出来る限り地元の方に愛してもらえるように創意工夫を凝らした結果フランス菓子の良さと、日本の洋菓子を合わせたオリジナルスィーツが徐々に認知されるようになっていた。宮内ロール、宮内チーズタルト、広島スフレサンドなど地元を冠に据え郷土愛溢れたスィーツが看板メニューとのこと。継続してこられた秘訣は徹底して地元の方目線で、常に声を聴きながら改良してきたことではないかと語る。経営者として大事にしていることは「信用。」で、人として、職人として、全てにおいて信用が大事と考えているそうだ。これから始められる方には「覚悟を持ってあきらめず、自分の目標(夢)に向かっていって欲しい。」とエールを贈る。これからはスタッフたちの満足度向上と今までよりも幅を広げた活動を行い商品価値・ブランド力の向上を図っていく。
お客様ひとりひとりにとって「お気に入りの1店」になる
新本 一弘 氏
ラーメン2010年開業
2010年理化学機器の営業をしていた。広島から1年間の約束で大阪に単身赴任。父親の死に直面し帰郷への思いが募り苦悩と戦う中、一年延長との約束と違う辞令が下り広島での起業を決意。かねてから大のラーメン好きで日本全国津々浦々ご当地ラーメンを啜る度に想いを募らせていたが、いくら好きでもいきなりは無理、修業も必要、店舗に設備も必要と考えていた矢先、懇意にしていた方から設備譲渡の提案【物事を決めて実行に移せば道は拓ける】と思い設備を引き取り広島に戻る。すぐさま店舗も見つかり「ショットバーを経営しながらラーメン店で修業し、いずれは自分の店を持とう。」と会社からの引止めもあったが独立。想う美味しいラーメン屋の定義は、どうやって全てのお客様に「満足」していただけるかということで、はじめは全く売れないラーメン屋でしたが、お客様が来てくれるありがたさ、お客様に「おいしかったよ」と言葉をかけていただいたときのうれしさが身にしみており、それがラーメン屋を続ける原動力。また「美味しかった」では足りないと思い「あー、くまごりに来て良かった!」が大事。 お客様ひとりひとりにとって、「お気に入りの1店」になる。そのことを肝に銘じて、ラーメンくまごりはこれからも歩み続けると語る。「くまごり力」を掲げ、お客様ひとりひとりの立場に立って「なぜくまごりに足を運んでくれたのか?」「どこから足を運んでくれたのか?」「今何を考えているのか?」「何を欲しているのか?」「今、どのように感じているのか?」「今どういう状況におかれいるのか?」をひとりひとりが考え気配りし「居心地の良い空間を」作り出すこと。超あっさりから濃厚こってりまで、レギュラーメニューで全10種類。年齢・性別・味覚を問わず「好みのラーメン」を見つけることができるお店となった。「くまごり力」と「バリエーション」の2つを妥協することなく継続する事で、お客様にとって本当の意味での「お気に入りの1店となれると私達は確信しています。」と力強く語る。OPEN景気が終わった後厳しい時期が続き廃業も考えたこともあるそうだ、そこでプレスリリース、SNSを学び行動することでお客様に思いを伝えられようになり、また次々と話題性の高い新ラーメンを投入し行列が絶えなくなったそうだ。ビルの住民による出火により店舗を失うという不運にも持ち前の行動力で再開することを心に誓っているそうだ。現在は店舗での営業ができなくなりスープを分けてほしいと他のお店から依頼されたのをきっかけにラーメン店での技術を基にラーメン店向けのスープ製造、タレ類の製造、調味料の製造、広島餃子の製造、鍋用スープの製造、PB製品の開発製造を行い卸ラーメン店・中華料理店・お好み焼店・居酒屋・鍋専門店・ホテル・百貨店・大型ショッピングモール・食品商社などへ自社製品を販売している。これから始められる方に「飲食店は比較的簡単に独立開業できます。他業種のように特殊能力も資格も必要ありません。が故に簡単に閑古鳥が鳴きます。私みたいに開店後に大きな苦労をしなくてよいようにしっかり学んでから開業しましょう。」とエールを贈る。
他では味わえない心からの粋なサービス
美野 由人 氏
鉄板焼き2008年開業
元々人が好きで飲食店に勤め始めた。介護事業にも興味が湧き3年ほど従事した後、独立も視野に入れつつ飲食業に戻りたいと考えていた時に鉄板焼きの師匠に誘われ新たな店舗の開業から携わった。1年半を過ぎた頃、師匠が交通事故で急逝してしまい運営していた店舗を弔いと思い一念発起、師匠の家族にも承諾得て、借金も含めて引き継ぐこととなった。自分一人で始めるお店のコンセプトは師匠が残してくれた“元祖、焼きポテトサラダ”を武器に“日常に疲れたお客様が元気になって帰っていく美味しくて楽しいお店”を目指した。引き継いだ当初は煩雑な手続きや周りから師匠との差に対する意見などもあり、技術面の未熟さもあって、体力面でもメンタル面でも相当厳しい状態だったそうだ。ただ、そんな中にあっても苦言を呈することなく通い続けてくれた常連さん達の無言の支えもあってここまで来られたと語る。いつか、その方々に「私が育てた!」と言ってもらえることを想像しモチベーションに変えて頑張っているとのこと。継続してこられた秘訣は?の問いに「計数管理」を上げ、特に原価管理を徹底したそうだ。目先の利益ではなく“他では味わえない心からの粋なサービス”と思っていただけるように努めた結果で、嘘をつけない性格のため人を嫌いにならないように努力を続けてきたそうだ。今後はきちんと人を育てられる経営者を目標に10年後20年後ここを巣立った卒業生達に良いお店を作ってもらいたいという目標を掲げ邁進していく。これから始められる方には「開業したいと思ったのであれば始めた方が良いと思いますが、誰に喜んでもらいたいのか、しっかりと設定して欲しい。」また「お金の管理が苦手なのであればプロに依頼したほうが良いと思います。」と自分の経験からのエールを贈る。