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飲食店先輩経営者からのメッセージ

すでに飲食店経営者として活躍されている先輩経営者から後輩経営者に向けてのメッセージです。
これから共に飲食業界を引っ張っていく後輩経営者へたくさんのメッセージが寄せられています。

北海道 道央の先輩経営者からのメッセージ

株式会社セイウニカ

「北海道にジェラートのある風景を・・・」

増谷 尚紀 氏

ジェラート
2006年 開業

パティシエとして、修行中の2001年、イタリアで、本場の洋菓子を学ぶ。その後、フランス、イギリスと渡り修行。帰国後、ホテル勤めを経て、平成18年、31歳の時に、約10坪の工場を構えて起業。イタリアで、ジェラートは、“広場で気軽に楽しむ食べ物”で、出身市地の函館と修行地ローマの緯度が同じ事から、北海道にも同じ光景を作りたい!と考え、立地に左右されない、移動販売車からスタートした。会社名の“セイウニカ”とは、イタリア語でいう「オンリーユー」の意味だそうだ。開業当初の食べるにもやっとの苦しい時期を、志を忘れず、家族と共に乗り越え、現在7ブランドの飲食事業を展開している。転機となったのは、友人からの依頼で作り始めた、”北海道食材を使用したジェラート”だった。全ての食材を北海道産にして、日替わりのリクエストに応える為に、研究・開発に励み、レシピ数も約200アイテムを超えた。商品開発時に最も、気を遣うのは、イタリア人の師匠の教え“美味しい素材を贅沢に使う”事だという。今後は、札幌原産の希少ないちご「さとほろ」の種を存続させつつ、多くの農産物を使用した加工品を製造・販売する取り組みを含めた、農家さんの支援に繋がる活動に力を注いでいく。

合同会社オーエスカンパニー

「好きな事をやって、飯が喰えるって最高じゃない!」

須藤 正勝 氏

バー
2009年 開店

19歳の時、飲食店で勤め始め、“人と良いコミュニケーションをとると、こんなにもお客様が通ってくれる”という事を知り、接客業の魅力にはまった。その後、普通のサラリーマンとして様々な職種を経験するも、改めて“自分は、接客業が好きだ”と気づいて復帰、それからは、飲食店一筋で今に至る。30歳半ばで、友人らと共に“音楽とお酒”がテーマで、人と人との繋がりを大事にするバーの共同経営で独立。焼肉店のなども手掛け、39歳の時に、現在の業態である「ONE STAR BAR」を開店した。お店のコンセプトは、音楽とお酒が繋いでくれる様々な“共感”を得られるお店だ。経営面で大事にしている事として、飲食店は、常連さんになってもらうには、時間がかかるが、お店を離れるのは一瞬だという事を、経験から知り、お客様に”常に発信し続ける企画力“を重要視している。ある芸能人が言った「好きな事をやって、飯が喰えるって最高じゃない!」という言葉に共感し、好きな事を職業にできる幸せを噛みしめつつ、継続する事の大切さを忘れず、今後も大好きな飲食店を、仲間や、横の繋がりを大事にして、北海道の食材の魅力をアピールし、人材が育つ環境を整えたお店づくりを目指していく。

STYLE FOODS株式会社

「2番手3番手が居てこその社長業!」

佐野 浩輔 氏

ラーメン、居酒屋、焼肉、その他
2008年 開業

幼い頃から、料理を作る事が大好きだった。社会人になり、他業種の様々な職業を経験しながら、いつしか、自分の好きな事を仕事にしたいと考えるようになった。一念発起して、29歳の時に、札幌市内の超人気焼肉店、超人気ラーメン店で、約6年間しっかりと修行を積み、貴重な経験と、ノウハウ、技術を修得した。平成20年に手稲区で、ラーメン店「麺屋サスケ」を開店。当初から、夜の時間帯のお客様に絞り、昼の営業なしに、夜のみで勝負した。修行時代に培った技術の全てを注ぎ込み、作り上げた清湯スープのこだわりの一杯が、多くの方に受け入れられ大人気となった。その後、居酒屋業態「旬菜Diningサスケ」、「焼肉どんどん」を展開、そして、2014年グループ初の道外出店を果たす。数々の失敗を経験し、学んだのは、「経営に関する全ての管理を人任せにしない!」という事が、最大の収穫だったと、当時を振り返る。経営理念は、“有能な2番手3番手のスタッフが居てこそ、社長が輝く!”と考え、“人材を大切にする”事を一番に考えている。今後は、10店舗を当面の目標に、スタッフの活躍の場を提供する為の出店を行う。

たつみキッチン

「地域の人に愛される店づくり!」

辰巳 裕一 氏

イタリアンレストラン
2007年 開業

元々、大手飲料メーカーに勤務しながら、憧れていた職人仕事を生業として生きたい!との思いから転職。大阪・札幌の飲食店で約5年間の修行に入った。どうせやるならば、独立して自分で会社を立ち上げたいと考え、妻の故郷である札幌に移住し、飲食店のオーナーシェフとして、39歳の時、平成19年に札幌市豊平区で「イタリアンレストランTATSUMI」を開業し、職人の道を歩き始めた。OPEN後は、経営者の感覚よりも、“いいものを作ってさえいれば、いつかお店は、繁盛するはず”、との幻想を抱き、満足な販促なども仕掛けていなかった事が、苦戦した要因だったと当時を振り返る。平成25年に白石区に移転。移転を機に屋号を「たつみキッチン」とし、身近な「街の食の便利屋さん」という立ち位置で、近所の人から、愛される地域密着型のお店を目指した。メニューは、ピザやパスタ等の素朴なイタリア料理をメインとしており、特に、自家製のスモークチキンを使用した料理が、人気だそうだ。今後は現店舗で、料理人(職人)として、より美味しいものを追求しつつ、飲食店経営の原点・基本を大事にし、オードブルなどのテイクアウトにも力を入れ、夫婦でコツコツと頑張っていく。

もつ処 やまり

「満足して、笑顔になって帰ってもらうのがお客様と自分との絶対に守るべき約束」

山口 裕也 氏

鉄板焼き
2011年8月開業

飲食店に務め、料理の修業している時、ホルモンの魅力に気づき、“ホルモンを鉄板焼きで提供するお店”の開業を目指して準備した。尊敬する社長のもと、経営を学びつつ、料理を研究し続けた。「廃棄される事が多い、ホルモンも元々は大切な命なので、感謝して、美味しく食べないといけない!」目指すは「内臓廃棄率0%」だ。その為には、当時北海道では珍しかった、内臓料理専門店を作ること。平成23年、イメージ通りの“ちょっとハズレた裏路地感の漂う物件”に惚れ込み、オーナーに直接情熱を語り続けた結果、人柄を買われ、大手競合を抑えて、入居が叶った。関わった全ての人に、可愛がって頂ける、愛して愛される人と人との繋がりを大切にして、「満足して、笑顔になって帰ってもらうのがお客様と自分との絶対に守るべき約束」であり、どんなに大変で、苦しい時も、“居心地の良い、こだわり研究し、素材を活かしたモツ料理専門店”のコンセプトは崩さず、お世話になった方々の為にも、信じた道で、努力し続けた結果、2年位が過ぎた頃、口コミから、火が付き話題店になった。道内の生産者さんも驚くほどの美味しいモツ料理がやっと受け入れられたのだ。今後は、加工・物流も視野に入れつつ、もっと気軽にモツ料理を楽しめる業態展開を行い、高齢者が笑顔で働ける雇用の場を生み出したいとの夢を描く。

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