北海道 道央の先輩経営者からのメッセージ
「お客様が先生!」
大地 兼右 氏
居酒屋昭和59年 開業
元々、東京での大学時代に、たまたま友人のピンチヒッターとして、日本のTOPが集う超高級飲食店のアルバイトに入り、飲食業の魅力にすっかりハマる。以来、学業もそこそこに、飲食店での修業に入った。結婚し、子供が生まれた事を機に、子育ての環境を考えて、札幌に移住。奥様の「あなたなら出来る!」の言葉に励まされ、昭和59年ススキノで、「居酒屋花咲」を開業する。幼少の頃から、地元で獲れる“カニ”が、とても身近な存在として普通の生活の中にあった事と、地元の強いパイプもあり、より新鮮なモノを提供したいとの思いで、当時では大変珍しかった、生け簀を導入した“活カニ”の提供を始めた。1台数八十万円のチタン製テーブルを3台導入し、お客様の目の前で、活カニを調理する独特の調理提供方法が、注目を集め、押しも押されもせぬ人気店となった。病気や、怪我などを乗り越え、長年お店を続けてこられた秘訣は?の問いに、“お客様が先生となって色々な事を教えてくれた”、“お客様に喜んでもらい、お金を頂ける、飲食の仕事は本当に楽しい!”と笑顔で語る。今後は、現店舗を奥様と共に守りながら、若手に活カニ料理のノウハウを提供し、東京や、アジア各国で、北海道のカニ料理を広めていく。
「長靴でも気軽に来てもらえる、大人の喫茶店」
山本 祐実 氏
カフェ平成24年 開業
元々、看護師を経験し、結婚後、ご主人の会社の経理を手伝う傍ら、マッサージ店を経営していた。事務所として借りていたお茶メーカーの社屋移転に伴い、来客時のおもてなしや、お茶の販売スペースに使われていた物件が、居抜きとなる事を受け、カフェ開業を決意する。全く知識の無い中で、友人・知人の助言を得ながらの開業だったとの事。お店のコンセプトは、4、50代から年配の方々に、長靴でも気軽に来てもらえる、“大人の喫茶店”を目指した。開業から、10ケ月程は、どうやって資金繰りが出来たか記憶に残っていない程、苦労した時期もあったそうだ。浮上のきっかけになったのは、開業当初からのメニューで、どこか懐かしいんだけど、自分では絶対に作れない、格段に素朴な味わいの“パンケーキ”が、人気雑誌媒体の記事に取り上げられ、続けて、TVで紹介された事と、ホームページとSNSに、力を入れ、更新し続けた事が、口コミとなり、徐々にファンを増やしていったそうだ。経営で大事にしている事は、“スタッフに楽しく働いてもらう事”で、大人として、メリハリのある仲間意識を重視し、苦しい時も共に、支え合える環境作りに力を入れている。今後は、“かのん”をブランドとして育成していく取組み行っていく。
「こだわりを持ちつつ、ニーズに合わせる」
佐藤 純基 氏
ダイニングバー平成15年 開業
フランスのレストランで、約2年修行し、帰国後、札幌で勤め、準備を始める。1年程で、良い物件と出逢い、平成15年に、中央区で開業した。若い世代にも、フランスの伝統料理を気軽に楽しんでもらいたいとの思いから、カフェ・ブラッスリーをイメージした雰囲気のお店作りを目指した。開業当初より、モダンなフランス料理が多い中、古き良き食文化を啓蒙し、アルザス地方の郷土料理、“シュークルート”や、フランス領であった、モロッコ料理、“クスクス”など郷土色の強い料理がお勧めだそうだ。長く継続できている要因は、“スタッフに恵まれた事”、“向上心を持ち続ける事”、“こだわりを持ちつつ、ニーズに合わせる事”が大事だと考え、常に変化をさせてきた結果と分析する。経営面では、財務も大事だが、“自分・スタッフ・雰囲気・料理など全てを駆使して、お客様に伝える事”を大切に考えている。今後は、現店舗の維持発展の為にも、新たな逸品メニューを作り上げ、より多くの人にフランス料理の素晴らしさを伝えていく。
「自宅に親しい友人を招いた時のような気持ちで、お客様をお迎えする」
吉江 恵一 氏
ダイニングバー平成19年 開業
自分のお店を持つ事が夢だった。高校時代、喫茶店でアルバイトをした時に、“天職”と感じた。飲食の道を志し、調理師学校を卒業後、札幌グランドホテルに就職し、修業に入った。その後、ホテルのサービスを学び、寿司、バー、洋食など様々な業態を経験していく。2007年39歳の時に、食事と会話を楽しめる空間で、自分が行きたくなる、こんなお店があったらいいなと思うお店作りを目指し、「Osteria YOSHIE」をOPENした。元々、道南の漁師家に生まれ、幼い時から、父が獲り、母が料理する美味しい魚介料理を、札幌の方にも味わって頂きたいとの思いもあったそうだ。長くお店を続けられている秘訣は、“お客様への愛情”で、自宅に親しい友人を招いた時のような気持ちで、お客様をお迎えする事と、スタッフに対しても子を持つ親と同じような気持ちで接する事だそうだ。経営者としては、“これでいいと思わず、常に細心の注意を払う”事を重視している。今後も、今まで通り、来てくれたお客様お一人お一人と、食材、スタッフ、お店に対しても、惜しみない愛を持って接していく。
「先義後利」
樫原 芳也 氏
居酒屋平成22年 開業
商売家系に生まれ、飲食店が、身近な存在だった。いつか自分も経営者になりたいとの志から、調理師専門学校卒業後すぐに修行に入った。20代後半までは、腕を磨き、それ以降は、職人気質に偏り過ぎないように注意しながら、ホールを含めた飲食全般を学び、多店舗運営や、店舗管理のノウハウを吸収し、33歳で、念願の独立を果たす。屋号は、実家で母親が営むお店、「山海」を引き継いだ。数多ひしめく飲食業界で勝つ為には、明確なフォーカスポイントを作るべきと考え、鶏、豚、海老を主原料とした“つくね”に特化。平成22年、平岸で、地域密着、宅飲みの雰囲気を醸し出した、「つくね山海」を開いた。ドリンク・フードは、280円から提供し、より地域の人に気軽に来てもらえるように配慮したお店作りだ。初回来店客のほとんどが、その価格と、形状・ボリュームのギャップに驚くそうだ。開業当初、告知方法について、試行錯誤はあったものの、順調に業績を伸ばし、現在は、3店舗を展開するに至った。経営で大事にしている事は、“先義後利”の精神で、真心を込めて、尽くせば、利益は後からついてくるという理念で、お客様、業者さんを含めた関係者と、WINWINの関係を構築している。今後は、理想の味を追求しつつ、つくね山海をより浸透させ、外販事業にも精力的に挑んでいく。