北海道 道央の先輩経営者からのメッセージ
関わってくれた人との縁を大切にすること
柳田 悟 氏
そば平成2年8月開業
高校卒業後「調理」と「インテリア」のいずれかの道に悩む。東京で専門学校を卒業後インテリアデザイン業界で勤務し、23歳の時に家族が経営していた「土木会社」を手伝うため札幌に戻ることになった。32歳の時にもう一度「調理」の道を考え調理学校に入学し、先生の推薦により某そば名店での修業を始める。出会いに恵まれ全ての仕事を習得する機会をあたえれる傍ら「高級そば店」として名の通っている修業先の技術を駆使し、自分は「大衆に喜ばれる そば店」をやりたいと3年の修業を経て開業する。間もなく軌道に乗ったが苦難は何度となく訪れた。社員食堂のように来店していた大企業の事務所が移転した途端、売上は深刻な状況になった。すぐに近隣病院の出前で持ち直すが、その病院も閉院すると、またも深刻な事態になる。さらにワンコインランチの競合出店や景気の変動、何度となく苦難に苛まれるが「与えられた食材をいかに自分の技術で旨いそばをつくるか」「しっかりやりさえすれば上手く行く」と信じ、どんな時も仕事を楽しんでいたそうだ。その頃「チラシ制作の広告」が目にとまり、フリーペーパーへ折り込むことで徐々に売上も戻り開業から26年を迎える。「人との縁を大切にすることで続けてこられた」「これからも仕事を楽しみながら体が動く限り続けていきたい」と、やわらかい笑顔で語る。
情熱を持って、なぜ自分が飲食店をやるか?!の追求
黒木 一哉 氏
そば平成19年開業
元々歯科技工士として活躍するも不慮の事故により怪我を負い歯科技工士を続けられない状況となり、自分の将来を考えた時にそばが好きだから、そば屋をやろうと決意した。資金作りの為飲食店関連会社に勤め、そば屋にも出入りし見て学びながら3年と決めた期間に資金を貯めた。2年間、店に立つが元々料理好きではあったものの、家での料理と商売の料理の差が大きい事と看板メニューの開発に苦しんだそうだ。他社と同じ事をやっても差別化はできないと考え試行錯誤の末“ザンギそば”を開発。提供方法もザンギを別盛りにする事でサクサク感も楽しめ、そばに入れて、かしわそば風に食べる事もできる看板メニューとして育てあげた。継続の理由として自分が思う商品レベルが95点以下の物は提供しないと決め、妥協しない姿勢を貫き通し確実に常連客を作っている。現在は10店舗以上を展開し本当の幌加内そばの美味しさを伝えている。今後は幌加内そばへの情熱をもっているパートナーを見つけさらなる店舗展開をしていく方針だそうだ。なぜ自分が飲食店をやるか!?やったらどうなるか!?の明確な答えをどこまでも追求し続ける。
先代の良さ活かし、新しい風を起こす
佐藤 直樹 氏
焼肉平成19年開業
創業23年の老舗焼肉店を平成18年に引き継ぎ社長就任。先代が大事にしていた事は残しつつも自らの思いを形にしている。就任時は正直売上は芳しくなく回復に自ら先頭に立ちキャンペーンやPOP作成も行い客数・売上の増加を成し遂げる。常に自店や業界を客観視しており、ただの良い肉を並べても差別化は計れない事からオリジナル商品である“さとうの牛たん”を販売。当時、焼肉は赤みが良く、霜降りなどが良しとされていたが“さとうの牛たん”は漬け込みを行う為色味は正直良くない。否定的な意見もあったが味は格別な為現在では必ず注文される看板メニューに育った。継続の秘訣は“無理はしない”ことで、無理はトラブルしか生まない為、店舗オペレーションにも反映させ従業員同士のコンビネーションが良くなり結果お客様の事をしっかり見れる接客ができており離職率も低い。今後は足場固めを目標に改めて人財育成に力を入れていく考えだそうだ。常に次も来店したくなる仕掛けを行い、お客様を飽きさせない店作りに励んでいる。
最善をもとめて最悪に備える
河合 康治 氏
カフェ平成25年開業
海上自衛隊で5年間、船上コックを経験する。その後4年間オーストラリア、アイルラン
ドでレストランやバーで勤めながら海外で過ごす。帰国後も飲食店に勤め札幌に移り住む。ゲストハウスと併設した飲食店として河合珈琲を立ち上げる。古民家をベースにお店作りを計画するが開業までの道のりは険しかった。物件はゴミ屋敷状態での引渡しとなり片付けや解体処分に半年かかる程だった。店内で提供される珈琲豆は丁寧に自家焙煎、テイクアウトもできる。決まったブレンドはなく会話をしながら、その時々のお客様の「好み」や「気分」にあわせ、その場でブレンドして提供する。人とのつながりを大切にしているのは、河合氏の人柄からも伺える。ビジネスとしては100%理想通りのことはないから、理想は追いすぎずバランスを考え判断しているという。「計画」「理念」「現実」があり、その上で「時流」と「運」をどう掴むかを意識しながら、同時に最善を求めて最悪に備える努力を日々続けている。
食べ物に対する「責任」はお客様へも自分にもある!
磯 義司 氏
ラーメン平成17年開業
ラーメンチェーンで6年間、調理からSVなど多岐な業務を勤める。提供しているラーメンについて義理の父親から「缶詰ラーメン」と指摘される。当時、手作りの大切さを考える出来事が重なり転職を決意する。某有名拉麺店で3年修行し「全ての食材から調理に至るまで説明できる1杯を、一から手作りで作りたい」という想いで独立開業する。10周年を迎えた今も「これでいいのか?」「やり残したことはないか?」と常に考えている。食材もこだわっており生産者から直接仕入れもする。直接生産者からいち早い情報を知ることで調理に役立てる。もうひとつ大切にしていることは「こだわりの食材を、いかに集中し調理できるか?」まずその環境を一番に考えている。掃除や包丁の研ぎ方にいたるまで「やり残すことがない」ように日々続けている。それができるのは「家族の支えがあって、好きじゃないとやってられない」という家族への感謝と仕事に対する想いである。これからも好きな事をどこまで全うできるか?を目指す。