北海道 道央の先輩経営者からのメッセージ
現状に満足せず安心することなく常に自分自身を疑い続け行動し続けることが大事!
森谷 祐至 氏
バー平成26年開業
元々料理人として勤め始めた頃から独立開業を目指し貯蓄を開始。きっかけとしては勤め始めて10年の節目であること、経験を積めたこと、資金計画に目途がついたことで2014年の開業を決意した。これからの時代の飲食店は継続が極めて難しいとの考えから、より個性的なオリジナリティーを模索した。そしてビール好きだったこと、1994年の規制緩和で全国で地ビールブームとなったことを見ていたこと、北海道ならではモノ、小さな商圏から大きな市場に打って出られる商品力を持つこと、ビールの多様性をもっと多くの人に知ってもらいたいとの欲求など様々な理由により自家製造のビールとオリジナル料理を提供する業態を考え出したそうだ。多くのビール醸造の関連本を読み、市内にある地ビール店に飛び込んでは教えてもらうなどの努力を重ねた。開業当時は資金不足により販売促進に予算をかけられなかったので、SNSなどを駆使して無料で使えるモノを最大限に活用し告知に励んだそうだ。ここまで継続してこられた秘訣は「目の前のことを一つ一つ真摯に対応すること」「相手の身になって考え繋がりを大切にすること」と語る。経営者として大事にしていることは、良い商品提供は当たり前として「数字管理!」をあげ、“どんなににいい目論見でも資金があってこそ出来ることがある”と考えている。これから始められる方には「現状に満足せず、安心することなく常に自分自身を疑い続け、行動し続けることが大事!」とエールを贈る。今後は、お店の土台作りをよりしっかりと行いつつ、ブランドを構築し、まだまだ自店は知られていないとの意識で広く多くの人に魅力を発信し続けていく。
一口食べると泣きたくなる程、美味しい料理を目指す!
金田 二朗 氏
フレンチレストラン平成24年開業
フランス料理に入門し、東京で修行した後、本場の料理を学ぶべく、渡仏。約5年間現地で、腕を磨いた。帰国後ご縁を頂き、札幌で料理長を任される事となり、移住する。約4年間にわたり、繁盛店として、名を馳せるも、新たなチャレンジをするために、独立を決意し、2012年、「北海道のフランス料理 サヴール」を開店した。コンセプトは、敷居が高く感じられがちな業態の垣根を取り除き、ハレの日の特別食ではない、気軽な美味しい料理が食べられるお店として、また、業態では珍しいフルOPENキッチンで、調理する音、香り、会話、調理風景など、5感に伝えるお店作りだ。開業後半年程は、集客に悩んだ時期もあったが、奥様との2人3脚で、徐々にお客様が増えていった。志は、狭い商圏で、お客様を奪い合うのではなく、広く日本全国から、来店して頂けるようなお店になる事だそうで、“一口食べると泣きたくなる程、美味しい料理”を目指し、常にお客様に感動して頂ける、料理と、気持ちのこもったおもてなしサービスを提供し続けている。今後は、業界自体の魅力、楽しさ、やりがいを享受できるようなお店を増やし、志のある人材の活躍の場を作っていく。
無我夢中!必死!
山下 真幸 氏
そば平成4年開業
元々銀座立田野で17年程修業を積み、大阪の百貨店内の出店の際に店長として赴任するも、娘が環境に合わず急性アレルギーを患ってしまったことをきっかけに、自然環境の良い地域の中で子供を育てたいと願うようになったが、雇われの身では難しいと判断し、土地勘のあった札幌での独立開業を決意した。今まで培ってきた甘味とそば、釜飯の中からそばを柱に据えた。ただオフィス街立地を考えたときに、ランチはある程度見込めたが、夜の時間帯での集客を考え、居抜き前店舗が居酒屋として営業していたときの固定客もいたことから、当時ではまだまだ世に出ていなかったお酒やおつまみも提供する「そば居酒屋」としてスタートした(元々江戸時代のそば屋は居酒屋の原点とも言われている)。開店後も研鑚を積むため営業終了後に3ヶ月程居酒屋に修業に入り腕を磨いたそうだ。継続してこられた秘訣は「無我夢中!必死!」家族を養うために研究を重ねとにかく働いた。休みの日は他店舖視察に回り、自分の味を研究し続けた。そして一度自分の味はこれだ!と完成した味は、決して変えずにいつ来ても同じ美味しさが出せるように努力を重ねたそうだ。今後は、創業30年を目標に後継を考慮しつつ日々美味しいそばを作り続ける。
目配り、気配り、お客様とのコミュニケーションは、すぐに出来る店内セールス
岸井 二郎 氏
居酒屋、焼とり1999年11月25日開業
札幌パークホテルに23年勤務。同ホテルを退社した先輩が経営する焼鳥店に遊びに行っていた際、焼鳥店経営を勧められ、一大決意。
先輩の焼鳥店で10か月間修行しながら開店立地を調査。人の流れをリサーチし、周囲からは創生川東という悪条件の立地ということで反対が多かったが、飲食店も付近に2軒ほどしかなく、同業態店でもないため、現・店舗裏側の中小路で開店を決意(現在の場所は、開店7年目に移転)。当時まだまだ少なかった「美唄焼鳥」を目玉としてサラリーマンの方々が頻繁に来店していただける隠れ家的な店を目指した。商品の前に「人」が重要との考えから、メニューの変更や産地なども直接お客様と対話しながらアピールした。お客様の顔と会社などを覚え、同業種同士や同じ会社員同士のお客様の席を配慮することも。現在は、増築した2階フロアの増客で目標額達成を計画しつつ、目標達成後には次の店舗へのチャレンジも視野に入れている。
これから開業される方には“その時、勢いで開店するよりも、一歩留まってマーケットリサーチ(商圏調査)をすることが大事で、開業したらお客様がどうしたらリピーターになっていただけるのか、店内セールスを大事にすると良いと思う”とエールを贈る。
毎日が苦労だが、苦労が仕事と認識して向かい合い決して逃げないこと
西川 誠一 氏
レストラン昭和34年開業
元々両親が郊外で、牛乳・パン・ラーメン・そば・洋食を提供し、修学旅行生や、近隣の住人の方々に愛される食堂を経営していた。高校時代からお店に立ち、大学卒業と同時に修業に入った。その後、中心部に移転。時代の流れもあり本格的な洋食店として、新たな地域でも多くのお客様の支持を得たそうだ。愛され続けるお店のコンセプトは“地域の方々が飽きずに毎日食べられる美味しい洋食のお店”だ。人気メニューは創業当時からの “ハンバーグステーキ、ポークチャップ、カレーライス、スパゲッティー、オムライス”などで、55年以上にわたり変わらぬ味を守り続けているそうだ。経営で大事にしていることは“時代時代のお客様ニーズに叶う商品の探求とそれに見合う価格設定を考え実行すること”で、“毎日が苦労だが、苦労が仕事と認識して向かい合い決して逃げないこと”が重要と話す。これから開業する方には、「食は人の基本だが、生き残るのは余程の覚悟を決めた人だけ、経営戦略をたて、人材を育成しより良い食の世の中に功献して欲しい。」とエールを贈る。今は時代の変わり目と思い新しい感覚を取り入れながら、チェーン店や時代にのまれず、先を読みながら老舗の経営を続けていく。