北海道 道央の先輩経営者からのメッセージ
お客様はもちろん、料理長やホールスタッフが大事
栗田 美鳥 氏
和食平成23年開業
当時17店舗を有する青木商事へ入社し、青木商事が有するすすきの有数のキャバレー「エンペラー」支配人に就任。「エンペラー」閉店後、平成19年にミニミニエンペラーを目指した「スカイラウンジピュア」をオープン。 「エンペラー」時代のお客様が来店され、女性スタッフにも恵まれ、その後、2号店、3号店と順調に姉妹店をオープンさせたという。
エンペラー時代に青木商事で運営していた“しゃぶしゃぶ”の店と1次会&2次会パックを作り、それがヒットしていたことが、現在のしゃぶしゃぶの店『彩食健美 くり田』開業につながったという。
現在は、スカイラウンジピュアとの “くりピュアパック”。さらに月曜限定 happyマンデー は、どの時間に入店してもラムしゃぶ食べ放題が1,980円、火曜日はラムしゃぶ含めてのコース女子会プラン、など曜日ごとにいろいろプランを造成、くり田には楽しい1週間がある、と思っていただくように考えた、と話す。
しゃぶしゃぶの店として有名なくり田だが、和食メニューにも力を入れており、お客様が飽きないように定期的にメニューを変更、また素材の良さをロスの出ないよう余すところなくお客様に提供しているという。
一番大切なことはスタッフの資質。某有名ホテルの和食店で腕を振るいオープン当初からの料理長は、今でも腕の研鑽を重ね、平成27年、調理技能コンクールで「銀賞」を、翌平成28年には同コンクールで「金賞」を受賞した。ホールスタッフは意識の高い現在のスタッフに落ち着くまで時間がかかったと話す。
店内は、オープンキッチンでオープンカウンター。調理場とカウンターでも話しかけられる間近な距離。五感を大切にしており、清潔感はもちろんのこと、肉のスライスをしているパフォーマンスを見て頂くこと、お客様との会話も重視している。お客様とは、たれの説明でも何でも必ず一言添えるなど、料理長もホールスタッフもお店の雰囲気づくりを心掛けてくれている、とスタッフを大切にしている姿勢がうかがえた。
「高価」と取られがちではあるが、決してそんなことはなく、自分にとって大切なひとときと思って頂けるような「くり田ならでは」という空間を意識しているという。「同じ時間」そして味を通して喜びを分かちあう、それは世界共通、いつか1軒だけでも良いから世界のどこかに「くり田」を出店したいと未来を語る。
“美味しい”は、当たり前。 “笑って”帰ってもらうサービスも美味しさのひとつ
安岡 清人 氏
まぐろ専門店平成16年開業
22年間、飲食店の調理人として働いていたとき、奥様がパートで働いていた魚屋さんが「海鮮料理まぐろ屋」として、まぐろ専門の料理店を(現住所同じ)オープンすることになり、その調理人として招かれたそうだ。働き始めて4年目「この店を買わないか?!」と打診された時「いつかは店を持ちたい」と思っていたので、お金の苦労や経営できるか、不安は沢山あったが、自分の店として平成16年の開業に至ったという。
店主になったころは、お店の借金はもちろん、家の借金もある上、子供が二人とも私立高校。それでも何とか経営できたのは、景気が良かったことはもちろんだが、「海鮮料理まぐろ屋」で経営していた4年間の業態を変更せず、そのままのスタイルで営業したから、だと語る。
自分の店になったから、自分たちの好きなように出来るが、居酒屋とか他の業態に変更していたら、どうなっていたか分からない。経営が変わってもリピーターも居たし、まぐろに特化していたからこそ、4年後に訪れた不景気(リーマンショック)も乗り越え、今でも何とか続けていられる、と話す。
現在は、自分の店になる前からお客様のサービスに努めていた奥様と二人三脚での営業。
看板メニューの特製まぐろ丼は、秘伝の継ぎ足し特製だれの味とボリューム感そして値ごろ感がお客様の心を捉え、自家製の味付けとよく練ることによりフワフワっとした食感が好評のねぎとろ丼を筆頭に、まぐろの仕入にも目を利かせ妥協を許さず、自信を持って出していること、まぐろ料理以外にも旬の味覚も好評だそうだ。さらに店名に冠している「笑み処」はお腹一杯食べて笑って帰ってもらいたいという思いを込め、サービスにも人一倍心を込めている。
和食調理人をしている次男が将来、この店を継いでくれると嬉しいと語りながら『商売は本当に大変で、経営の厳しい時代。分からないことは、恥ずかしがらずに聞く、そして助けてもらえることは助けてもらうことが大事。人は必ず何か食べる、他に負けない特徴が必要だと思う』と、これからお店を出すことを考えている人にエールを贈る。
社長が一番元気でいること
武田友貴氏 氏
レストランバー2010年開業
長年にわたり様々な業種・業態のお店(客単価3000円の居酒屋から、10000万円のホテルレストランなど)に勤めてきた経験が今に結びついている。それらのお店で学んだことを全て注ぎ込める自分スタイルを発揮できる舞台を作りたいと考え独立を決意した。初めはバー業態のお店の経営からスタートだった。最初の壁は「お店を開いても思った以上に友人知人は来ていただけない。」ということに気づき、立地に合せ営業時間の変更や魅力的なイベント企画など次々にリリースし軌道に乗せていった。様々な紆余曲折を経て2015年に移転・業態変更した、コンセプトは「うまくて、1人でも来られる本物の九州料理が味わえるお店」として、九州料理=もつ鍋!という北海道に住む人がイメージする九州料理ではない本場の料理を提供している。中でも一番のおすすめは“馬刺し”だそうで、ほとんどの食材がそうであるように九州から直接仕入れた品物ばかりだ。継続してこられた秘訣としては「お客様を決して裏切らないこと」何故なら“美味しいものを仕入るのもお客様が支払ってくれたお金で買わせてもらっている”という意識を常に持っているからだ。そして経営者として一番大事にしているのは「社長が一番元気でいること」お客様はお店に“楽しさ”を求めて来店されるのに、「楽しめ!」とスタッフに対して怖い顔で教える上司にはなりたくない、とのポリシーからだ。これから始められる方には「よっぽどのウリがない限りは難しい業種と覚悟して、自分を守る軸をしっかり持って、臨んで欲しい」とエールを贈る。今後は、九州に北海道料理のお店の出店も視野にいれた色々なチャレンジを行っていく。
飲食店淘汰の根本的原因は“人的資源の流出”と“経営者としての勉強不足”
代表取締役 渡部龍哉氏 氏
複数業態、多店舗平成18年開業
元々アパレル系の会社を運営しながら夜は飲食店に勤めていた。アパレル業界は、“洋服目当てのお客様に来てもらう業種” で“飲食店はお店の魅力でお客様が来てくれる業種”という魅力に気づき、一念発起して飲食店経営を始めることを決意した。初めはバー業態での船出だったが志したのは、100店舗100業態。独自のスタイルで様々な店舗を増やし、今や海外6店舗を含む16店舗を展開する。開業時に苦労したことは?の問いに「夢中でやっていたので苦労も苦労と感じていなかったのでは・・」と当時を振り返る。生存競争の激しい業界の中で10年以上継続してこられた秘訣を「経営に対して真面目に取り組んできた結果」とあくまでも謙虚な姿勢を崩さない。90%以上が淘汰される業界の根本的原因を“人的資源の流出”と“経営者としての勉強不足”との考えから、経営で最も大事にしているのは「人」と「教育」で、お客様にとっての満足と、その満足を提供する人材(スタッフ)の喜びを最も重視しているそうだ。これから始められる方に対しては「やりたくないことをやり続けなければならない仕事!との決意が無ければ難しいのではないか。」とエールを贈る。今後は海外展開を含む目標目指して、時代を読み、ニーズをつかみ、トレンド、状況に対応しながら景気にブレナイ経営を進めていく。
原材料に勝る商品なし
勝俣 克廣 氏
レストラン昭和44年開業
昭和44年23歳の時に、牛乳生産に特化する酪農を営むため両親と共に神奈川県箱根市から北海道千歳市に移住し、原始林を伐採・開拓する所からスタートした。新しい土地には“地力”がないため止む無く化学肥料を使用するも牛たちの健康面に影響が出たため“いい牛が元気で生きられる牛のための有機栽培”を目指し悪戦苦闘の末、土壌改良に成功。微生物との共存共栄のバランスをとり、トウモロコシやジャガイモ、大豆などの輪作を行っている。生産・加工・体験・観光・飲食店を兼ね備え“人とのふれ合い”を重視した観光牧場は大人気となりシーズンに関わりなく多くのお客様で賑わう。自慢のソフトクリームや、国内でも珍しい“水牛(地中海)のモッツアレラ”は食べた人に感動を贈り続けている。平成元年にファームレストランを開店し、本格的な6次産業化に着手“原材料に勝る商品なし”の志で、高付加価値な素材を重視したステーキやハンバーグなどの料理を提供している。今後も来場して下さったお客様にリラックスできて、楽しい・嬉しい環境づくりを続けていく。