北海道 道央の先輩経営者からのメッセージ
“日本料理を通じて”お客様に喜んでもらうこと・・・・・
中田 潤 氏
和食2013年開業
19歳で日本料理の門を叩いた時から将来は自分のお店を持つことを志していたそうだ。大阪や京都で10年程修業していた時、北海道定山渓温泉の名旅館から「“副料理長”として2年程力を貸してくれないか?」と誘われ北海道の食材にも触れてみたいと思い引き受けたそうだ。約束の2年を迎えた頃、様々な選択肢の中で“料理長”として厨房を預かることを決め以来10年という長きにわたり名旅館の名を全国に知らしめる活躍となった。節目を迎えた時、門を叩いた頃からの志を実現するため遂に開業を決意。目指したのは店名の由来にもなっている“潤い”と“花”をテーマにした日本料理店で、“毎日毎日忙しい喧騒の中で道の片隅に咲いた小さな花に心の潤いを感じる感覚”を自分の日本料理を通じて心を潤していただき「また明日も頑張ろう!」という喜びに満ちた活力になれるお店だ。開業時に大変だったのは集客で、OPEN日こそ知人が応援に来てくれたが苦戦が続いたそうだ。何せ前職は裏方で接客する機会がなかったため仕事関係者以外の人脈が全くなかった。また全て自分の責任で物事を決めていくことや明日の売上に対して常に不安を抱えていたそうだ。ただその時、少ないながらも来ていただいたお客様に喜んでもらうことに、ひたすら集中し美味しい料理作りに打ち込んだそうだ。20歳の時から将来の自分のお店のために買い続けてきた器や心を込めて美しく盛り付けられた写真が、お客様のSNSを通じて口コミで広がり2ケ月~3月経った頃には手応えを感じたそうだ。継続してこられた秘訣は?の問いに対して、「20年以上の修業」と語る。経営で一番大事にしていることは接客(おもてなし)、計数管理など全て大事なのはもちろんとして、“日本料理を通じて”お客様に喜んでもらうこと、食べて、なごんで、喜んで帰っていただくことだそうだ。今後も日本料理の美味しさ、魅力を最大限に表現して若い世代にも伝え日本料理を通じて業界に恩返しをしたいと語る。これから始められる方には「今が嫌で現実から逃げ出すように始める人と目標を明確にして志を持って始める人とでは全く違う」と信念に満ちたエールを贈る。
和食職人気質が美味しさへのこだわりにつながる
伊藤 英樹 氏
ラーメン屋平成27年7月
和食店を順調に経営していたが18年経ったある日、病気が見つかった。闘病のため店をたたみ、治療に専念。しばらくして病も落ち着き、知人の店を手伝うことなど少しづつ体を慣らし始めていったという。
数年が経ったある日、飲食店の入口に空き店舗の貼り紙を見つける。そろそろ自分で、と思っていた矢先だった。居抜きだがクロスの張替えや厨房器具関係は入れ替えた。
ラーメン好きもあり今度はラーメン屋。店名は麺屋 札幌「169」お店の住所だそうだ。
病気で体を壊した、その経験から旨味調理などを使わない『無化調』にこだわった。天然のもので出汁をとる、ラードを使わず鶏油を使うなど、正に創意工夫。
そんなこだわりラーメンでも最初の1年はお客様が来ない。安売りはしたくない、Facebookなどで「本日限定メニュー」や他のラーメン屋とのコラボレーションでスタンプラリーなど実施したこともあったそうだ。
転機は1年が過ぎた頃。なんといきなり雑誌の表紙を飾った。するとそれから徐々に雑誌の取材が入ってきて、遂にはミシュランの主に5,000円以下で楽しめる店を紹介する『ビブグルマン』に選ばれた。
雑誌に掲載されてからお客様も順調に入るようになってきたところに、今度は百貨店などでの道産の催事への出店依頼や海外への出店のオファーが次々と舞い込む。
それでもラーメンへのこだわりは変わらない。
原価率が高くても「美味しい」と、また次にきてもらえれば良いという。広告宣伝費と考えているようだ。
そこはきっと和食人気質があるから。経営は大切、お店を続けることが大事。しかし美味しいと思ってもらえるものを出したいことの気持ちが上回ると言う。
ラーメンは毎朝自分で食べる。1年前と今では味が違ってきている。同じものを使っていても色々な条件で全ての味が変わる、そんなことが味へ反映するのだと、味のチェックを欠かさず、厨房に立ち続ける。
【人】とのつながりで今がある
茶木 雅子 氏
カフェ平成24年7月
もともとお店を持つ気は無かった、と語る。
旅行好きが高じて札幌のOLから沖縄に移り住み、ホテルの宿泊予約の係として勤務し沖縄を満喫していた。ところが予約の仕事と違いレストランのスタッフたちは直接その場で「美味しかったよ、ありがとう」と声をかけられる、そんな商売に就きたいと調理師専門学校へ進んだ。
料理関係の店に勤めたいと思って入ったが、製菓の面白さに気付く。そして製菓の仕事に就こうと思うと、沖縄の就職先は少なく、色々な事情や条件を考え、札幌へ戻ることになる。
札幌では3軒ほど勤めたが、いつしか「自分でやるしかない」と思うようになっていったようだ。
カフェ開業の本など読みあさり勉強したつもりが気づくと『てぃーだMcafe』、オープンの日を迎えていた。
「美味しかったよ、ありがとう」と言われることを夢みて職人になったのにレジ打ちから経理の仕事まで。ケーキを作る時間、ランチを出す余裕もないなど「橋がないのに渡ったようだった」そうだ。それでも続けてこれたのは友人知人の協力があってこそだという。自分の空いてる時間にエプロンや弁当持参で手伝いに来てくれる人、除雪を手伝ってくれる人、高価な果物が手に入ると「これで美味しいケーキ作ってよ」という常連さんなど、そのおかげで今でも続けていられるという。
出来る限り素材にこだわるその理由は明快「自分で食べるから」だそうだ。何か分からない油を使うよりオリーブオイルを使う方が良いとか、自分にとっては単純なこと。
『自分=家族=お客様』だという。「食べて心地良いもの」自分で作ると砂糖やバターがどれだけ使うかが実感して分かる。
お客様の「ありがとう」「美味しかったよ 」という言葉が白飯のおかずになる、そう思えるから続けられる。「OL時代のお給料から比べたら今は子供のおこずかい程度で大変なんです。」そう言いながらも、今の方が幸せだと感じる、と語る。
体調を崩した自分がこだわるカレーを届けたい
盛合 でぇすけ 氏
カレー店平成28年1月
お笑い事務所に所属する異色な飲食店オーナー。その名も【札幌朱カリー「ついDEにあそこ」】。
専門学校時代に行っていた飲食店のアルバイト先に学校卒業後、そのまま契約社員として入社。その後、店長となり『カレーラーメン』の開発を任された。
カレーが嫌い、そしてラーメンも嫌い。どちらも嫌いな自分だが、嫌いな自分でも食べられるものを作ろう!と色々食べ歩き。そして完成させた商品は、ヒットしたようだ。
その後、様々な職種なども経験し、いよいよ自分の店を持つことに進む。
物件は悩んでいる間に第一希望を別な人に決められて後悔、第二希望は、その教訓から逃さないように早々に決めたようだ。それでも向かいに生協があり、家賃が安い、そして路面店と条件は納得していた。
朱カリーの“朱“は 体に良くて優しくコクがあるようにトマトを多めに使ったら赤くなったから、そして朱肉の捺印する際の「これに決めた!」という意味も込めた。
飲食店や他業種での経験と知識はあるものの、お金を借りる方法、外装や内装など自分では分からないことだらけ、分からないことは聞くしかないと、知人の紹介でコンサルタントに頼ったそうだ。
飲食店を営んでいる知人や友人からは、とにかく3年我慢し、集客と利益を作ることが大事とアドバイスをいただいた。そのアドバイスがなければ、店を続けていなかったかもしれないという。
食材は北海道産にこだわるが、どうしても現状では、肝心のトマトだけが加熱に適するトマトがなく、イタリア産を使っている。いつかは日本、そして北海道産のトマトを使いたい。
さらに、店舗も増やしていきたい、お世話になっているテーマガーデンのブランド肉とコラボし、芸人だからこその“カレーと芸人のセット売り”が出来ないかと熱い思いを語る。
子はかすがい=お客様はかすがい
大久保 智康 氏
居酒屋平成16年3月
食べることが好きで小学生時代から調理クラブで腕を振るっていた。もう既にその頃には自分の店を持つ目標が出来ていたという。
宮城県から北海道の大学へ。学生時代から調理場でアルバイト、小さな頃からの目標だった自分の店を持つため、卒業後は、そのまま調理の世界へ入る。目標は『30歳にはお店を出す』。まず和食の修行、そして居酒屋も経験し、色々な勉強をするため声をかけて頂いた洋食のお店などでも修行した。
お店を出す、という目標を知っているお義父さんから「空いてる物件あるよ」との言葉に直ぐに反応。ビルに入っているお店やその物件に足を踏み入れた時の印象などから、そこに決めた。そして何よりクーポン誌が人気の当時は、それを出せば大丈夫、とすっかり安心していたようだ。そしてその通り1年くらいは順調だったという。
ところが札幌駅が再開発され、飲食店が札幌駅周辺にドンドン出来てくると、お客様の来店が少なくなり、飲み放題や会計金額から○%引き、ビールも1杯○円。そして、目玉商品でうにや鮑を出す。クーポンも激化していった。
そのうちに、安売りだけじゃダメだということに気づく。気づき始めると、お客様と会話が増え、その会話でお客様が、そしてリピーターが増えてきたという。さらに10周年を迎えた頃、お客様が自分の店『居酒屋ほがら家』を認めてくれたような気がしたそうだ。
この仕事が大好きでお店をやらせてもらっている、お客様の大切なお金をいただくのだから、喜んで帰ってもらうのがベスト、それでも最低限、お客様に迷惑をかけないことが信条。食器など洗うものはキレイに洗うとか当たり前のことを当たり前にやることが大切。今は一緒にお店をやってくれる奥様とお客様との会話を楽しんでいるようだ。そうして自分たちも成長させてもらっている、と語る。