北海道 道南の先輩経営者からのメッセージ
“やりがい”にこだわる!
代表 中里拓二氏 氏
うなぎ屋1953年開業
先代である父親が創業し、現在2代目である中里拓二氏がお店を切り盛りする「鯉之助」さん。1953年創業の超老舗店だ。元々父親の作る和食料理・うなぎ料理の味が大好きで、その味を継承したいと思い修業の道に入ったそうだ。尊敬する師の下で20歳の頃から修業に入ったこの道一筋40年以上という筋金入りの職人である。事業を引き継いだのは2003年頃。先代の味を引き継ぎ、尚且つ自分の味も追及するという新たな修業が始まった時に忘れられないエピソードがある。常連さんから“味が変わったね、親父さんどこいったの?”と聞かれた時だそうだ。自分は20年以上にわたり教わってきた味を忠実に守ってきたつもりだったが、お客様はそうとは思っていなかったということを再確認し、そこから更なる精進を続けたそうだ。“味を常に見直し”、“徹底した多店舗視察”を行い、父親直伝の技と、新たなスタイルを追い求め続けてきた。目指す「お客様にいつもと変わらぬ伝統のうなぎを気持ち良く召し上がっていただけるお店作り」に集中して、改装に取り組みお店の居心地感を改善したり、ランチのお客様にもリーズナブルなうなぎを提供し“うなぎ=高級で滅多に食べられない”というイメージを払拭したいとメニュー作りにも趣向を凝らしてきたそうだ。長きにわたり継続してこられた秘訣を伺うと「父親が作りだした伝統の味を守ってきたことと、お客様の要望に出来る限り応えたい!との思い」と語る。経営で一番大事に考えているのは“売上”と“仕入”と“経費”のバランスだそうだ。これから始められる方には「やりがいにこだわって頑張って欲しい」とエールを贈る。今後は、多店舗経営よりは現在の店舗を守り精進を重ねていく。
永遠の師匠はお客様!
尾形 有司 氏
和食昭和36年開業
元々、東京の石油関係のケミカルプラント設計会社に勤務していたが、オイルショックや戦争など自分の力ではどうすることも出来ない状況に左右される仕事だったことと、母親が函館でおでんのお店を兄と共に営んでおり以前から手伝ってくれないかと誘われていたこともあり、一念発起して修行させてもらいながら、いつか東京で飲食店を開こうと考え妻と共に移住した。 世はまさにバブルの入り口、隣接する料亭を買い取り新店舗を開業。師匠の傍で料理修行に励む日々を過ごしつつも経営が安定した頃、多額の融資を受け母と兄のおでんとお食事処の店を新築開業することとなったが、バブルがはじけ一気に経営が厳しくなり連帯保証人となっていた自分が返済を余儀なくされる事態となる。 各方面からの非情とも思える対応を受けるも何とか歯を食いしばり匙を投げずに頑張り続けた。あるとき学校給食の派遣事業を請け負うことになり、家族全員で精いっぱい働き続けた結果“山あり谷あり這い上がれないほどの谷底あり”という危機的状況から徐々に好転の兆しが見えてきた。そんな折、日々の努力の甲斐あって“ミシュランガイド”で道南唯一の2つ星を獲得したことで話題となり現在の継続に繋がっている。 経営者としても大事にしていることは“地道にやっていれば必ず良いことが起こる。お茶一杯にも心を込めて「永遠の師匠はお客様!」”と捉え苦しい時にも、「1人でも100人のお客様でも目の前の方に集中し喜んでもらうことが大事!」と考えているそうだ。これからの方には「好きなことならやっていける!お金は後からついて来る」とエールを贈る。 今後については従業員を含む後継者には自分の味のバランスを受け継いでもらうことを基本に時代にあった取捨選択できる事業継承の道を作っていく。
受け継いだ技術に磨きをかける!
松田 卓也 氏
とんかつ昭和46年開業
元々叔父と叔母が函館でとんかつ専門店を創業した。もっぱら一番のれんが古いと言われる老舗店。20代後半で叔父の他界をきっかけに叔母から家業を引き継いで欲しいと頼まれ、東京から帰郷しお店に入った。昔ながらの片面ずつ丁寧に焼き上げる独自の調理法で外はカリッと中はジューシーな仕上がりの独特のとんかつが人気の老舗店だけに、受け継いだ技術に磨きをかけるためコツコツとたゆまぬ努力を重ねてきた。継承時は経営面で相談相手がいなかったため独学で本を読みながら学んだそうだ。お客様の数を増やすために取り組んだのは、地域密着型にこだわり、リピートのお客様が来店しやすくなるためのきっかけ作りを重点的におこなった。継続してこられた秘訣は「家庭でもできるとんかつだけに他では味わえない魅力を守りながらも時代に合わせて変化させてきたこと。」と語る。経営者として大事にしていることは、“キチンとした数字管理”と“キチンとした商品作り。”どんな時でもいい食材をいい状態で提供することを心掛けている。これからお店を始められる方には「仕事はキツイですが、凄く夢のある仕事なので是非チャレンジして欲しい!」とエールを贈る。今後は、店舗展開も視野に函館以外の地域にも出店したいと力強く語る。
偽物を作らない!
深谷 宏治 氏
レストラン1981年開業
料理人としていつかは独立したかった。日本で2年程修業した後、当時誰も成し得なかったスペインでの修業を敢行し3年間本場で経験を積み、東京で1年半、函館で2年程勤め1981年遂に一国一城の主となる。目指したのは「本場のスペインバスク料理と同じものを提供する“本物のお店”」だ。東京で勤めていた時に“飲食店は難しい、料理だけではダメで接客ホールがとても大切だ”と痛感していたので、初めから構えが違っていた。自信はなかったが、開店当初から順調に軌道に乗せることができた。借金しているうちは半人前と考え必死に働き3年で償却したそうだ。まるでゴムボートに100馬力のエンジンを積んだが如く働いたと当時を振り返る。当時から考えていたのは「お客様が求めているものを提供できれば必ず来てくれる。」ということで料理に対しては一切の妥協をせず、日本にないもの(生ハム、ソーセージ、パンなど)は自家製で作り、日本にはないスペイン野菜は畑で栽培して提供したのだそうだ。これまで継続してこられた秘訣は「やるべきことをやってきた結果」(①知識・修業に楽はない、人には出来ない勉強をすること②ホールを常にキレイにし、お客様が満足するサービスを提供すること)と静かに語る。料理人として大事にしていることは「偽物を作らない!」こと。 経営者として大事にしていることは「売上と利益が重要で、さらに社会の一員として雇用を創出し、しかもスタッフに家族を持つことが出来るだけの報酬を払うことが経営者の務め。」だそうだ。これから始められる人には「お金をもらう立場から、支払う立場になることをしっかりと認識し、何をするにも大変と覚悟を決め、軌道に乗るまで勘違いせず無駄遣いをしないこと」とエールを贈る。今後も“函館を日本一の美食の街にする”という目標に向かって様々な取り組みを積極的に行っていく。