東京都 千代田区の先輩経営者からのメッセージ
どうやったら味をもっと美味しくできるのか?常に考えないとダメ!
オーナー三代目店主 馬道仁 氏
餃子昭和29年創業
焼き餃子の発祥の店といわれる名店『餃子の店 おけ以』が誕生したのは、戦後間もない昭和29年、神田神保町でのこと。初代店主、田中ヒロ子氏が満州開拓時代に教わった食べ方・調理法をヒントにわずか5坪の店からスタートさせたという。名物女将として人気を博すとともに店舗の規模を大きくしていったのち、バブル期の土地開発の影響で平成元年にJR飯田橋駅西口の現在の地に移転してきたという。二代目は長男の田中啓一氏が跡を継いだ。
「父が工務店を経営していた関係で、神保町のお店の増改築の時からの繋がりなんです。」と語るのは現店主の三代目の馬道氏。平成17年に二代目の啓一氏が体調を崩したのを機に、馬道氏のもとへ店舗解体の相談が持ちかけられたという。“お客さんが付いているのに、お店を閉めるなんてもったいない!”父の一言で、急遽お店に携わることになったと当時を振りかえる馬道氏。
「初めはレジからやりましたよ。とにかくお客さんの顔を見て一人ひとり覚えていったんです。」下積みで2年を過ごし、餃子づくりの手解きを受けたのはそれからだったという。「馴染みのお客さんから“前は美味しかったのに・・・”と言われて、引き継いでからというもの、毎日が暇でしようが無かったんですよ。」と語る。教えてもらった通りに作っても同じ味が出せないもどかしさ。そこから、餃子の皮、餡の作り方と改良していき、5年もの間、試行錯誤を繰り返したという。皮と餡の配合も半年から1年くらいかけて適正な量を研究していった。お客さんが増えるに連れ、次第に仕込みが追い付かなくなり、店に寝泊まりしてまで作っていたという。結果として、評判が評判を呼び、現在の行列ができる店へ、さらにはミニュランガイド掲載店(ビブグルマン)へと繋がっていった訳だ。
「より美味しくするにはどうしたら良いか?考えないとダメ!」この経験から解かったことだという。「ようやく自分で納得のいく味が出せるようになったのは、3年くらい前からですよ!」
もう一つ、苦労話を語ってくれた。お客さんが入って繁盛していたのにも拘わらず、意外に儲けが少なかったという。一番の原因は従業員を過剰に使っていたからだった。当時を振りかえり、「経営のことが分かっていなかったんです。」という。
「とにかく味が一番大事です。」とは言いつつも「100%は求めない。85%の人が“美味しい”と言ってくれればそれで良いんです。」という。とあるお客さんとのエピソードを嬉しそうな表情で語ってくれた。「子供さんがうちのお店で食べてくれてから、スーパーで買ってきたものを食べなくなったそうで、大変ありがたかった。」お客さんからの最高の褒め言葉だ。
これからについて、四代目を受け継ぐべく、息子さんが店を手伝ってくれているという。将来的には店舗拡大も視野に入れているそうだが、「拡げるにしても味を維持できないとダメ。」という。
最後にこれから飲食店の開業を考えている方々へのメッセージ
「お客さんを自分なりに作って大事にすることです!」一時の流行りに流されてもお客さんが来るのは一瞬で、ひくのも早い。実体験が物語っているという。「お客さんがお客さんを呼んでくれるから、とにかくお客さんの顔を覚えて、お客さんをよく観察することです。」最高の食材を使っていたとしても、どんな風に食べ残しているのか?常に気にして見てきたという。
お客さんの“美味しかったよ”“また来るね”の一言一言にありがたいと思う気持ちが大切なこと。
繁盛、繁盛継続のポイントを語ってくれた。
お客様に喜んで頂けているか、満足して頂けているか 常にお客様目線
オーナー田村 信之 氏
カフェ創業1972年
神田神保町で石釜bakebread 茶房 TAMTAMを経営している田村氏。
もともとの創業は1972年、母親が神保町でコーヒー専門店を開業したのがはじまりだった。
学生を卒業後、家業を継ぐ形で喫茶店を受け継ぎ、フランチャイズのコーヒー店に加盟し以降20数年経営を続けてきたとのこと。
時代の変化とともに加盟していたフランチャイズの喫茶店業態も業績低迷期をむかえ、フランチャイズを外れたのち自分自身でお客様のニーズに合わせ、工夫をしながらメニューや運営の見直しをしてきた田村氏。転機となったのは建物の老朽化に伴い建て替えをすることになったタイミングで、新規店舗のコンセプトをもう一度考え直した時期だったという。
『当時、他の大手のコーヒーチェーンが台頭してくる中で、コーヒーだけを売っているのではとても勝てない。加盟していたフランチャイズも業績が低迷し脱退しました。その後自分自身で食事メニューを取り入れたり、お客様への対応など見直しをしてきましたが、
建物が老朽化し立て直すとなったタイミングで、再度お店のコンセプトを見直すことを考えました。改めて喫茶店の開業を講座で学んだり、ご縁を頂いた飲食店の空間デザイナーの方に店づくりの相談をしました。』
『建物の建て替え期間の、およそ1年間ぐらいは準備期間があったので、店づくりや商品開発などはその間行いました。』
『相談したデザイナーの方は、自分の気づかなかった新たな視点からアドバイスを頂き、お客様の目線で店をつくることを教えて頂きました。店名のTAMTAMも実は息子のニックネームです。いくつも候補の店名を出していましたが、お客様が呼びやすい親しみやすいとその方のアドバイスで決めました。おかげで現在の店の形をつくることが出来たと感謝しています。』そう田村氏は当時を振り返る。
また「どこにでもあるものを出しても、行列をつくれるような店にはならない」そう考えた田村氏は、試行錯誤を重ねながら、現在の看板商品の「石釜焼きトースト」や「石釜ホットケーキ」をつくりあげたとのこと。
『ピザトーストやホットケーキは当時もありましたし、ホットケーキなども銅板で焼いている店はありましたので、どうしようかと考えた時に石釜で焼いてみてはどうかと・・。はじめはそんなきっかけでした。』『メーカーの業者さんが、石釜オーブンをトラックに積んで持ってきていただき、そこで生地の配合の調整や焼き時間を練習しました。』
開業後しばらくは、地元の昔なじみの常連客に支えられながら、売上・集客をあげるため時間がかかったが、開業2年目を過ぎるころには、新規の女性客に支持され、特色ある商品がマスメディアにも取り上げられるようになり行列ができるようになったという。
『今では女性のお客様が9割位です。若者から中高年層まで年代も幅広く、修学旅行の学生さんまで来店頂いています。』『運営をする中で大切にしていることは、お客様との距離感を大切に、満足して頂けたかどうか常にお客様の目線で考えることです。』そう田村氏は語る。
今後もお客様の満足を第一に考えながら、店舗の経営を続けていきたいとのことだ。
人の成長は店の成長!信頼し人を育てることを大切に店を続けていきたい!
高橋玲子 氏
ビアバー2016年開業
学生の頃から漠然と、飲食店をいつかはじめたいという想いを持っていたという高橋氏。
卒業後は会社員として働き続けてきたが、昔から考えていた夢を実現したいと強く思うようになり開業を決意したとのこと。
自身でも食べ歩いたり、飲んだりすることが好きだったこともあり、開業前にお店のコンセプトとして手作りの餃子(点心)をメニューに入れたいと考え、点心がウリの飲食店や中華料理の名店でアルバイトしながら調理を学んだとのこと。
「店舗のコンセプトは、自分自身が好きなクラフトビールと点心を中心にしたバル業態としました。クラフトビールは自分自身でネット情報の検索やビアフェスなどにも積極的に参加し、現在では30のブルワリーとの取引で、新商品なども取り入れながら入れ替えています。また点心は皮から手作りで、無化調・無添加にこだわり、美味しさと安全・安心な商品を届けたいと思っています。」そう高橋氏は語る。
「開業して1年目は、ただただ必死に運営をしていました、どのように利益を残せばよいのか、集客をしていけばよいのか考えながら工夫してきました。」「開業時の取引業者を改めて見直したり、地域性に合わせて会社帰りの方向けに晩酌セットでクラフトビールと点心とおつまみのセットを導入したり、チラシ配布なども試しました。」色々な運営に関しての工夫をする中で、定期的に取引先のブルワリーのイベント企画開催や点心作りを中心とした料理教室なども行い、徐々にお店に訪れる常連客も増えてきたという。
「業態のめずらしさや当初からホームページを作っていたこともあるかもしれませんが、開業1年目からメディアの取材も入り、お店を知って頂くことが出来たのも良かったと思います。」「今、お店に来て頂けるお客様の多くは、近隣の会社帰りのサラリーマンやOLさんです。一人でご来店されたお客様も、グループや同僚と利用されるお客様もそれぞれに居心地の良い場所を提供していきたいと考えています。」とのこと。
店舗を運営していく中では、常連のお客様だけでなく、新規来店のお客様にもしっかりと満足して頂けるように気を配ることを気を付けているとのことだ。
「初めて来てくれたお客様には、ご満足頂けるように、必ずお声かけをするようにしていますが、自分一人の力でできるわけではなく、やはり働いてくれているスタッフの力が欠かせません。」
「スタッフのモチベーション次第でお店の雰囲気も売り上げも変わります。評価するところはしっかりと評価して、興味があればブルワリーの試飲会・イベントなどにも行ってもらったりして、新たな視点や社会との接点を持ってもらうことで、モチベーションを上げてもらう環境づくりも必要と考えています。」そう高橋氏は語る。
“人の成長は店の成長につながる”今後も働いてくれるスタッフと共に成長し続けて行きたいとのことだ。
広島お好み焼きの王道スタイル
大林 大吾 / 桜庭 寿弥 氏
お好み焼き2012年開業
2012年飯田橋に開業した、広島お好み焼きの店『もみじ屋』は、もともと飯田橋で33年続いた広島お好み焼きの老舗『れもん屋』で修業をした、大林氏が独立して開業をした店だ。大林氏が『れもん屋』に入ったのは18歳の頃のこと。埼玉で弁当店を営んでいた父親がオーナーと同級生であった縁もあり店の手伝いからはじめたのだという。以来20年以上社員として修業し経験を積んできた。
本店が区画整理のために立ち退きをする事になったタイミングで、当時一緒に働いていたスタッフと合同会社をつくり独立をしたという。
「開業時には特に資金調達に苦労もありましたが、開業後は、おかげさまでこれまでのお客様が途切れずに来て頂き、新規のお客様も順調に増えています。」そう桜庭氏は振り返る。
広島お好み焼きの王道のスタイルを引き継ぎ、人気メニューは定番の『肉玉ソバ』と『いか天ソバ』だ。広島お好み焼きに必ず使用される麺(ソバ)は製麺所に特注し細い蒸し麺を使用している。天かすやとろろ昆布・魚粉などの材料も広島から取り寄せている。ソースは広島おたふくソースだ。もやしはブラックマッぺと呼ばれるシャキシャキした食感と特有の豆の甘みが感じられるものを使い、キャベツや九条ネギなどの具材は旬のもを厳選して使用している。シャキシャキとした食感とこだわりの具材の旨み、そしてソバとソースの香ばしさが一体となり絶妙な美味しさとなるという。
昔ながらの王道スタイルで提供される、『もみじ屋』の広島お好み焼きのファンは多く、開業初日には宣伝告知もしていなかったにも関わらず、噂を聞きつけた常連客が早くから開店を待ち望んで並んでいたという。「ありがたい事に、多くのお客様に来て頂いてランチの時間帯にはなるべくお待たせしないように気を使っています。」と大林氏は語る。今後もひとつひとつに手を抜く事無く、本当に美味しいものをお客様に提供し、満足して頂きたい。とのことだ。
元気に明るくポジティブに!仕事を好きになれば好きな事ができる
諸橋 宏明 氏
スープカレー2011年開業
『スープカレーカムイ』は41種類のスパイスとハーブを使用し、新鮮で厳選した野菜を都内近郊で仕入れ、その日の朝に仕込んだスープで作った本格的なスープカレーが看板メニューの店だ。本格的なスープカレーの店でありながら、店内に入るとアニメのイラストが数多く並び、時にメイドの制服を着た店員さんが出迎えてくれるという、秋葉原の一風変わった雰囲気の店だ。
諸橋氏が開業を志したのは、まだ高校生の頃だったという。当時札幌ではスープカレーの流行りがはじまった頃だった。35歳までに独立の目標を立て、出版社でタウン誌などを担当しながら、流行りの店の情報を仕入れ、29歳の頃北海道のスープカレーの有名店に修業に入り、5~6年経験を積んだという。34歳のころ、当時東京で北海道物産展を任された時に、以前から目標としていた秋葉原での出店を決意。催事終了と同時に、そのまま秋葉原に家を探し移り住んで即物件探しを始めたという。
「自分は本当に運がいいんです。一人だけではここまではできなかった。開業する時には色々な人に手助けしてもらいました。物件もたまたま知り合いが『やるなら貸すよ。』と言ってくれたり。資金もなかったが、これまで付き合いのあった方が資金援助をしてくれました。」そう諸橋氏は開業当時を振り返る。
そして2011年『スープカレーカムイ』を開業した。開業当初イベント的に秋葉原の雰囲気に合わせスタッフがメイド服で接客をしたのがきっかけで、アニメのイラストを持ってくるお客様が増え、口コミが広がり著名なアニメイラストレーターや漫画家、地下アイドルと呼ばれるアイドルともコラボレーションするようになり、現在の店の雰囲気が造られたということだ。
「心がけている事は、元気に明るくポジティブに。という事。自分自身がそうしたいということと来て頂いたお客様にも美味しいスープカレーを食べて元気に明るくなって欲しいと思っています。」そう諸橋氏は語る。「まず仕事を好きになる、仕事を好きになると好きな事が出来るようになる。」今後は飲食経営にとどまらず色々な分野に挑戦していきたいという。