愛知の先輩経営者からのメッセージ
仕事も遊びも全力で!
永井 秀雄 氏
喫茶店1982年3月
高校卒業後栄養士専門学校に入学。その頃肉屋でアルバイトを始め、専門学校卒業後
そのまま肉屋(業務用食肉卸)に就職。名古屋はじめ、様々なホテルを担当していた。
10年以上の勤務の後、今の場所で開業。元々は肉料理が自慢の弁当屋をやる予定だった。しかし、居抜きで適当な物件(喫茶店)が見つかったので、喫茶もやりながら、出窓で弁当を出すというお店でスタート。しかし、中で食事をする方が多く、結局弁当はやめたのだそうだ。
道の反対側が、大手百貨店の配送センターだったので、外商の営業さんを中心に、毎日通ってくださって、スタート時は朝から晩までほぼ満席という状況だった。
その後、配送センターが移転したことで、一気に売上げがダウン。喫茶中心ではなかなか売り上げが伸びないので、得意の肉料理を中心に、ランチメニューを充実させたそうだ。その後は近隣のビジネスマンを中心に徐々にお客様がもどってきたという。
昔は喫茶の売り上げが7割だったが、今は1割程度。ランチ主体のお店になった。
人気メニューは、トンカツ定食。コロッケやトンカツは肉屋ならではの味に、独自の工夫を加えたオリジナル。手間ヒマはかかるが、好評いただいている。その後ハンバーグや焼肉定食、さらには焼きそばなど徐々にメニューを増やしたことで、毎日来てくださるお客様が増えた。
ここまで長く続けてこられたのは、長年お店に通ってくださる常連さんのおかげだし、苦しい時に助けてくれた、大家さんや取引先のおかげ。とご主人は語る。
これから始められる方へ、
お店を始めると何かと忙しくなるが、遊びや趣味もぜひやったほうがいい(できれば徹底的に)との事。何かの形で必ずプラスになってくるので、仕事も遊びもしっかり取り組んでください!とエールを贈る。
” イタリアの記憶・イタリアの味”をお届けしています!
小安秀和 氏
イタリアン2014年11月
中学生の頃から料理が好きで、なんとなく料理人になりたいと思っていたが、高校生の時に飲食店でのアルバイトを経験。その思いはさらに強くなり、卒業後は調理の専門学校に進んだのだそうだ。
専門学校卒業後は5年ほど東京のお店で働き、その後イタリアで2年ほど修業、帰国後は、縁あって名古屋のお店で7年間働いて、開業資金の準備や人脈づくりをしたという。
開業時はまず、物件に恵まれた。大きな駅に近い事と、周辺に個人店がほとんどないという立地だったので、即決。しかし、内装屋さんとのコミュニケーションが上手くいかず、店づくりには苦労されたそうだ。
地域に知られるまでは、集客も大変だったが、開業前からFacebookで情報発信をしていたのが良かったとの事。また、イタリアで働いていた時の仲間が日本にも知り合いが多く、そこからの口コミが力になったのだという。
日本人の好みに合わせてアレンジしたりするのではなく、イタリアの伝統料理を出したいというのがお店のコンセプト。
人気のメニューは、修業していた北イタリアの代表的な料理であるラビオリ。
大事にしているのは「イタリアの記憶・イタリアの味」流行を追ったりするのではなく、自分が体験し、いいと感じたものを提供していくことを心掛けているのだという。
今後は、任せられる人が育ってくれば、近くに2号店(ピッツェリアのようなシンプルでわかりやすい業態)を出したいとの事。また、自分がいいと思ったイタリアの食材なども販売につなげられたら、というお考えだ。
これから始められる方へ、
お店を経営してくのは、大変な事も多いが、その中でも楽しい事を見つけて、仕事をしてほしい。そうじゃないと続かないし、お客様も楽しくない。スタッフも育たないと思う。飲食が好きでこの道を選ぶ方なら、忙しい中にも、必ず楽しい事は見つかるので、楽しく頑張って欲しい、とエールを贈る。
伝統を守り、人を育て、長く続く店に!
福本 賢吾 氏
讃岐うどん2006年5月
香川県出身の父親が、長年勤めていた会社を退職し、名古屋で讃岐うどん専門店を開業。自分には別の夢があって、違う仕事をしていたが、20代後半、色々な面で仕事に悩んで、行き詰っていた時に、父親が声をかけてくれ、店を手伝う事に。
その後、自分もうどんの奥深さや、飲食店の魅力にどんどん引き込まれていき、跡を継ごうと腹を決め、現在に至っているのだという。
コンセプトは、本当の本場の味、讃岐の味の提供。
開業時は、父も含めて、みな素人だったので、当初は給料も出ないくらい大変だったそうだ。家族でやっていたから何とかやってこられたのだと思う。当時は、親子や夫婦で、言いたい事を言い合っていたという。
最初の半年ほどは相当厳しかったが、売り上げは徐々に徐々に上がってきた。(本当に少しづつ) 特にここ2~3年は、売上げは順調なのだそうだ。
お店が何代も続くことを目標に、自分の次の人もやっていけるようなお店のシステム作りを考えたとき、安定して売り上げも上がってきたのだという。
これまで継続してこられた秘訣は、スタッフを大切にしてきたこと。もちろんお客様も大切だが、まずスタッフ。そうする事で、スタッフがお客様を大切にしてくれる。というお考えだ。
今は、うどんの世界を広げる事を意識しているのだそうだ。新しい切り口のメニューに積極的にチャレンジし、いいものはどんどん取り入れていく。しかし、単なる模倣ではなく、自店のフィルターを通して提供しているのだという。
大須という、いわば名古屋の観光スポットにあるお店なので、土日はかなり広域からたくさんの方が来てくださる。しかし、地元で働いている方や住んでいる方に、何度も来ていただく事が大切と考え、平日のランチセットに、最も力を入れているのだそうだ。
心掛けているのは、人材の育成。長く続く店にする為に一番重要な要素。麺づくりも、食材へのこだわりも大事だが、やはり人。
これから始められる方へは、
自分の軸を持つ事、ブレない事が大事。そのうえで、しっかり儲けることが大事。利益を出して、お店を続けることが、好きで通ってくれるお客様への最大の恩返しだと思うので、やるからには長く続けてほしい。とエールを贈る。
普段使いのできるすし屋、地域一番を目指しています!
横井 充成 氏
すし屋1970年9月
実家がすし屋ということもあり、飲食業は身近な存在だったとの事。まだ暗い早朝から晩まで働く両親の姿を子供ながらに見ていて、将来は同じ道を進むものと思っていたのだという。
高2年生の進路を決める時期「専門学校に進んで、将来は家業を継ぐ。」と親に伝えたら、「大学進学して、公務員などを目指したほうがいい。」と両親から反対された時は意外だったそうだ。両親は、飲食業がこれから厳しい時代になると予見し、その世界に息子を進ませることは、親としては心配だったのだろうとの事。
しかし、すし屋の息子に生まれてきたのは『自分に与えられた定め』だと思い、悩むことなくこの道に進むことを決めたという。
専門学校を卒業し、名古屋の某有名ホテルに就職。だが、飲食業の華やかなイメージだけを自分の中で美化し、浅いプロ意識で挑んでいた若造だったので、厳しい世界を目の当たりにして何度も挫折しそうになったのだそうだ。そんな矢先「人が足りないから、戻ってこい。」と父親から電話をもらって、両親の営むすし店に戻ることに。「違う世界に進んだほうがいいのかも。」と、揺れていた自分の背中をグッと押してくれた時だった。
地元のおすし屋さんとして、地域密着でやってきた店だったが、実家のお店に戻った頃は、回転寿司や宅配寿司が台頭し、昔ながらのスタイル(出前メイン、宴会主体)でやってきたお店が、厳しくなってきた時期でもあり、定食ものや料理主体のメニューに力を入れるおすし屋さんが増えてきて、迷った時もあったという。
しかし、原点に帰り「町のおすし屋さんだからできること。」を追求するというコンセプトを再確認して前面に打ち出すことにしたのだそうだ。
地域の人を笑顔にできる「地域に根ざした、普段使いのできるすし屋」というコンセプトは今も変わっていない。
お店の方向性やメニュー開発、イベント出店など、何をするにも「すし屋」ということを常に念頭に置いて考えていくことで、スタッフみんなが同じ方向を向いて働ける指針になっているとの事。
看板メニューは【大将のおまかせ握りセット】(7貫、10貫)
その時の旬のネタや定番ネタなどをお値打ちに盛り込んだ、「にぎりメイン」のセットメニューで、夜のお客様の9割は注文される人気メニューだそうだ。キャッチコピーは「すし専門店ならではの本格握り」「回らないすし屋の直球勝負!」
これまで続けてこられた秘訣は、両親がコツコツと真面目に商売をして、地域や地域の方々を大切にしてきた事。そういった地道な努力の積み重ねだと思っているという。
大切にしていることは「地域に根付くこと」「地域の方に愛されること」「地域に貢献すること」
そして「地域一番店であること」
地域活動は積極的に参加して、地域の方と一緒に汗を流しているのだそうだ。
今後は「すしを売る店」により特化したい。色々な料理が出てきて、握りはちょっと、のお店が多い中、「握りのみ」ぐらいのお店がいい。お店のわがままを存分に出せて、それでいて通いやすいお店が理想(夢)とのお考えだ。
これから始められる方へ、
飲食業は、自由度が高く自分の色を率直に出せる世界。その色を伝えることは難しいが、そこを楽しめるかどうかだと思うとの事。お店の規模に関係なく、人を笑顔にできる素晴らしい職業につけるのも幸せな事だと思うので、頑張って欲しい!とのエールを贈る。
お客様に心から満足していただく事を目指しています!
角谷 龍次 氏
焼肉・ホルモン2005年
高校時代から中華のバイトをしていたのが飲食業に触れたきっかけ。主に調理を担当。
その後、バイトから社員になり、10年の修行の後、独立。中華のお店を始めたのだという。
最初のお店は、立地にも恵まれ、はじめから調子が良かったそうだ。1号店好調の勢いで、2軒目(ラーメン専門店)を出したが結果が出ず、1年で閉めることに。
この時、調理はプロでも経営はアマチュアであったことを痛感。その後は様々な勉強をしだしたのだという。そして、お店のコンセプトの重要性や、不調はもちろん、好調であってもしっかりとした原因の分析が必要なこと。さらに商圏内の競合状況チェックの大切さ等を遅ればせながら学んでいったのだそうだ。
そして、中華のお店に再チャレンジするが、業績はもう一つで、この店をその後、焼肉店に転換して現在に至っている。
看板メニューは、とんちゃん。ぎょうざ。
客層は、最近は女性も増えてきたとはいえ、男性がメインのお店なのだそうだ。
色々あったが、これまで続けてこられたのは、
来たお客様に、心から感謝して満足していただきながら、さりげなく自分をアピールしてきた事がリピート・常連化につながったと思う、とご主人。もちろん、料理人出身なので、料理の味にも当然こだわってきたという。
心掛けているのは、一人でも多くのお客様に楽しい場、出会いの場を提供する事。
今後は、またチャンスを作って複数店舗にチャレンジしたいそうだ。
これから始められる方へは、
お客様、スタッフ、取引先、家族、すべてに感謝し、自分の健康にも感謝して、全力で夢に向かってチャレンジしてほしい、とエールを贈る。