愛知の先輩経営者からのメッセージ
日本酒と洋食のマリアージュをお楽しみください。
黒川 義幸 氏
居酒屋
父親が料理人で、。小さいころから父が勤めていたお店にも遊びに行ったりして、飲食店は身近に感じていたという。
父親は飲食業に反対だったが、自分もいつかは料理に関する仕事がしたいと思っていたのだそうだ。一度は飲食とは関係ない会社に就職して6年ほど営業職を経験。その後、やはり自分の店を持ちたいと思い、転職して飲食店にホールスタッフとして勤務。フードコーディネーターの勉強もしていたとの事。
また、料理の修業はしていなかったので、何か武器を身につけようと思い、掛け持ちで様々な飲食店で働きながら「利酒師」の資格を取得したのだそうだ。
最後に働いたお店の料理(和食)にすごくほれ込み、そのご主人がお店を閉めるという事だったので、料理人として自分のお店に招き、自分が惚れた感動和食と、おすすめの日本酒を飲んでもらう。というコンセプトでお店をスタートさせた。
しかし、開業4年目、リーマンショックの後に大きなピンチを迎え、和食の料理人さんが辞める事に。そこで、調理師学校卒業後、飲食の道(洋食)に進んでいた弟さんを料理人に招いてお店を立て直したのだそうだ。そこから、洋食と日本酒のマリアージュを楽しんでいただく、今のスタイルを確立したという。
楽しく飲み食べしてもらう事が、ご主人の思い。カニクリームコロッケ、ハンバーグが人気で、多くのお客様が日本酒と合わせて楽しんでいただいているとの事。
これまで継続してこられたのは、お客様とのコミュニケーションに、気を付けてきたからではないか。と、ご主人。今時、料理だけでの差別化は難しい。お店に来るのではなく、家に帰ってきた感覚でくつろいでもらう事を意識しているそうだ。
棚卸しや原価管理をきっちりやってきた事もよかったのだという。
大切にしているのは、お客様の喜びが、自分たちの喜びになる。という事を常に意識する事。また、チャレンジ精神を持ち続ける事も大切にしていて、食材なども常にまだ世に出ていないものを開拓し続けているのだそうだ。
今後は、途中から弟さんを巻き込んでしまった形なので、彼のお店を作りたいとの事。また、自分の経験やノウハウを、後輩に伝えていく機会を積極的に設けたい、とのお考えだ。
これから始められる方へ、
ちゃんとゴールを決めてやる事が必要。例えば、開業して◯か月以内に黒字化できないなら撤退するといった、数字面でのゴールの設定や、何のためにやるのか、何を目指すのか、といった目的を明確にする事が必要なのだという。
飲食店経営は、簡単ではないけれど、きちんとやるべき事をやっていけば、普通に商売として成り立つ仕事なので、食というステージでお客様みんなを喜ばせて欲しい。と、エールを贈る。
お客様に対し、常に正直に!
岡本 佳久 氏
居酒屋1998年7月
若い頃から料理人として長年やってきたが、ある時、働いていたお店が閉める事になり、それをきっかけに自分でお店を持つことになったのだという。
お店の売りは“魚料理”。なかでも刺身が特に人気。市場には自ら毎日足を運び、吟味し、納得したものだけを仕入れている。
スタートはまずまずだったが、2002年の道交法改正の影響は大きかった。遠方から来てくださっていた常連さんが離れてしまった。その後は地道に、地元のお客様を増やしていったのだという。
これまで続けてこられたのは、儲け第一に走らなかった事ではないか。と、ご主人。商売なので、利益を出すことはもちろん大事だが、まずはお客様を満足させる事が大切との事。
大事にしているのは、お客様に対して正直になる事。天候など、その日によって魚の良し悪しは当然ある。ウチは基本は天然物だけをつかうが、どうしてもいいものが手に入らなくて、養殖を使う日もある。そういった事をお客様にきちんと伝えてからお出しするようにしている。
これから始められる方へ、
お客様に決して嘘をつかない事。前述のネタの良し悪しの話ではないが、何年もやっていると、その場しのぎの言い訳や、ごまかしをしてしまいがちな時もあったりする。しかし、そういうのは結局、お客様はお見通しだと思うので、誠実に真摯に対応する気持ちを常に持ち続けて欲しい。と、エールを贈る。
すべてのお客様に笑顔でお帰りいただく事を心掛けています。
一丁田 誠 氏
和食2012年5月
子供時代は、小さい頃から晩御飯当番。毎日家族に作っているうちに、だんだん料理が好きになっていったそうだ。
その後中学・高校とスポーツに打ち込み、就職後は実業団で活躍。社会人で約2年間はスポーツ漬けの毎日。しかし、将来を考えた時に、スポーツと同じくらい好きな料理の道に進もうと決意。会社を辞めて調理師学校に通い、その後大阪で10年ほど修行をしたのだそうだ。それからは親の体調のこともあり、地元に近い名古屋の飲食店で5年ほど勤めたのちに開業したとの事。
「和食をもっと身近に!」がコンセプト。世界では注目され評価されている和食だが日本の特に若い人には敷居が高かったり、魚嫌いの方が多かったり、と、和食をあまり身近に感じてもらえていないのが現状。自分が長年やってきた和食をもっと身近に感じてもらおう、なんとかしようという思いから始めたお店との事。
おかげさまでオープンから比較的順調に来ている。とご主人。駅近立地なので駅前でのチラシ配布や、近隣への新聞折込チラシも実施。オープン時はランチだけをアピールし、まずランチを満席にすることを目標にしたのだという。
人気のメニューは「野菜の炊き合わせ」。大阪時代の修行の味をそのまま再現したメニューが非常に人気だそうだ。
これまで継続してこられたのは、常に話題性を考えてきたからではないか。とご主人。お店を利用していただく理由を明確に「◯◯ならあのお店」と言われるようなサービスやメニュー開発をしてきたとの事。例えば、月に1回、8組様限定の 特別会席の会は、お一人1万円のコースだが、年間の予約がすぐ埋まってしまう人気ぶり。常にキャンセル待ちの状態。これも話題作りになっているのだという。
大事にしていることは、お客様にいかに笑顔で帰っていただくか。そうでなければ、次はないとのお考えだ。
今後は近くで、カレーうどんの店をやりたいそうだ。ウチの店で飲んで、〆で行って欲しいお店をつくりたいとの事。
これから始められる方へ、
自分も目指している最中だが、ディズニーランドのような、夢のある楽しいお店を目指して欲しい。と、エールを贈る。
本物の美味しさを、お客様の召し上がりたいように。
塚田朗雅 氏
寿司1910年
実家が代々寿司屋だったが、自分自身は継ぐ気はなく、親からも特に言われなかったので、大学卒業後は、当時興味があった、コンピューター関係の仕事に就いた。数年間務めたが、父親の体調不良をきっかけに、実家の寿司屋を継ぐことを決意したのだという。
それまで調理の経験はなかったので、まずは1年間調理師学校に通って基本を学び。その後、お店で修業。20代後半からの修業なので、10代から修業している他の職人さんに追いつくには、人の何倍も色々やることがあり、大変だったそうだ。しかし、言われて継いだのなら、挫折していたかもしれないが、自分で決めた事なので続けられたのだと思う。とご主人。
お店のコンセプトは寿司屋らしい寿司屋。本来の寿司屋を貫くという事。最近増えている創作ものや、最後にちょっとだけ寿司がでるようなコースではなく、その日のネタや、その時期の旬を楽しんでいただくスタイルなのだという。
お店を継いで一番大変だったのは、先代との比較をずっとされる事。常にプレッシャーがあった。父親が店に出なくなってから13-4年になるが、ようやく話が出なくなったとの事。
ネタについては、その日、仕入れうる最高のもの、納得できるものを買うようにしている。市場でいいものが手に入らないものについては、市場に入る前におさえるようにしている。その分コストはかかるが、お客様にいいものをお出しするには、そこで絶対妥協しないのだそうだ。
これまで継続してこられたのは、お客様との付き合い方ではないか、とご主人。お客様は大切な存在だが、神様ではないと考えている、お互いに愛情があるかどうかだと思っているとのお考えだ。『こっちは客なんだからなんでも言う事を聞け!』みたいな方にはなるべくご遠慮いただいているそうだ。
大事にしていることは、お客様の情報をしっかりキャッチして次に活かす事。
カウンターがメインのお店なので、たくさん情報が入ってくる。さっぱりしたものが好きなのか、こってりしたものが好きか、お酒の好み等々、注文された内容や、会話の端々から、その方の嗜好が情報として入ってくる。その情報をできるだけ次に活かす事を心掛けているのだという。
これから始められる方へ、
・気を付けて欲しい事
毎日同じ料理を作っていると、自分が物足りなく感じて、味を変えようとしがち。どんどん複雑になって最初の味がわからなくなってしまう。物足りなければ、その料理にそれ以上手を加えるのではなく、違うメニューを作る事。修業の少ない人ほど陥りやすい料理人の罠。
また、スタッフにミスがあった時、お客様の前で絶対に怒ったりしない事。あれは、責任転嫁。お客様は非常にいやな気持ちになる。まずは自分がお客様に詫びて、スタッフへの注意はお店が終わってから行うべき。
・目指してほしい事
お客様、取引先、スタッフなど、周りのすべての人への思いやりを持ってほしい。
また、後味のいいお店、いつまでもそこにいたいと思える居心地のいいお店を目指してほしい。と、エールを贈る。
地道にコツコツ、ハンバーグの味磨いてます。
麦島 永純 氏
洋食2003年8月
元々スポーツが得意で、スポーツ漬けの毎日だったが、大学在学中にケガで挫折。当時親が板前だったこともあり、親の紹介でとりあえず和食店に勤める事に。その時の親方がかなり有名な料理人でお店は忙しく、職場も名古屋と京都を行ったり来たりで非常に大変だったとの事。しかし、4年目ぐらいで自分が目指しているものと違うと思い、洋食の道に。そこで6年ほど勤め、お店の責任者も経験し、自分のお店を持とうと考えるようになったという。
ちょうどそのころ、喫茶店を経営していた母親が倒れ、洋食店を辞めて自分が切り盛りする事になった。それからしばらくして、今の物件に出会い、希望する場所だったので、即決して開業を目指す事になったのだそうだ。
開業当初は知り合いに声をかけたり、地下という事もあり、周辺にビラ配りをしたりして集客には苦戦したとの事。テレビの取材などもあり、2年目ぐらいで軌道に乗ってきて、忙しくもなってきたが、同時に、広告費や、スタッフの人件費など出ていくお金も多く、一旦すべてをスリム化する事に。広告をやめ、妻と二人で回すようにして、儲けが出るようになってきた。
その後徐々に業績が上がってきたが、リーマンショックから半年後くらいに大きく
売り上げがダウン。そういう状態はしばらく続き、今度はヒマになった大変さがやってきた。2011年3月の東日本大震災からの1年間はさらに厳しかった。
この震災をきっかけに、5年計画を立て、かなり慎重に、コツコツと積み上げてきたから今がある。とシェフ。
ハンバーグ、カニクリームコロッケ、メンチカツが人気ベストスリー。逆に、この3品がしっかり売れないとウチは儲からないという。
継続してこられた秘訣
一つ明確なものというか、決め技が必要、とのお考えだ。料理に限らないが、例えばウチの店ならハンバーグやカニクリームコロッケに強い支持をいただいているおかげとの事だ。
大事にしている事、
何をするにしても実績というか、ベースになるものがないと何も進まないと思う。地道に一つ一つ積み上げていくことを常に意識しているという。
これから始められる方へ、
もし、オーナーシェフというか、店主兼料理人を目指すのであれば、若いうちに体にしみこませることが大事だと思うので、できるだけ早い時期に修業を始めるのがいい。とエールを贈る。