愛知の先輩経営者からのメッセージ
食は命
福田洋一 氏
和食創業2012年6月
子供時代、体が弱かった父に代わって母が働きに出ていたため、晩御飯の支度は兄と二人で協力して行った。しかし、自分が作った料理が特に家族の評判が良く、その時、自分の料理好きに気づいたそうだ。また、人を笑顔にできる「食」の魅力を実感し、ゆくゆくは料理の道に入りたいと思っていたとの事。
高校卒業後、ご縁あって、箱根の老舗ホテルに就職。そこで11年お世話になり、一通り仕事を覚えた。元々、いつか独立したい、自分のお店を持ちたいと思っていたので、その夢を実現するために、勤めていたホテルをやめ、結婚というきっかけもあって名古屋に。そこで、名古屋で指折りの割烹料理店の板長と知り合うきっかけがあり、そのお店で二番(副料理長)として5年間、さらに腕を磨いて、平成7年に開業。
高級割烹としてスタートしたので、開業当時は、食材にもお金をかけ、人もたくさん雇っていた。そこそこお客さんは入るのだが、人件費を筆頭に何せ出ていくお金も大きく、苦戦続きだったそうだ。3-4か月で運転資金が底をつき、リストラやお店の方向性を変え、家族だけで再スタートして、何とか利益が出るようになったのだという。
当時は本当に毎日不安で辛かったが、来てくださっているお客さんの「美味しかったよ。また来るよ。」という声に支えられ、続けられたと、ご主人はしみじみ語った。
ご主人の目指す料理、例えば肉じゃがとか、ひじきの煮物といった、スタンダードな料理の最高峰を目指している。ずっと残っていく定番料理を確立したいと考えているそうだ。
盛り付けや見た目についても、「わぁ、美味しそう!箸がつけられない」というのは最高じゃない。「わぁ。美味しそう!」で思わず箸をつけてしまうのが最高なのだという。
お店の看板メニューとしては、季節のもの旬の物を使った、ひとひねりした料理。例えば初夏ならトマトを使った和の料理を出すとか、カツオの塩辛を使ったチーズとか。勝負は突き出しだと思っているので、最初でガツンと行く事を意識しているのだそうだ。
お店が継続してこられたのは、「人と人とのつながり、人への感謝があったからだと思う。いくら料理が上手でも、評判になっても、決しておごってはいけない、お客さんにどれだけ感謝があるか。」だと考えているそうだ。
今後の展開については、いい物件があればいつでも動く準備や気持ちはあるとの事。また、志を同じくする人と出会えれば、二号店、新しい業態なども考えてみたいそうだ。
座右の銘は「食は命」。食事というのは、命をつなぐため、すごく大切なもの。そういう気持ちで日々料理づくりに取り組んでいるのだという。
後輩経営者へは、初心を忘れないで、夢を貫き通してほしい。そして、志を高く持ってほしい。(志の高い人には志の高い人が集まってくるので)とエールを贈る。
ごはんが美味しいCafe
代表 松本康広 氏
カフェ創業2012年6月
子供の頃から料理を食べるのも作るのも大好きで、高校生の時に飲食店でアルバイトを経験し、飲食業の魅力を知った。その後もアルバイトを続け、20歳の時に、30歳で独立しようと決意。当時はカフェブームで、カフェがやりたいと思ったとの事。ただ、社会の仕組みや、お金の流れを知ろうと、まずは会社に勤めた。予定通り、30歳で独立。親の援助もあり、借り入れゼロで、お店を持つことができた。今も親には感謝を忘れないそうだ。
一番悩んだのは物件。2年ほど探したそうだ。あらゆるつてをたどって情報を集め、自ら足を運んでチェックしたが、なかなか希望する物件が見つからなかった。妥協をせずに2年間探し続けたある時、たまたま地元の駅前の不動産屋さんに顔を出したところ、今の場所に出会えたとの事。
オーナー自身、ずっと調理をやってきたので、とにかく美味しいごはんが出せるカフェにしたかったとの事。当時のカフェはオシャレな空間ではあったが、料理はイマイチだったり、量も少なかったり、というお店が多く、まずは食事で満足できるカフェにしたかったそうだ。
店名の由来は、たまたまオーナー自身のブログのハンドルネームがくじらだったので、そのまま使ったとの事。ちょっと珍しい店名で覚えやすいし、親しみがあるし、キャラクターも作りやすいという事で決断されたそうだ。
一番人気はオムライス。小原村の卵を使った、ふわとろオムライスが大人気。
オープンから5年、周りの環境(競合店が増えた)は以前より厳しくなったが、常連さんが確実に増えている実感はあるとの事。もちろん、コーヒーにもこだわり、生産段階から品質管理がしっかりしている、スペシャルティ珈琲を、オーダーを受けてから一杯ずつ丁寧に入れている。
ここまで続けてこられたのは、お客様に真摯に向き合ってきたことではないかとオーナーは語る。とにかく常連さんの存在が大きい。顧客リストの収集と定期的フォロー、プラスSNSの活用で、定期的に来てくださる方が確実に増えたそうだ。
お店のモットーは「おいしい」ものを「おいしく」飲み食べしていただく事。
これから始める方へ、「迷っているならやめた方がいい。サラリーマンでいた方がいいと思う。ただし、苦しい先に大きな喜びがあることはまちがいない仕事なので、心が決まっているなら、全力で前に進んでほしい。」とエールを贈る。
「地域に一番愛されるケーキ屋さんを目指しています」
服部 太賀士 氏
ケーキ創業2012年11月
元々はお菓子作りというより、喫茶店をやりたいと思っていた。その道の学校に進もうと考え、調べていたら調理師学校ではなく、製菓学校があることを知り入学した。当時はまだ製菓学校が少なく、名古屋になかったので、浜松の製菓学校に入学して、お菓子作りを学んだ。入学後は菓子作りの面白さにひかれ、パティシエとしてやっていこうと思うようになったそうだ。
卒業後は浜松のケーキ屋さんに5年勤め。さらに名古屋の珈琲専門店でも1年働いた。当時ケーキ屋さんの喫茶部門のコーヒーは美味しいと思えるものがなかったので、ケーキも珈琲も美味しいものが出せるお店にしたいと思い、その後改めてケーキ屋さんの店舗責任者という立場で働いた。さらに、なぜ売れるのか、人気なのかを肌で感じようと、当時の人気店にも勤めて、その後独立。
さらに、独立の準備をしながらパン屋さんでも働いた。
(将来的にパンもやりたかったので)
日常使いの、地域に溶け込んだケーキ屋さん、がコンセプト。ただし、洋菓子なので、お店づくりは非日常感を演出した。
開業当時、土地探しに非常に苦労した。広い土地でやりたかったが、敷地全体は300坪。農地を中心に粘り強く探してやっと見つけたのが今の場所。
看板メニューは特に設定していない。当初はそれが悩みだった。しかし、お店をやっていくうちに、お客さまからは「普段甘いものや生クリームが苦手な子供がここのお店のは大好き。」「このお店のしか食べない。」という声をたくさんいただくようになった。
繁盛継続の秘訣は?の問いに「まず、大きい店と広い駐車場は武器だと思う。それから、お客様が求めているものを、なるべく取り入れていきお客様の注文からできた商品も多い。」と語る。
地域に溶け込む意味でよかったのは、モーニングを始めた事。これで新しい層のお客様が増え地元のお年寄りが来てくださるようになった。ケーキ屋さんには入りにくいけど、喫茶店のモーニングには好んで来てくれる。ここで、パン屋での修業が役にたった。モーニングで、焼き立てのパンを出すケーキ屋さんはなかなかない。お年寄りが増えたことで、お孫さんにケーキを買って帰る方や、誕生日のケーキを予約してくださる方が増えた。
あと、地域に溶け込む取り組みとして始めたのが「マルシェ」の開催。地域の農家さんなどに声を掛けて、野菜を持ち寄って売っていただいた。自分も焼き立てパンや、焼き菓子を売った。これも、新たにお店を知っていただくきっかけになり、さらに広がりができた。今後も続けていきたいとの事。
経営で大事にしていることは、一流ホテルに勤めていたとか、超人気店のパティシエだったとかの経歴があるわけではないので、人と協力する、周りの力を借りる事を考え実践する事で、方向性が定まっていないという批判もあるかもしれないけれど。変に固まらずに柔軟に適応しようとしてきた結果、地域のお客様に支持されつつあるのだと思っているそうだ。
今後の計画としては、敷地はまだ余裕があるので数年先にさらに拡張して、カフェ用の厨房を作って、ランチやデリの販売なども手掛けていきたい。との事。
最後にこれから始める方には、周りの人の存在はありがたい。(親、親戚、友人)その協力がなければできなかったと思う。開店の時に良いスタッフと出会えたことも大きい。自分一人ではなかなか成功は難しい。そういう人間関係を大事にしてほしいとエールを贈る。
「業態は変われど地元で60年以上愛されてきた飲食店」
佐藤 茂 氏
レストラン1949年4月創業
昭和24年、祖父が「手打ちうどん辰巳屋」を開業したのがスタート。当時の鳴海において、手打ちうどんはまだ珍しく、お客様に支持され繁盛店になっていった。その後、佐藤氏の父が後を継いでお店を拡大し、昭和42年には喫茶店経営にも乗り出す。昭和50年ごろ現在の土地に移転。うどん店は当時のスタッフに譲り、喫茶店に集中。その後、現オーナー茂氏がお店を引き継ぎ、平成22年に、「喫茶・軽食 タツミ」を全面リニューアルし「カフェ&キッチン タツミ」としてスタートしました。 老舗洋食店でコックの修業をしてきたので、それを100%活かせるお店にしたいと考え、また、手仕込み、手づくりの味を提供して、地域のお客様に楽しんでもらいたい!という思いから、喫茶・軽食から、カフェ&キッチンというスタイルに変更したそうだ。 「リニューアル後は、お客様が安定してきていただくようになるまでに、結構時間がかかりました。長年この地でやってきて「タツミ」の認知度は思ったより高くなかったことを痛感しました。当初は思うような成果が出なくて、精神的に追い込まれていきました。そんな時、地域の経営者仲間と悩みが共有できる場の存在を知り、他のお店の経営者との会話の中を通じて、だんだん前向きになれました。経営のヒントやアイデアも出るようになりました。」との事。 ちょうどそのころ、雑誌の取材や、グルメ口コミサイトでの高評価をきっかけに、新しいお客様が増えてきた時期で、さらにその後、宅配事業にも取り組み、こちらも順調に推移していったそうだ。 一番人気はハンバーグ。家族連れで来られたお客様はまず間違いなく注文される、当店の看板メニューです。 座右の銘は、「商いは飽きない。継続は力。」 とにかく「折れない心」を持つ事が大事。そして、やらない後悔より、やって後悔した方がいいと考え 今後は、昼の宅配部門の拡充を考えています。イートインのお客様の新規獲得は、非常に難しいので、宅配(ランチ時)の拡充をしていきたい、との事。 これから始める方へ、 (自分のような)料理人出身の経営者は、どうしても独りよがりになりがちなので、第三者の声、冷静な声(お客様目線の)が聞ける環境づくりが大事。 自分の仕事に自信を持ちつつ、お客様の声を真摯に受け止めることが必要とエールを贈る。
「真心を込める!」
烏田 匠 氏
和食
島根から愛知の企業に就職。3年間働く中で、手に職をつけたい、将来は人に使われるのでなく、自分のお店を持ちたい、という気持ちが強くなった。そんな話を行きつけの定食屋さんでしていた時に、ご縁をいただき、ある寿司屋さんで修業を始めました。
厳しい修行の後、寿司屋を開業。しかし、道交法の改正などで、車でのお客様が減少してきたので、現在の土地(豊橋駅前)で小料理屋を開業。回転ずしの台頭など、一般的なお寿司屋さんはなかなかお客さんが入ってくれないと感じ、寿司屋より気軽に来てもらえるお店を目指して、お寿司もあるよ、という程度の位置づけの業態に変更したそうだ。今では、お客様に恵まれ、お客さんに助けられておかげさまで比較的順調との事。
「旨い魚をお値打ちに」がモットー。「安さではなく、お値打ち感を追求。毎日市場にいくなかで、初めての魚をみつければ、使ってみたくなるし、チャレンジしている。どう調理するかわからないものを、まず自分で食べてみて、いけると思ったものはお客様に提供。それがお客様に受けている気がします。また、ひと手間かけて提供することが、魅力にもなっていると思います。」と語る。
座右の銘は「真心を込める」という言葉で、自分自身は、本当に口下手で、接客はどちらかというと苦手なので、お客様への感謝を表すには、とにかく真心を込める(料理にも接客はもちろん、お店の雰囲気づくりや整理整頓などすべてに)事を常に心がけている。お客様の「美味しかったよ」は本当に力になっているそうだ。
自分のお店を持つという事は、やはり大きなこと。最初は実績もないし、資金調達先も限られる。なので、開業を目指す方は、料理の腕を磨いたり、経営の勉強をすることも大事と思いますが、まずしっかり貯金をしてほしいとエールを贈る。