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飲食店先輩経営者からのメッセージ

すでに飲食店経営者として活躍されている先輩経営者から後輩経営者に向けてのメッセージです。
これから共に飲食業界を引っ張っていく後輩経営者へたくさんのメッセージが寄せられています。

有限会社クレメント  Coffee gallery Clement

「お客様の背中に向かって頭を下げる。」

古屋 嘉章 氏

カフェ
1987年開業

19歳の時、幼少の頃から通っていた老舗喫茶店の伝説的マスターの人間力に魅了され、アルバイトとして入門を依頼し、当時通っていた厳しい専門学校の完璧な単位取得を条件に、許可され、弟子入りした。以来、いくつかの有名喫茶店で、修業し、人脈を構築する。入門時に目標として掲げていた、10年の節目、28歳の時に、独立開業。開店当初から、好景気に支えられ、また、師匠やその周囲の人達に可愛がられた事で、経営は、順調だった。あまりの忙しさに、両手首を故障して、一時休んだ事もあるが、開店以来、店を守り続けている。現店舗に移転後も、ススキノの社長達に可愛がられて、一時期、同一館内に7軒の喫茶店がひしめき合っていたにも関わらず、支持され続けた、「ひとえに、師匠や、周囲の方のお陰。」とあくまで謙虚だ。お客様に愛され続ける秘訣としては、“どれだけ人と深い繋がりが出来るか”という事と、“お客様の背中に向かって頭を下げる”事だ。お客様はもちろんの事、指導して頂いた諸先輩達、納入業者、仲間との信頼関係を大切にし、いつも“人から学ぶ姿勢”と“生きた情報”を得られるカウンターでのコミュニケーションを大事にして来たからではないかと話す。今後は、「人付合い」「挨拶」「お礼」など当たり前の事をそれ以上の付加価値に変えて提供できる人材を育成しながら、尊敬する諸先輩達の様に周囲に良い影響を与えられる存在になる事を目指す。

山嵐

「一生忘れられない味で、喜びと感動を与えたい。」

大村 哲也 氏

ラーメン
2001年開業

小学校の頃、「ラーメン屋さんってカッコいい!」と憧れていた。20歳頃、先輩を見て、自分も飲食店経営者になる事を決意、中華業態のお店に就職し、修業に入った。26歳の時に、札幌市郊外で、餃子とビールが主力商品のお店を開業した。初めから順風満帆ではなかった。経営的、精神的に厳しい時期も、周りの人が支えてくれて、お客さんがお客さんを連れて来てくれた。何とか食べる事が出来るようにはなったが、今後の事を考え、先行き不安に悩んでいた頃、良く通っていたラーメン店で、会話の中から、「ラーメン屋の触り位なら、教えてあげるよ。」と言われ、昔から憧れていたラーメン屋を出店する事を決意し、目立たない裏路地で、ラーメン店の機材が全て揃った居抜き物件を見つけ、勝負をかけた。「面白いラーメン屋があるよ。」という口コミで、ジワジワとお客様が増えて来た時に、ご縁から、幹線道路に面した路面店に移った半年後、運良く全国のTV放送に出て、大繁盛店となった。人材が集まり、育つ度に、そのスタッフに活躍の場として、新しい店舗を開き、現在6店舗を運営しているが、決して、多店舗主義ではなく、あくまで、スタッフの活躍の場を作り出す事に集中してきた。大事にしているのは、“人に喜びと感動を与えたい!“という気持ちだ。売上よりも、面白いお店、”自分だけにしか出来ないお店作り“を行い、お客様に「一生忘れられない味だね。」と言われた時の喜びを忘れず、今後は、現在の店舗を守りつつ、海外出展も視野に、今ある事に感謝し、楽しみながら、自由な経営でチャレンジを続ける。

農業生産法人 有限会社ナカジマ ジンギスカン 羊飼いの店「いただきます。」

「ジンギスカン店を開くため羊飼いから始めた男の店」

中島 康晴 氏

ジンギスカン
2005年開業

世界であらゆるモノを奪い合っている現代で、子供が夢を語り、未来を作れる社会を実現し、「いただきます」“全ての命”に感謝する言葉を使う世界唯一の国である日本の未来を創る為に、会社を営む。いつか飲食店をやりたいと考えて、試行錯誤を繰り返すうちに、ひつじ肉は、ほぼ大半を輸入に頼っている現実を知ると同時に、とても美味しい北海道産のひつじ肉に出逢った。仕入が叶わないのならば、自分達で生産しようと、2005年に、緬羊飼育事業を開始する。自分達の志は、必ずや、社会に良い影響を与えられると考え、幾度となく訪れる経営資源不足や、難題が起きても、ひつじ達の生き方から学んだ「支え愛」「励まし愛」を胸に、乗り越え、2012年2月、札幌ススキノに、様々な方々の深いご縁と、力強い支援で、唯一の北海道産ひつじ肉専門のジンギスカン店「いただきます。」をOPENした。経営理念は、“みんなで、自ら、創る、造る、作る、食べる、生きる、笑顔、幸せ”だ。愛し愛され必要とされる人財企業として、夢と創造力を発揮・大切にし、生産から販売の全てに安全安心を提供し、日本の自然を活かし、国際流通や輸入に頼らない生産に挑戦し、みんなが、参加できる社会企業を実現する!という5つのビジョンを掲げ、より多くの方に日本の食文化の素晴らしさ・大切さ・未来を伝え続ける。

フランキーアンドトリニティー

日本ならではの洋食文化を伝え続けて行きたい!

加藤 健一 氏

洋食
2007年開業

加藤氏はもともと東銀座の有名洋食店にて、調理人として働きながら約10年間経験を積んできたという。当時その店舗で一緒に働いていた同僚と共同経営の形で、2007年オムライス専門店として立ち上げたのが、『フランキーアンドトリニティー』だ。

「独立を決めてから開業までの準備期間は約2年間かけました、有名なオムライス専門店を食べ歩いたり、他のメンバーもそれぞれ飲食店で働きながら技術やノウハウを学び開業に備えていました。」「ただ開業資金は非常に限られていたので、場所を見つけるのには苦労しました。」そう加藤氏は当時を振り返る。現在の場所を見つけるまでには、約300店舗の物件をみて歩いたという。「今の場所に決めたのは駅から近く、企業もありランチ難民といわれるくらいに昼時は人が出ていたので、地下の店舗でも行けるのではと感じ決めました。」

「開業当初はどちらかといえば運営面で試行錯誤してました。テーブルを入れ替えて席数を増やしたりメニューを改良したりとどうしたら回転率がよくなるかなど常に考えていました。」こだわりメニューのオムライスも毎日食べても飽きないようにと、開き型・包み型・まぜ型・のせ型と4種類を開発したという。また使う素材も黄身と白身の割合がベストなたまごを探すまで何種類ものたまごを取り寄せし試作を繰り返したという。

「黄身と白身のベストなバランスでかつ安定したレベルのたまごを探すのには、時間がかかりました。微妙なバランスが崩れてしまうと、色味が強かったりやはり満足のいくオムライスは出来なくなります。技術はもちろんですが、素材も厳選してベストなものを探し、今は特定のところから仕入れるようにしています。」そう加藤氏はオムライスのこだわりを語る。

「本格的なオムライスを出す店は、都内でも数軒だと思います。これからも日本ならではの洋食の文化を伝えて行きたいと思います。」将来的にはもう少し店を拡張したり、オムライス以外の洋食店業態にも挑戦していきたいとのことだ。

風月 株式会社

「北海道にお好み焼きを伝えたい。」

二神 敏郎 氏

お好み焼き
1967年開業

大阪商家に生まれ、戦争で焼き出された経験を持つ。北海道に移住し、昭和42年、北海道には「お好み焼き屋」がない!ここでやってみたい!と思い立っての創業だった。1店舗目は、3坪の店からのスタートだった。知識、知人、ノウハウ等、全てが何もない状態で、ただ純粋にやってみたいとの志だけだったと当時を振り返る。生活に追われる毎日の中で、初年度の売り上げは、年間40~50万円程度だった、食べる為に副業をしながらやってきた。今の人達が、足りないと思うのは「汗をかく事」ではないかと思う。情報・知識が先に来て、形にこだわり過ぎる傾向にあるが、実際に行動し、努力し、汗をかく事で、理解する事の方が、大事だと考える、“お金儲けをするにはどうしよう”と悩むのではなく、“お客様に喜んで頂くにはどうしよう”と悩み、世の中や、景気や、他人など自分以外の所に原因を求めず、自分の中に求める事、そして、“1人のお客様に心を尽くす事”に集中し、目に見えない“貯金”を貯める事が大事!“念ずれば花開く”志を持って、見えない縁の繋がりを信じて、本を読んで、夢を持って進んで欲しい、 とエールを送る。今後は、20年後の未来の為の販売促進を今、している思い、従業員、取引先、お客様など全ての人と誠実に付き合い「信用第一」で「人間大事の経営」を行い、現店舗のブランド力向上に向け、次世代の人間を応援していく。

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