make a dream!!
清水 幸雄 氏
ラーメン2013年開業
料理人として働き始めてから、何よりも独立を目標にしてきた。中華料理の有名店や専門業態を展開するFCなどで経験を積み、年齢的にも最後のチャンスだと考え2013年に『坦坦麺 永吉』を開業した。「ありきたりですが、自分の作る料理でお客様に幸せになってもらいたい、そして自分自身も経済的にも豊かさを得たいという想いもありました。」と開業のきっかけを清水氏は語る。
出店地域は、地元であることと身の丈に合った経営が出来る好条件の物件があったことを決め手に西川口で出店を決めた。これまで経験を積んできた、中華業態で地域の中華料理店と競合しないようにと考えたときに、「坦坦麺」の専門店での開業を考えたという。
開業後は、クリーミーな濃厚自家製練り胡麻と旨みたっぷりの自家製ラー油を使用した、こだわりの「坦坦麺」が口コミで評判となり、遠方から訪れるお客様も順調に増え繁盛を続けている。
現在は、夫婦と社員1名で店舗を切り盛りしている。「お客様からの『美味しい!また来るよ!』とか『やっぱり評判通りだね!』と声を頂くのが嬉しい。」「私はずっと厨房で調理しているので、お客様と直接お話しする機会は少ないですが、オープンキッチンですからそれとなく聞こえてくるんですよね(笑)。」お客様第一主義をモットーに、美味しい坦坦麺を提供し続ける事、わざわざ遠方から足を運んでくれるお客様に期待している以上の味を提供しようと日々工夫を重ねている。今後は原点となる1号店の味を守りながら、2号店目の出店も視野に入れているとのことだ。
笑姜や(しょうがや)という店名のように、生姜焼きの本当の美味しさを伝え、お客様に笑顔になってもらいたい!
吉川 雅人 氏
定食屋2012年9月開業
飲食店の開業は、自分の地元で土地勘がある場所で考えていた。生姜焼き専門店というお店のコンセプトも当初からこの場所であれば当たるのではないかと考えていたという。
「飲食のプロではなかったので、素人でも取り組みやすく、一般のお客様にも幅広く受け入れられやすい料理と考えたときに「生姜焼き」と考えました。」「開業に選んだ江古田は、特急が止まる駅ではないが、乗降客が多いので魅力でした。生姜焼き専門店として学生が多いので、低価格でおなかいっぱい食べてもらえるようにしたいと考えました。」と吉川氏は開業当初を振り返る。
周辺に多くある大学に通う大学生と男性客を、ターゲットと考えた店の人気メニューの「生姜焼き定食」は、若者・男性が好む味付けにしようと様々な調理方法や味付けを試してみたという。「新しいメニューを作る時に心がけていることは、来て頂いているお客様の層に合っているかどうか。今は男性が好む味付けにしたい。とりわけ多くの男性客はマヨネーズをかけて食べるので、マヨネーズに合うかどうかは一つの判断基準です。」そう吉川氏は語る。
「お客様にお腹いっぱいになって頂きたい、原価をかければ美味しい物は出来るかもしれないが、この価格でこのクオリティなら満足だよね、と思ってもらうために工夫をしています。」店名の「笑姜や(しょうがや)」とは吉川氏の、そんなお客様に対する想いや生姜焼へのこだわりからつけられたという。
また、「飲食店を開業することがゴールじゃないです。開業してからのほうが大変で、それを継続していくこと。開業して満足したらうまくいかないですよ。自分もこの店を開業する前にまったく別業種で商売をしていたことがありましたが、少しうまくいくと勘違いしてしまうことがありました。」と今後は今の店舗を中心に、複数の店舗を出店していく計画だ。
30年も40年通ってきてくれるお客様のために、変わらない味を提供し続けて行く!
萩原 栄子 氏
焼きそば1952年開業
現在三代目として、店を切り盛りしている萩原氏の母親の叔母が、昭和27年に埼玉県熊谷市石原で焼きそばを売り始めたのがはじまりだという。以来代々女性に店舗が受け継がれてきたのだという。「叔母は60代後半で店を出しました、もともとは傘張りを家業としていた家でした。当初も事業というよりは、女性の内職のような位置づけでした。」そう萩原氏は語る。「初代にあたる叔母は、非常に味覚やこだわりが強かったと聞いています。一つ一つの材料を吟味し、仕入先や調理方法も試行錯誤を繰り返し、今の焼そばを作りました。」
他にはない細麺で少し歯ごたえのあり油っぽくなく、高齢者でも食べられる美味しい焼そばは、開業当初から評判になり二代目三代目と店が変わっても30年40年通って来てくれるお客様が多いのだという。
現在のお店に移転したのは約20年前三代目の代になってからだ、店の立地は駅から離れた住宅地のさらに路地を入ったところにあり、初めてでは迷いそうな場所にある。そんな立地でも、昼時になると地元の常連客が車でお持ち帰りを注文にきたり、評判を聞きつけたお客様が遠方から評判の「焼そば」を食べに来る。
シンプルな「焼そば」という料理だが強いこだわりがある。「母の叔母が試行錯誤をして作った味や調理方法は今も全く変えていません。同じ味を出すために苦心したのは、材料を仕入れる業者さんが長年の間に廃業してしまったりすることでした、イカやソース・ラードなど。そんな時はメーカーに直接連絡を取り交渉したりしました。当時使用していた細目の焼そばの麺を注文していた製麺所が廃業した時には、もう自分で作るしかないと製麺機を購入し自家製麺に切り替えました。」「材料や仕入れ先を変えてしまうことは、その味を求めてきてくれるお客様を裏切ることになってしまう。でも同じ味を守る為にかける手間や工夫を苦労とは思っていません。本当に商売は楽しいんですよ。」と荻原氏は今後も、代々受け継がれてきた変わらない味を守っていく。
お客様にはお腹いっぱい食べて、また元気に仕事してほしい!
鈴木瑞雄 / 鈴木昌樹 氏
洋食1985年開業
『むさしや』創業は明治18年、元々は旗本の末裔の家柄だったが明治の階級制度の改革により侍をやめてふかしイモや煎り豆などを売り、商売を始めたのがはじまりだという。
商売は形を変えながら屋号とともに代々受け継がれ、現在は四代目となっている。新橋で商売を始めたのは、今のビルの場所に家があり住んでいたので、ビルの竣工と共に現在の店舗で商売を始めたのだという。
当時から今と変わらない約3坪のスペースで当初は、ソフトクリームやハンバーガー・中華料理など色々な商売を試してきたという。現在の洋食を出し始めたきっかけは、3代目にあたる祖父の弟が東京會舘や帝国ホテルなどで洋食のコックをしていた関係もあり、その当時中華を売っていたメニューの中に、洋食メニューを取り入れたのがはじまりだという。そこから少しづつ洋食メニューが人気になり始め、ナポリタンの流行などもあり今の洋食店のスタイルになったのだとのことだ。
メニューで一番人気があるのが、こだわりの『ナポリタン』と『オムライス』だ。たっぷりとバターを使用し、来店する多くの男性客層に合わせて量が多く安い。
カウンター6席の店には、ランチの時間帯になると20人~30人の行列が出来る。来店客の8割~9割は新橋で働くサラリーマンだという。「うちに来るお客様は8割~9割が働く男性客。時間がない中、使えるお金も限られる中なるべく待たせない事、お客様の期待を裏切らないことを心がけています。そしてお腹いっぱい食べてまた元気に仕事をしてほしい。」そう5代目にあたる鈴木昌樹氏は語る。
5代目にあたる鈴木氏は、大手の飲食レストラン企業で経験を積んだ後、実家の店に戻り4代目と身内で店を経営している。「商売をするには小さく効率良く運営できるところが良い。大きい規模の店はどうしても無駄が出てしまう事が多い。」「まだ先の話だが、ビルの建て替えも決まっている。ただ移転しても今の店の規模やスタイルは変えずにこれからもやって行きたい。」と今後もお客様のために店と味を守っていくということだ。
自分の味を信じ、覚悟を持って貫く
早川 成次 氏
居酒屋1981年開業
店主の早川氏が22歳の頃、転機は訪れた。母親が働いていた近所の居酒屋が 閉店することになり、その物件を居抜きで取得し、店をやらないかと母親に相談された。
当時、イタリアン・フレンチ・スパニッシュなどの洋食の調理人として働いていた早川氏は、 「自分がこの店をやっていくんだ」という覚悟を決め、家族で経営をスタートした。
居抜き物件のため、業態は居酒屋。居酒屋で生き残るためには専門的な商品を入れたほうが良いと考え、当時仕入れルートがあった「もつ」をウリにすることにした。それから「もつ」について他店の調査をしたり、勉強をし、開業を迎えた。
「新鮮な旨いもつを食べさせたい」と、今でも市場に自ら仕入れに行っているほど、看板商品の「もつ」に対する思い入れは強い。これがこの店が長く愛されている大きな理由だろう。
しかし、今のように順調な状態がずっと続いていたわけではない。開業から数年後、世間が不況になると共に常連だった周辺の企業がどんどんと減っていってしまった。その当時、親と弟と店舗を運営していたが、自身の家族含め、「このままでは全員が食べていけない」と弟に店舗を任せて自ら店を離れて他店に働きに出た。その後、15年程経った頃に弟が病気になってしまう。それをきっかけに店に戻り今に至る。
現在の状況だけ見れば口コミサイトで高評価をもらい、30年以上地元で愛され続けている人気店だが、やはりその陰には一言で語りつくせない様々な出来事があったのだ。
早川氏いわく、「飲食限らず色々トラブルは起こる。しかしトラブルがあるから今がある。トラブルを楽しめるくらいにならないと。」と。この言葉の背景には、「飲食店を開業するからには”この店でやっていく”という覚悟を持ち、決断をすることだ。」という強い想いがある。「店が今繁盛していることは自分の信念を継続した結果だ。」と強面な表情で語る早川氏だが、すぐに「そんなカッコイイ言葉じゃないんだけどね」と顔がゆるむ。
口コミサイトの影響か、最近では遠方からのお客様や女性の一人客も増えた。そんな初めての人には少々入りにくい雰囲気の店だが、早川氏は自ら声をかけるようにしている。それでも、忙しい時にはあまり話せなくて申し訳ないと反省することもあるそうだ。そんなお客様想いの「料理人」だからこそ、口コミで評価が広がっていくのだろう。