手作りのハンバーガーの美味しさを伝えたい!
名坂 修 氏
ハンバーガー2013年12月開業
開業を思い立ったのは数年前。 名坂氏がシステムエンジニアとして働いていた頃、「人に雇われるだけで終わる人生にしたくない」「お金と時間に縛られない生活を手に入れたい」そんな想いからだった。
その頃、飲食業界には「グルメバーガー」と呼ばれるジャンルは、まだまだメジャーではなく、特に東京から離れるとお店自体も少なく、「ハンバーガー = ファーストフード」という図式が出来上がっており、「手作りのハンバーガーの美味しさをまだ知らない人達に伝えたい」という思いを抱くようになった。
開業することを決めてからは、物件探しと、慣れない飲食店でのアルバイトの日々が続いた。元々、技術職を何十年と続けていたのと、性格上の問題から接客業はとても苦手で、恥をかいたり怒られたり という毎日。それでもグルメバーガーに活かせる技術を学ぼうと働き続ける中、一緒に働きたいという料理人のパートナーが現れた為、厨房を全面的に任せる事にする。
その後何とか念願の開業を果たしたが、店舗を周囲の人に認知してもらうまでとても時間がかかり、特に夜、お客様の来店が殆ど無いという日も珍しくない状態が続く。しかし、チラシ配り等の日々の努力の甲斐もあり、徐々に客足は増え、グルメバーガー本から取材を受けたり、テレビ取材を受けるようになった。
今はまだ余裕があるとは言えない状況だが、いつかこの店舗を複数店舗展開するという目標を掲げながら、今日も名坂氏自身、ホールに立ちながら苦手な接客と向き合い、お客様の声に耳を傾けている。
スタッフは家族同様!お店と共に自分自身も成長したい!
俣本 哲哉 氏
居酒屋、焼とり、もつ鍋2013年7月開業
飲食店の開業までには、様々な業種・業界で働いた。不動産のデベロッパー・トラックの運転手・派遣会社社員・クラブの黒服・訪問販売など。飲食業界では約8年間FCチェーンの店長からSVまで経験した。家庭を持ったことを機に、飲食店での独立を決意。「将来を考えたときに、会社員として働く自分をイメージできなかった、また子供たちにも何か残したい。」そう考えたからだ。
居酒屋での開業を考えた当初はフランチャイズも検討したが、より自分の裁量で経営できるライセンス事業で、商品にインパクトを感じた「釜焼鳥本舗おやひなや」に加盟。2013年7月に開業した。
「開業3ヶ月は、思ったように売り上げが伸びずに非常に苦心しました。お客様の厳しい意見も頂き、まったくお客様の来ない日もありました。」と俣本氏は振り返る。「ただそんな中で懸命に、お客様に頭を下げて頑張っているスタッフを見て、感謝して思わず涙が出ました。彼らの人生を預かる立場として失敗はできないと強く感じました。スタッフは家族同様です。そして自分自身を成長させてくれます。稼がせてあげたいし幸せな将来を送れるように面倒を見てあげたい。」と俣本氏は語る。
開業以降自分自身が朝から夜まで店舗に入り、赤字の月もありながらも徹底してお客様の声を聞き、改善することを繰り返した。地元の地域特性に合わせ、地道な努力を重ねやっと結果がついてきた。
個人で独立開業して資本力のない中で、店舗の収支でやりくりする厳しさを感じているが、すぐに改善の手を打ちながら自分の裁量で結果を出すということに経営者としてのやりがいも感じている。
今後は地元の立川を中心に、今の店舗を盛り上げながら次の店舗展開も視野に入れている。「スタッフと共に、店も自分自身も成長していきたい。」と日々挑戦を続けている。
厳選した素材をこだわりの調理方法で提供!老舗の味を守り続ける
長谷川 博 氏
焼かつ1936年開業
上野の精養軒で修業した初代が、御徒町で創業したのが昭和11年から12年頃。名物の「焼かつ」とは、明治時代ごろヨーロッパから日本に伝わってきた「カツレツ」をもとに初代が素材・味・調理法に工夫を重ね店の看板商品にしたのがはじまりだ。
戦後浅草に移転し、今は3代目が老舗の味を守り店を切り盛りしている。
「良い素材や調理方法にこだわれば、やはり原価も手間もかかります。効率的ではないかもしれないが、やはりこの味を美味しいと言ってくれるお客様の為に続けていきたい。」そう三代目店主の長谷川氏は語る。
名物の焼かつは、「あっさり・さっぱりと美味しく食べれる。」と年配のお客様にも非常に好評だ。油に落として揚げる一般的な「とんかつ」とは違い、1枚1枚常に新しい上質の油を用いフライパンで丁寧に調理する事で、油がしつこくなく衣がさっくりと仕上がり、美味しく食べて頂く事が出来るのだという。
トンカツソースも厳選し、皇室御用達とされた「プリンスソース」を使用している。そんなこだわりの「焼かつ」にほれこみ、親子3代で通っている常連客も多いという。けして目立つ場所にあるわけではない路地裏の店だが、ランチタイムは満席となる。
それでも長谷川氏は、「飲食店の経営は決して甘いものではない。」という。食材価格が上がる中で、お得だと感じて頂く値段で出すために厳しい状況も乗り越えて工夫を続けて行く必要があるからだ。また「手間を惜しんでは、美味しい物は提供できない。」と創業当初から受け継がれた調理方法にこだわり今後も店の味を守り続けていく。
ここでなければ食べられない!昔ながらのあたらしい味
来住野 正明 氏
カレー、とんかつ1921年開業
創業は大正10年(1921年)、初代がフランス料理をレストランで修業したのち、神楽坂に店を出店したのがはじまりだ。豚肉に衣をつけて揚げたものを「とんかつ」と名付けたのはこの店がはじまりと言われている。
当時は様々な洋食も含めて、花柳界で仕出しを中心に商売をしていたという。戦後、新宿に移転し以来「とん丼」を名物に繁盛を続けている。
名物の「とん丼」とは、初代が開発したこだわりのサクサクジューシーなとんかつを、大きく3きれカレーソースをひいた上にのせて提供する逸品だ。
一般的なとんかつはロースとヒレと2種類使い分け使用しているが、王ろじではあくまでロースにこだわっている。「ロースの脂身を苦手と言う方が多いが、豚肉の美味しさ甘みや旨みを本当に味わって頂くためには脂の部分は必要なんです。ただ、脂っこくなく美味しく食べてもらうために肉の仕込みは、手間をかけています。」と二代目店主の来住野氏は語る。「自分が美味しいと感じる、丁寧な仕事をし続ける。自分を信じ、お客様は分かってくれると信じて毎日継続していく。」それが大事だという。
肉の仕込みは、脂身をそいでたたいて伸ばし、粘りをだしとんかつにまとめる。その仕込み時間だけで5時間から6時間を要するという。
「大手のチェーン店も多く出店している地域、その厳しい競争の中で個人店が勝ち残っていく為には、やり方を変えないという頑固さも必要なんです。たださらに味を良くするため、考え続けることは必要です。ここに行かなければ味わえないという味を出して勝負していくことが大切です。」と、二十歳で初代から店舗を引き継いだ二代目は、昔ながらのあたらしい味を追求し続けている。
お客様の為にひとつひとつ丁寧に焼き上げるホットケーキ!座右の銘は継続!
塩谷 三夫 氏
カフェ1974年開業
ピノキオが開業したのは1974年、創業40年になる老舗喫茶店だ。塩谷氏が結婚した際、仲人をしてくれたビルオーナーから声をかけられ、夫婦で大山に開業したのがはじまりだ。
当初は、ごく一般的なスタイルで、サンドイッチやトースト・スパゲティなどを出していた。駅から遠く、けして立地が良いわけではないが、周辺に印刷会社が多かったことから、打ち合わせ利用も多く、またバブル景気の中、比較的順調な立ち上がりだったという。
「ただ、バブルがはじけて4~5年たった頃、お得意様だった会社が多く倒産していく中で、はじめて危機感を感じました。立地がらお客様の90%は近隣の常連客で新規の来店客はほぼいなかった。」そう塩谷氏は振り返る。
その当時偶然が重なり誕生したのが、今大人気メニューとなっている「ホットケーキ」だ。近くの小学校の子供達の希望で焼いてあげたのがきっかけだという。それが常連客の芸能関係者の目にとまりTVや雑誌などに紹介され徐々に知られるようになった。
『きっかけは偶然からだが、今の「ホットケーキ」を作りだす為には、試行錯誤を繰り返し失敗を重ねて今の形が出来ました。人に聞くのは簡単だが、それではやはり人真似になってしまう。真似はしたくなかった。そして単純なものほど難しい。』そう塩谷氏は語る。
他にはない個性的な分厚く美味しいホットケーキが評判になり、インターネットの口コミで爆発的な人気となった。今は北海道から沖縄まで週末になると遠方からの来店客も多い行列が出来る繁盛店となっている。
「すぐに結果を求める人が多いが、お客様の為に目の前のひとつひとつの仕事を丁寧に積み重ねる事、それを継続する事。」それが大事だという。今まで全てが順調だったわけではない。また開業から約10年間は無休で、夫婦2人で働き通した。その積み重ねと継続で今がある。