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飲食店先輩経営者からのメッセージ

すでに飲食店経営者として活躍されている先輩経営者から後輩経営者に向けてのメッセージです。
これから共に飲食業界を引っ張っていく後輩経営者へたくさんのメッセージが寄せられています。

もつ処 やまり

「満足して、笑顔になって帰ってもらうのがお客様と自分との絶対に守るべき約束」

山口 裕也 氏

鉄板焼き
2011年8月開業

飲食店に務め、料理の修業している時、ホルモンの魅力に気づき、“ホルモンを鉄板焼きで提供するお店”の開業を目指して準備した。尊敬する社長のもと、経営を学びつつ、料理を研究し続けた。「廃棄される事が多い、ホルモンも元々は大切な命なので、感謝して、美味しく食べないといけない!」目指すは「内臓廃棄率0%」だ。その為には、当時北海道では珍しかった、内臓料理専門店を作ること。平成23年、イメージ通りの“ちょっとハズレた裏路地感の漂う物件”に惚れ込み、オーナーに直接情熱を語り続けた結果、人柄を買われ、大手競合を抑えて、入居が叶った。関わった全ての人に、可愛がって頂ける、愛して愛される人と人との繋がりを大切にして、「満足して、笑顔になって帰ってもらうのがお客様と自分との絶対に守るべき約束」であり、どんなに大変で、苦しい時も、“居心地の良い、こだわり研究し、素材を活かしたモツ料理専門店”のコンセプトは崩さず、お世話になった方々の為にも、信じた道で、努力し続けた結果、2年位が過ぎた頃、口コミから、火が付き話題店になった。道内の生産者さんも驚くほどの美味しいモツ料理がやっと受け入れられたのだ。今後は、加工・物流も視野に入れつつ、もっと気軽にモツ料理を楽しめる業態展開を行い、高齢者が笑顔で働ける雇用の場を生み出したいとの夢を描く。

綱島ホルモン

地域密着!鮮度の良いホルモンの美味しさを伝えたい!

中村 伸一 氏

焼肉、ホルモン
2014年3月開業

商売をしていた父親からは、「日頃の積み重ねの大事さ」「辛抱強く、飽きずに商売を続けることの大事さ」を教えられた。飲食店での開業を志し、20年間焼肉屋で修行をしてきた。結婚し家族が出来たことを機に独立を決意。家族には当初から飲食店開業への想いを伝え家族の目標として計画を立ててきた。

地元に近い綱島で2014年「綱島ホルモン」を開業。「鮮度の高いホルモンの本当の美味しさを伝えたい!」と専門の業者から、鮮度の高い質の良いホルモンを厳選して仕入れ、ファミリーやカップルの多い地域に合わせメニューやタレを工夫した。肉の食べ方には部位ごとに一番美味しい火の通し方・食べ方がある。それを来て頂いたお客様に提案していきたい。と熱く語る。

「また来るよ!」お客様にそう声を頂いた時が一番嬉しい、そしてやりがいを感じる瞬間だという。

「店を出すのは簡単だが、商売を繁盛継続させるためには、常にどうしたら上手くいくのか考え続けていかないと難しい。」と競合他店との差別化を図り、独自の戦略で挑戦を続けている。そして「いいスタッフがいてこそ、いい店が成り立つ」と、今後は人を育て熱い想いを持った若者と、地域密着で店舗を展開していきたいと考えている。

有限会社登仁角

先々代から守り続けた味を東京の人に食べてもらいたい!

米川 宏 氏

お好み焼き
2013年9月開業

元々、大阪の堺市で先々代が開いた「登仁角」。先代の頃にお好み焼店に業態転換し、地元で成功を納めた。

父の店を手伝いながら高校生まで堺市で暮らした米川氏は「絶対継ぐものか」と大学から上京。その後20年ほどサラリーマン生活を送った後、父(先代)の介護のため大阪へ。次第に「この人の作り出したものを守って行きたい」と開業を決意するに至った。先代を看取った後、「この味を東京の人に食べてもらいたい」と東京で物件探しをスタートした。しかし、なかなか物件が出ないまま約1年。様々な想いが巡った頃、現在の物件と素敵な心意気の仲介業者に出会った。

開業後は、東京と大阪のお好み焼に対する文化の違いや、利益を残すための売価設定等…考え、苦労することが多かった。それでも先代の頃の「登仁角」を知るお客様が何人か訪れると、「のれんにキズは付けられん」と、より店を守る決意を固めた。

今後は多角化するつもりはなく、この店で三代目登仁角の名を広めて行くつもりだ。

最後に米川氏は語る。「"他人には絶対負けん!"と思う強力な武器がないと、飲食店の開業は厳しい。」商売人の家庭に産まれた米川氏からは、生半可な気持ちや甘い展望で飲食店の開業をすることを危ぶむ気持ちが強く表れていた。

くんぺい

地元の方にくつろいでもらえるような店づくり

蒲生 健 氏

居酒屋
2014年1月開業

大学卒業後、大手チェーン店に入社。居酒屋業態で店長など、約10年間の経験を積んだ。当初より将来は独立開業を考え、計画を立てていた。接客から調理まで携わり、本部での管理業務も一通り経験したタイミングで、これまで培ってきた経験を活かし居酒屋業態で独立を決意した。

独立する際にまず考えたことは、信頼の置ける人材を集めること。チェーン店時代の料理長に声をかけ、2014年共に開業を実現した。「自分はラッキーです、人に恵まれ運がよい。真面目にやっている人には運も付いてくる。」と蒲生氏は言う。

オープン当初は試行錯誤しながら、地域に愛される店にするにはどうしたらよいか、日々考え続けた。地元に住んでいる舌の肥えたお客様に満足していただけるように、日本酒は40種以上を常時メニューに置き、季節ごとにおすすめを5~6種類入れ替え日本酒の美味しさを伝えはじめた。

また料理や素材にこだわり、都内の農園から直接新鮮な野菜を仕入れ、調理に使う出汁も手間をかけてとっている。家族の故郷から産地直送の食材や米を送ってもらいメニューにも取り入れている。接客はチェーン店の時にはできなかった細やかな気配りを心がけ徹底するようにした。

「オープンして半年が経ち、ようやく地域の方に喜んで頂け、くつろいで頂ける店の形になってきました。」と蒲生氏は語る。まずは足場を固め、堅実に地域に愛される繁盛店になることが当面の目標だ。

シチロカ

お客様に活力を!

廣田 顕 氏

おにぎり
2014年9月開業

店名の由来は、「お客様に本当に美味しいものを提供し、満足していただくことで 元気になって頂き、明日への活力としてもらいたい。」という想いから。活力という漢字をモチーフに「シチロカ」と決めた。

店のウリはコメを厳選し、具材調理に手間をかけた、こだわりの「おにぎり」だ。

開業前は30~40店舗のおにぎり店を研究し食べ歩いた。使用するコメの種類・コメの炊き方・具材の選び方・具材の味付け・大きさなどなど、どんな商品が受け入れられているのか、個性を出していくにはどうすればよいかと考えた。シンプルな料理だがこだわりは深い。

おにぎりを研究しながら、気になる店には直接連絡をとり、アルバイトとして働きながら修行した。「回転や効率を重視した店ではなく、地域の人がほっとくつろげるあたたかさやおいしいものにこだわってよさを感じて頂ける店づくりを当初から考えていた。」と廣田氏は言う。

羽釜で炊くコメはあきたこまちを使用し、具材も築地から仕入れたサケやすじこを店で味付け。明太子は家族の故郷、福岡から取り寄せるなど。夫婦二人三脚で商品開発しながら店を切り盛りしている。

訪れるお客様は7割が女性だ。雰囲気づくりやおにぎりの大きさも女性向けに工夫を重ねている。また近隣で働く方むけに残業の差し入れ用にと、お持ち帰りののしと袋を手作りした。上司が残業している部下に持ち帰ったら非常に喜ばれ、今度はその部下の方が来店したという。今後もオフィス街で働くサラリーマンやOLの方の元気の源となるべくこだわりの商品を提供し続けていく。

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