「食を通じて笑顔をつくる!」
木村年宏 氏
海鮮丼屋2014年 開業
大学時代から、お客様の反応がダイレクトにわかる飲食店でのアルバイトを通じて、その魅力を知り、卒業後、父親の経営する「海鮮丼屋小樽ポセイ丼(新橋店)」で、修行に入り、帰郷後、さらに努力を重ね、自身の結婚を機に、平成26年に念願の新店舗を、小樽市堺町で開いた。同時に代表取締役に就任。今までは、海鮮丼を主体とした業態だったが、新たな試みとして、ファミリー層にも楽しめる炉端焼きとの複合店舗への挑戦だ。子供が生まれた事もあり、親達が落ち着いて飲食できるようにとキッズルームを備えた店づくりになっている。小樽港で水揚げされた海産物を中心に、ワンコインのいくら丼を初めとして、リーズナブルな価格で、新鮮な海鮮丼が食べられるお店として、今や押しも押されもせぬ有名店だ。経営者として大切にしている事は、「人材」。過去スタッフに、お金の面で裏切られた辛い経験もあったが、“お客様に喜んでもらい、売上げを作り出すのは、店長を初めとするスタッフだから、自分は、彼らを信じ切る“と話し、運営を任せ、自身は、スタッフを守る為に、システム作りと、対外的活動を積極的に行っている。今後は、地域貢献も含め“食を通じて笑顔をつくる”を掲げ、お客様が、楽しめるお店を展開する。
「北海道にジェラートのある風景を・・・」
増谷 尚紀 氏
ジェラート2006年 開業
パティシエとして、修行中の2001年、イタリアで、本場の洋菓子を学ぶ。その後、フランス、イギリスと渡り修行。帰国後、ホテル勤めを経て、平成18年、31歳の時に、約10坪の工場を構えて起業。イタリアで、ジェラートは、“広場で気軽に楽しむ食べ物”で、出身市地の函館と修行地ローマの緯度が同じ事から、北海道にも同じ光景を作りたい!と考え、立地に左右されない、移動販売車からスタートした。会社名の“セイウニカ”とは、イタリア語でいう「オンリーユー」の意味だそうだ。開業当初の食べるにもやっとの苦しい時期を、志を忘れず、家族と共に乗り越え、現在7ブランドの飲食事業を展開している。転機となったのは、友人からの依頼で作り始めた、”北海道食材を使用したジェラート”だった。全ての食材を北海道産にして、日替わりのリクエストに応える為に、研究・開発に励み、レシピ数も約200アイテムを超えた。商品開発時に最も、気を遣うのは、イタリア人の師匠の教え“美味しい素材を贅沢に使う”事だという。今後は、札幌原産の希少ないちご「さとほろ」の種を存続させつつ、多くの農産物を使用した加工品を製造・販売する取り組みを含めた、農家さんの支援に繋がる活動に力を注いでいく。
「好きな事をやって、飯が喰えるって最高じゃない!」
須藤 正勝 氏
バー2009年 開店
19歳の時、飲食店で勤め始め、“人と良いコミュニケーションをとると、こんなにもお客様が通ってくれる”という事を知り、接客業の魅力にはまった。その後、普通のサラリーマンとして様々な職種を経験するも、改めて“自分は、接客業が好きだ”と気づいて復帰、それからは、飲食店一筋で今に至る。30歳半ばで、友人らと共に“音楽とお酒”がテーマで、人と人との繋がりを大事にするバーの共同経営で独立。焼肉店のなども手掛け、39歳の時に、現在の業態である「ONE STAR BAR」を開店した。お店のコンセプトは、音楽とお酒が繋いでくれる様々な“共感”を得られるお店だ。経営面で大事にしている事として、飲食店は、常連さんになってもらうには、時間がかかるが、お店を離れるのは一瞬だという事を、経験から知り、お客様に”常に発信し続ける企画力“を重要視している。ある芸能人が言った「好きな事をやって、飯が喰えるって最高じゃない!」という言葉に共感し、好きな事を職業にできる幸せを噛みしめつつ、継続する事の大切さを忘れず、今後も大好きな飲食店を、仲間や、横の繋がりを大事にして、北海道の食材の魅力をアピールし、人材が育つ環境を整えたお店づくりを目指していく。
「2番手3番手が居てこその社長業!」
佐野 浩輔 氏
ラーメン、居酒屋、焼肉、その他2008年 開業
幼い頃から、料理を作る事が大好きだった。社会人になり、他業種の様々な職業を経験しながら、いつしか、自分の好きな事を仕事にしたいと考えるようになった。一念発起して、29歳の時に、札幌市内の超人気焼肉店、超人気ラーメン店で、約6年間しっかりと修行を積み、貴重な経験と、ノウハウ、技術を修得した。平成20年に手稲区で、ラーメン店「麺屋サスケ」を開店。当初から、夜の時間帯のお客様に絞り、昼の営業なしに、夜のみで勝負した。修行時代に培った技術の全てを注ぎ込み、作り上げた清湯スープのこだわりの一杯が、多くの方に受け入れられ大人気となった。その後、居酒屋業態「旬菜Diningサスケ」、「焼肉どんどん」を展開、そして、2014年グループ初の道外出店を果たす。数々の失敗を経験し、学んだのは、「経営に関する全ての管理を人任せにしない!」という事が、最大の収穫だったと、当時を振り返る。経営理念は、“有能な2番手3番手のスタッフが居てこそ、社長が輝く!”と考え、“人材を大切にする”事を一番に考えている。今後は、10店舗を当面の目標に、スタッフの活躍の場を提供する為の出店を行う。
「地域の人に愛される店づくり!」
辰巳 裕一 氏
イタリアンレストラン2007年 開業
元々、大手飲料メーカーに勤務しながら、憧れていた職人仕事を生業として生きたい!との思いから転職。大阪・札幌の飲食店で約5年間の修行に入った。どうせやるならば、独立して自分で会社を立ち上げたいと考え、妻の故郷である札幌に移住し、飲食店のオーナーシェフとして、39歳の時、平成19年に札幌市豊平区で「イタリアンレストランTATSUMI」を開業し、職人の道を歩き始めた。OPEN後は、経営者の感覚よりも、“いいものを作ってさえいれば、いつかお店は、繁盛するはず”、との幻想を抱き、満足な販促なども仕掛けていなかった事が、苦戦した要因だったと当時を振り返る。平成25年に白石区に移転。移転を機に屋号を「たつみキッチン」とし、身近な「街の食の便利屋さん」という立ち位置で、近所の人から、愛される地域密着型のお店を目指した。メニューは、ピザやパスタ等の素朴なイタリア料理をメインとしており、特に、自家製のスモークチキンを使用した料理が、人気だそうだ。今後は現店舗で、料理人(職人)として、より美味しいものを追求しつつ、飲食店経営の原点・基本を大事にし、オードブルなどのテイクアウトにも力を入れ、夫婦でコツコツと頑張っていく。