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飲食店先輩経営者からのメッセージ

すでに飲食店経営者として活躍されている先輩経営者から後輩経営者に向けてのメッセージです。
これから共に飲食業界を引っ張っていく後輩経営者へたくさんのメッセージが寄せられています。

かっぱの宿

変わらないこと

山根 直之 氏

和食
1950年創業

現在お店を切り盛りしているは3代目の直之氏。創業は1950年。開店当初は居酒屋からスタートしたのだそうだ。看板メニューの“牛肉煮込み”が大変な人気で仕込みが追いつかなくなり他のメニューを少しずつ減らしていき2代目が引き継ぐ頃には現在の形態である“煮込み専門”となっていたのだとか。3代目直之氏はいつもお店を手伝っていたが高校卒業時に家業を継ぐことを決意する、ただ外の世界も知らなければならないと、5年ほどで勤めに出て修業を積んだ後、2代目である父親の体調も考え家業を引き継ぐことになった。経営で一番大事にしているのは“変わらないこと”と語る。味はもちろんのこと、食材なども極力変えずに同じ味に仕上がるように神経を使う、素材は生き物だけに個体によっては変化が当然起きる特に個体差の大きい牛肉は国産のものだけを1頭買いで仕入れ捌き方から熟練の技術を駆使して微調整しながら一定の味に保っている。また改装をしたときも以前からの常連さんの為に、ほとんど見た目に変わらないように改装したほどの徹底ぶりだ。おかげさまで、50年通い続けてくれるお客様や30年ぶりに懐かしんで再来店してくれるお客様などに変わらず愛され続けている。2代目曰く「最高時は1日500人ほどのお客様が来てくれた日もあり、その時は1俵のお米を炊いた。」と語る。これから始められる方には「コンビニに行けば美味しいものが、いつでもどこでも買える厳しい時代、専門性こだわりを持って臨んで欲しい。」と老舗だからこその温かいエールを贈りつつ、今後も“変わらないもの”を守り続けていく。

手打ちうどん やをよし

流行を敢えて追わず奇をてらわず基本を大事にしつつ変化し続けること

荒島 広志 氏

うどん
明治36年

 創業明治36年、代々引き継がれ100年以上の長きにわたり暖簾を守ってきた。現在お店を切り盛りするのは5代目の広志さんだ。曾祖父、祖父、父親の背中をみて物心がついた頃から自分が継ごうと漠然と考えていたそうだ。そのために京都の懐石料理店(茶懐石)で修業に入り先代たちとはまた違った視点で料理の研鑽を積み、守ってきた伝統の味に幅を広げ更に磨き上げるための技術を学んできた。4代目から引き継いだのは平成23年からで、現在も日々進化を続けている。100年を超える伝統を守ることは容易ではなく少しでも手を抜けばお客様にすぐに分かってしまうと理解し、手打ちへのこだわりと出汁のとり方、醤油のブレンド等は絶対に変えず、季節に応じた素材や具材はむしろ積極的に変化を加えているそうだ。元祖ガマゴリうどんと言われる“竹島うどん”(春あさり)、穴子うどん(秋)、牡蠣鍋(冬)その季節ごとに人気メニューはあるが、一年を通して人気メニューとなってるのが先代が世に出した“龍神(あんかけ+フライ)”だそうだ。経営者として大事にしていることと繁盛継続の秘訣は?の問いに「流行を敢えて追わず奇をてらわず基本を大事にしつつ変化し続けること。」と語る。これから始められる方には、「基本を身につけた上で、こだわる部分はとことんこだわり、引き算(計数管理)もしっかり行い経営することと、決して手を抜かず、手を抜いていないことをお客様に伝えること」を大切にして欲しいとエールを贈る。今後も子供がお店を継ぎたいと思ってもらえるようなお店にすることを目指して家族とともに伝統を守りながら変わり続けお店を守っていく。

日本料理 潤花

“日本料理を通じて”お客様に喜んでもらうこと・・・・・

中田 潤 氏

和食
2013年開業

 19歳で日本料理の門を叩いた時から将来は自分のお店を持つことを志していたそうだ。大阪や京都で10年程修業していた時、北海道定山渓温泉の名旅館から「“副料理長”として2年程力を貸してくれないか?」と誘われ北海道の食材にも触れてみたいと思い引き受けたそうだ。約束の2年を迎えた頃、様々な選択肢の中で“料理長”として厨房を預かることを決め以来10年という長きにわたり名旅館の名を全国に知らしめる活躍となった。節目を迎えた時、門を叩いた頃からの志を実現するため遂に開業を決意。目指したのは店名の由来にもなっている“潤い”と“花”をテーマにした日本料理店で、“毎日毎日忙しい喧騒の中で道の片隅に咲いた小さな花に心の潤いを感じる感覚”を自分の日本料理を通じて心を潤していただき「また明日も頑張ろう!」という喜びに満ちた活力になれるお店だ。開業時に大変だったのは集客で、OPEN日こそ知人が応援に来てくれたが苦戦が続いたそうだ。何せ前職は裏方で接客する機会がなかったため仕事関係者以外の人脈が全くなかった。また全て自分の責任で物事を決めていくことや明日の売上に対して常に不安を抱えていたそうだ。ただその時、少ないながらも来ていただいたお客様に喜んでもらうことに、ひたすら集中し美味しい料理作りに打ち込んだそうだ。20歳の時から将来の自分のお店のために買い続けてきた器や心を込めて美しく盛り付けられた写真が、お客様のSNSを通じて口コミで広がり2ケ月~3月経った頃には手応えを感じたそうだ。継続してこられた秘訣は?の問いに対して、「20年以上の修業」と語る。経営で一番大事にしていることは接客(おもてなし)、計数管理など全て大事なのはもちろんとして、“日本料理を通じて”お客様に喜んでもらうこと、食べて、なごんで、喜んで帰っていただくことだそうだ。今後も日本料理の美味しさ、魅力を最大限に表現して若い世代にも伝え日本料理を通じて業界に恩返しをしたいと語る。これから始められる方には「今が嫌で現実から逃げ出すように始める人と目標を明確にして志を持って始める人とでは全く違う」と信念に満ちたエールを贈る。

大阪まんぷく堂

「ここで生きるしかない!」という強い気持ちと「自分の作る料理を食べてもらいたい!」という純粋な気持ち・・・

芦田 哲夫 氏

和食
2003年開業

 20歳位の頃、これからの人生を考えた時に、ごく一般的な道筋で生きることに価値を見出せず、大学の友人と共に飲食店を開業した。お弁当屋さんの居抜き物件だったこともあり昼間は弁当屋、夜は立ち飲み的なバーという一風変わった業態だったそうだ。ただ2人とも若く、知識が浅く“安く売れば買ってもらえるはず”という安易な考えでいたため上手く行かず約1年程で閉店を余儀なくされた。ただ、この時、料理を作る楽しさに目覚め調理人として勤め始めた。数軒の居酒屋で修業を積み、さらに当時勢いのあった大手外食チェーンに移り数多くの“店舗立上げ”に関わり研鑽を積み重ねる。その後2003年に現在の地に再出発店となる「大阪まんぷく堂」を開業した。自己資金が乏しく内装の一部は自分達の手作りで開店の直前までかかってしまうという波乱のスタートとなった。OPEN当初は原価率を比較的低く抑えることができる中華料理メインの業態で商圏に合わせて「客単価が低く手作りで美味しいお店」をテーマに18時~27時まで営業するお店とした。運転資金ゼロという、いきなり崖っぷちからのスタートだったが店づくりをしている時から近隣の住民の方とコミュニケーションをとっていたことが功を奏して開店日から順調に客足が伸びたそうだ。深夜帯の営業を行っていた為多くの同業他店の方が来店してくれて様々な情報交換が出来たことも継続してこられた要因の一つと語る。現在はワインや日本酒を楽しんでいただきたくて和食業態(月替り、野菜と魚のコース料を提供するお店)で進化を遂げ、ミシュランガイドのビブグルマン掲載店となった。15年以上継続してこられた秘訣は?の問いに「ここで生きるしかない!」という強い気持ちと「自分の作る料理を食べてもらいたい!」という純粋な気持ちを持ち続けたことと語る。今後は“経営”に力を注ぎ後輩を育て自身は新たなチャレンジを模索しいくそうだ。これから始められる方には「作ること(メーカー)と売ること(販売店)を同時に行わなければならないのが飲食店の定めで大変な事ですが逆にお客様の反応を直に感じられるやりがいのある業種なので覚悟を決めて臨んで欲しい!」と経験を踏まえた温かなエールを贈る。

馳走 ぬくゐ

お客様に喜んでもらうためには人よりも努力しなくてはならない

濱本 雄輔 氏

和食
2016年開業

 21歳の時に居酒屋の調理場で働き始めたのがきっかけで、すっかり料理の世界にハマってしまった。腕を磨くために5軒ほどのお店で修業を積んだ。先を極めようとすると、当然雇用者として企業の制約をうけ限界を感じたことと、自分なりの表現で料理に打ち込みたいと考え開業を決意する。一年ほど物件を探し2016年じぞう通り沿いの小さなお店と出逢い「他にはないお店」をテーマに季節感にこだわったコース料理を提供する和食店としてOPEN。開業時は分からないことばかりで、特に資金調達は回りの方々に応援してもらわなければできなかったと語る。1~2ヶ月は苦戦を強いられたが半年過ぎたあたりから徐々に口コミで認知度が広がったそうだ。継続してこられた秘訣は?の問いに「お客様に喜んでもらうためには人よりも努力しなくてはならない。」という覚悟と「絶対に潰せない。」という決意、そして2人3脚で支え協力してくれている奥さまの存在と語る。これから始められる方には「飲食業は全て自分の責任で、自分の行動ひとつで結果が変わる面白い商売、良くも悪くも自分の好きなようにやってみて後悔の無いように精一杯努力して欲しい。」とエールを贈る。

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