「スィーツで人を笑顔にしたい!幸せにしたい!」
柬理 有美 氏
カフェ、ジェラート2010年 開業
事務系のOL時代から、甘いものが大好きだったが、“仕事帰りや、食事の帰りに立ち寄れる、遅くまで営業しているジェラート屋さんが近くにあればいいなぁ”と日頃から考えていた。いつしか、手に職はないけれど、大好きなモノであれば、自分でも作れるのではないか?との思いが高じて、独立を決意した。商工会議所や、専門家、創業塾に通うなど、様々な人のアドバイスや、支援を受けながら、「スィーツで人を笑顔にしたい!幸せにしたい!」という経営理念の基、平成22年に札幌市西区で、念願のお店を開店した。商品のこだわりとして、道東・中標津の“山本牧場”さんから直送で届く“養老牛放牧牛乳”は、ノンホモ、放牧育ちで、濃厚な味わいと、安心安全が特徴の牛乳が主原料になっていて、北海道産を基軸にしながら、全国の一番美味しい旬の素材を集め使用している。人の笑顔が笑顔を呼び、口コミで、支持が広がっていった。ひとえに、美味しい牛乳を生産してくださっている、山本牧場さんや、お客様、スタッフ、支えてくれるお仲間のおかげ!と、どこまでも謙虚だ。これから始める方には、「自分でも何もない所から、人の支えのおかげでお店ができたので、今度は自分が応援していきたい。」とエールを送る。今後は、多店舗化も視野に入れ、益々笑顔が増えるお店作りを行う。
「料理で人を幸せにしたい!」
沖 浩二 氏
イタリアンレストラン2013年 開業
小学校時代、父親に作った料理を褒めてもらえた事がとても嬉しくて、料理は人を幸せにできる。“料理で人を幸せにしたい!”と強く思った。18歳で料理修行に入り、開業の10年前から、明確な期限を定め、カラーコーディネーターや、フードコーディネーターなどを学び、様々な知識と一緒に準備を始めた。目指したのは、修行時代のホテル料理ではなく、料理人が自由な発想の中で、本当の意味で、お客様を喜ばせる事ができる、創造的料理を提供できるお店で、“クリエイティブダイニング”というコンセプトを基に、平成25年札幌市中央区にOPENさせた。開業当初、繁華街立地での油断もあり、知ってもらうまでの、3ヶ月程は、苦しい時期もあったが、共に働く仲間と、努力を重ね、徐々に人脈を広げつつ、良い企画を練り、それを効果的に発信し続けた結果、特に女性のお客様の支持を受け、軌道に乗せる事ができた。料理コンセプトは、素晴らしい食材を生かし切る「北海道イタリアン」で、その時々でお客様に合わせ、臨機応変に変化させているそうだ。今後は、人間力豊富で、全幅の信頼を寄せる共同経営者や、仲間と共に、東京出店、海外出店も視野に入れ、新たなチャレンジへと加速する。
「周りに助けられてここまで続けてこられました!」
永井 功二 氏
中華2003年 開業
高校卒業後、札幌市内のホテルで修行に入った。平成15年、ホテル勤務時代に立ち上げを任された店の経営を引き継がないか?と誘われ、数字を把握していた事もあり、開業を決意した。住宅街の立地なので、地域の皆様に末永く愛される事を目指して、基本に忠実で、目先に捉われず、地域密着型のお店作りを目指した。ごま油以外の調味料は、ほぼ手づくりで行っていて、中でも、自家製ラー油は、数十種類の香辛料をブレンドし、長時間かけて仕上げる逸品で、どんなメニューにもピッタリだという、一つ一つ料理は、長年の修行の賜物だ。10年以上継続できている秘訣は?の問いに、「長く続けてこられたのは、地域のお客様、業者さん、大家さんなどの多くの人に助けられてきたからです。」と感謝し、開店以来一度も業者さんを換えていないそうだ。常に味を進化させ、約70%を超えるリピート率で、根強いファンに支えられている。今後は、少子高齢化、個食化の時代を見据えた、益々の地域密着型の店作りを続けていく。
「“贅肉”をつけない“筋肉質”の経営」
田村 準也 氏
ダイニングバー2000年 開店
高校卒業後、ススキノのバーで働いた経験を基に、20歳の時、個人事業でバーを開業、24歳頃までには3店舗を運営していた。その後、いずれ共に働くスタッフも、年齢と共に家族を築く事を想定して、家族一緒に来てもらえるお店を創りたいとの考えから、ススキノで飲食店を展開していた会社に料理修行に入り、約1年後、平成12年に初の居酒屋業態をOPENした。半年間、本当に苦しい時が続き、もう止めようか?と考えていた時、ご縁から、ある小学校の給食で使っていた銀色の食器が不要になったとの事で、譲り受けた事をきっかけに、自分達が給食で食べていた、揚げパンやラーメンなどの献立メニューを取り入れた所、TVメディアの取材が入った事により、客足が飛躍的に伸びた。それを期に、再来店へのより魅力的な提案を次々に打ち出し、軌道に乗せる。奇跡的な出来事に、「何が起きるかわからない!だからこそ足元の宝を大切にしよう」と考えるようになった。その後、年1店舗を出店する計画をたて、その為には、キャシュベースの考えを中心に、しっかりとした財務管理を行う体制をつくり、“スタッフ目線・顧客目線”を常に考え、また、“贅肉”をつけない“筋肉質”の経営を大事に、切り口の違う業態を、現在6店舗運営するまでに至った。ミッションは、「多くのお客様に有意義で価値ある時間を提供する」事と、「電気・ガス・水道・居酒屋!」として、自店の存在自体の簡易性・公共性を追求し続ける。
「人生の中にある感動を支えたい。」
奥芝 洋介 氏
スープカレー2004年 開店
地元で有数の事業家の元に生まれ、幼い頃から、経営を教え込まれてきた。19歳の時に、父の体調不良から、廃業に至り、一旗揚げるまでは、地元には帰れないと考え、起業するも、“ロマンとそろばんのバランス”を欠き、失敗の連続だった。最後の勝負に出る!と決意して、臨んだのが、“スープカレー”店だ。「奥芝商店」という店名は、運命的偶然もあり、祖父が営んでいたお店から頂いた。開店当初は、お客様が数人の日もあり、店を閉めた後に、複数のアルバイトをこなしながら、スタッフの給料を稼ぎ、終わり次第、店に戻り、12時間煮込んで作る出汁を、寝ないで仕込む毎日だった。そんなある日、とあるお客様が、“ブーツを脱がずに入れるお店だったらいいのに”という一言を聞き、翌日には、テーブル席を設けた。そのお客様が2日続けて、来店してくださり、自分の意見にすぐに対応してくれた事に感激・・・その方は、メディア関係の人で、取材が入り、一躍話題店となる。不慮の火事にも負けず、今や押しも押されもせぬ大繁盛店で、道内外9店舗を展開している。「1日3ZEN」を掲げ、“奉仕の善の心と、禅の精神を持って、究極の一膳の提供”に挑戦している。今後は、世界から「エビ料理と言えば奥芝商店」といわれる存在になるべく精進し、地域社会への貢献と共に、運営・展開を行う。