愛の飲食コンサルタント 宇井義行公式サイトThe passionate food consultants.

宇井義行公式サイトYOSHIYUKI UI OFFICIAL SITE
MENU

飲食店先輩経営者からのメッセージ

すでに飲食店経営者として活躍されている先輩経営者から後輩経営者に向けてのメッセージです。
これから共に飲食業界を引っ張っていく後輩経営者へたくさんのメッセージが寄せられています。

リストランテ ソラーレ

「信念を貫きつつ、どこまでも顧客主義」

小山内 裕次 氏

イタリアンレストラン
平成16年 創業

母親の影響もあり、幼少の頃から、食べる事、作る事が大好きだった。小学校の卒業文集には、「日本一のコックさんになる!」と書いていたのだとか。専門学校卒業後、札幌のホテルなどで修業した後、本場の味を修得する為に、単身イタリアに渡り、帰国後、約3年をかけ、資金と物件などの準備を行い、平成16年、念願の「ristoranteSOLARE」をOPENした。店名には、“陽の当たる場所”という意味が込められている。料理は、主にシチリア島の魚介料理が多く、シンプルだけどまた食べたくなる味わいだそうだ。お店のコンセプトは、“NOと言わないお店”として、出来る限りの要望・期待に応えたいとの思いがあり、特に重視しているのは、お客様との会話の一つ一つ、細かな部分までを聞き込み、記録し、再来店の時に、ホスピタリティーと共に、提供する事を心掛けているそうだ。経営で大事にしている事は、“信念を貫きつつ、どこまでも顧客主義”で、通ってくれるお客様に対して最大限のサービスを提供している。今後は、南イタリア料理を中心に据え、新たな顔を表現しながら、お客様との信頼関係を作る努力を続けていく。

パティスリーモルフォ

「来るたびワクワクしてもらえるような店作り」

上森 耕二 氏

カフェ
平成26年 開業

元々、いつか生まれ育った町で、お店を開きたいと夢見ていた。大人になり、ザ・ウィンザーホテル洞爺をはじめとする、いくつかのホテルで、約30年にわたり腕を振るってきた。平成26年、長い修業で身に着けてきたデザートを、自分のお店で表現・アピールすべく、地元江別で、カフェスペースも完備した、お洒落なお店「パティスリーモルフォ」をOPENした。地元の方々の応援もあり、開業当初から、多くの客様が詰めかけてくれたそうだ。お店のコンセプトは、地産地消の考えの基、フランス菓子をベースにした、江別小麦や、江別小林牧場のノンホモ牛乳を使用して作る、“ラウンジで食べるような上品な、デザート”を提供するお店だ。経営で大事にしている事は、“常にお客様の立場になって考える”事で、地域の方に愛される「江別ケーキ」と呼ばれるために、日本の四季を意識した、季節によって変わるデザートを揃え、地元のお客様にも、来るたびにワクワクして頂いて、飽きさせない工夫を随所で表現しているとの事。今後は、カフェ単体での出店も視野に入れ、お仕え物としてのお菓子にも力を注ぎ、より地元に愛される店作りを行っていく。

カプリカプリ

「北海道産の素材を、イタリア料理でどこまで表現できるかという限界に挑む!」

塚本 孝 氏

イタリアンレストラン
平成8年 開業

東京で10年程修業した後、スイスに渡り、海外の文化に触れ、食の豊かさと、時間の使い方の豊かさに感銘を受けたのと同時に、日本に欠けている部分を認識したそうだ。帰国後、色々な事のタイミングが合い、多くのポテンシャルを秘めた北海道での出店を決意し、1996年に「CapriCapri」をOPENした。フレンチ、地中海料理など様々な料理を学んできたが、当時最も脚光を浴びていた、イタリアン業態を選んでの出店だった。コンセプトは、北海道産食材を使ったイタリア料理の素晴らしさを伝え、根付かせられるようなお店を目指したそうだ。メニューには、鮮度が命、「朝採れ花ズッキーニのフリット」に代表される、自家栽培の野菜を、季節になると、朝収穫したモノを、その日に提供してくれるそうだ。経営面で大事にしているのは、「人」で、スタッフ、お客様をいかに大切にできるか、を重視している。長く運営する秘訣は?の問いに、飲食店経営を、ビジネスと捉えず、“伝える手段”と捉えている事と、“我慢”を挙げ、浮き沈みのある業種なので、根気強く、諦めずに、伝えたい事を伝え続ける事が大事と話す。また、常連のお客様と“人間同士の付き合い”ができる関係作りも、もう一つの大事な要素との事。今後は、道民のみならず、観光で来られた方に対しても、北海道産の素材を、イタリア料理でどこまで表現できるかという限界に挑み、日々努力を重ねた料理を味わって頂けるような運営を続ける。

蕎麦切り春のすけ

「お客様の“心の財産”になっていただけたら幸いです。」

中山 亮介 氏

そば
平成17年 開業

大学卒業後、編集プロダクションに就職し、“より多くの方々に伝える”事を志として、大手新聞などでコラムを執筆していた。主に、札幌と、札幌近郊の飲食店の取材が多く、見聞きするうちに、専門知識が蓄積されていったそうだ。その中で、北海道における、蕎麦文化の認知度の低さを憂慮すると同時に、郷土蕎麦・伝統が定着していない事に気づき、“蕎麦を伝える”為、また、“定着していない=競合が少ない(ビジネスチャンス)”と考え、自ら蕎麦作りを始める。資産は、蕎麦作りのノウハウ本や、DVDと、見聞きしてきた知識のみの船出だった。平成17年、地産地消を念頭に、より蕎麦の魅力を伝えられる可能性が高い、手打ちの十割蕎麦を主力商品として、昼は蕎麦屋、夜は蕎麦居酒屋というコンセプトで、ひたすらに“美味しい蕎麦”を追い求め、目の届く範囲、手の届く範囲で背伸びせずに、身の丈に合った地道な商いをしてきた10年と振り返る。 体力・技術・伝達能力に磨きをかけ、今後は、蕎麦文化を広めるために、あえて、より小さく、より密度の濃い、より深くお客様と接することのできるような店作りを進めつつ、食べていただいたお客様に感動を与えられるような蕎麦を追求していく。『当店で過ごしていただいた時間がお客様にとって、心の財産となっていただけたら幸いです』

活かにの花咲

「お客様が先生!」

大地 兼右 氏

居酒屋
昭和59年 開業

元々、東京での大学時代に、たまたま友人のピンチヒッターとして、日本のTOPが集う超高級飲食店のアルバイトに入り、飲食業の魅力にすっかりハマる。以来、学業もそこそこに、飲食店での修業に入った。結婚し、子供が生まれた事を機に、子育ての環境を考えて、札幌に移住。奥様の「あなたなら出来る!」の言葉に励まされ、昭和59年ススキノで、「居酒屋花咲」を開業する。幼少の頃から、地元で獲れる“カニ”が、とても身近な存在として普通の生活の中にあった事と、地元の強いパイプもあり、より新鮮なモノを提供したいとの思いで、当時では大変珍しかった、生け簀を導入した“活カニ”の提供を始めた。1台数八十万円のチタン製テーブルを3台導入し、お客様の目の前で、活カニを調理する独特の調理提供方法が、注目を集め、押しも押されもせぬ人気店となった。病気や、怪我などを乗り越え、長年お店を続けてこられた秘訣は?の問いに、“お客様が先生となって色々な事を教えてくれた”、“お客様に喜んでもらい、お金を頂ける、飲食の仕事は本当に楽しい!”と笑顔で語る。今後は、現店舗を奥様と共に守りながら、若手に活カニ料理のノウハウを提供し、東京や、アジア各国で、北海道のカニ料理を広めていく。

パートナートップへ戻る

ページ最上部へ