「ご縁を大切に!人の可能性を信じて!」
澤 竜一郎 氏
ラーメン設立2009年9月設立
学生時代はラーメンオタク。就職してからもラーメン食べ歩きを続けていました。入社間もなく岡山に配属になり、親ともあまり連絡を取り合っていなかったのですが、久々に実家に帰ったら、何と実家がラーメン屋になっていました。(父が開業)。驚きでしたが、その姿を見て「趣味だったラーメンを仕事にできるんだ。」と思いました。その後、就職5年目に退職して、名古屋に戻ってラーメン修業2年。そして、今から12年前、32歳の時に一号店「一刻屋」をオープン。ラーメンオタクとしての自分の目線から、新しい切り口のスープが必要と感じ、野菜をスープの主役に持っていこうと考え、試行錯誤の末に「玉ねぎ熟成スープ」を完成。おりしもラーメンブーム。目新しさもあり、マスコミもすぐに取材してくれた。ラーメンファンにも注目され、お店はロケットスタート。おかげさまで、一号店はオープン以来、昨対を割った事がありません。多店舗化のきっかけは、ある人との出会いからです。それまで、お店の秘伝の味は門外不出と考えていたのですが「分かち合えば分かち合うほど成功スパイラルにはいっていく」というアドバイスをもらった事で自分が変わりました。翌日から従業員に全部公開することを実践。スタッフのモチベーションはみるみる上がりました。お店を任せても売り上げ落ちなかった。それで安心して二号店「中華そばあおい」に取り組めた。さらに、東京で「つけ麺」に出会う。当時名古屋になかったので、自分なりの工夫改良を加えて、大須につけ麺専門店「フジヤマ55」をオープン。その後、名古屋市内にもう1軒つけ麺の店を出店し、全部で直営4軒に。その後、とある外食企業の経営者からラーメン店を出したいので手伝ってほしいという依頼があり、これもご縁と思って出店をお手伝い。職人でなくてもできるメニューや、運営システムの開発に取り組んだ。その後は、様々な方からのラーメン出店依頼が増え、海外からの要望もあって、今は世界に「フジヤマ55」が広がっていってます。
「自分の家のようにくつろげる空間で、旬の物を、美味しく・お値打ちに!」
大橋 剛 氏
居酒屋、海鮮設立2010年7月開業
高校卒業後、4年間機械メーカーに勤務していました。実家は和菓子屋だったので、いつか食に関するお店を持ちたいとは思っていた。いつの日か自分のお店を持つという”思い”を胸に、22歳の時に転職。飲食店(居酒屋)で働き始めました。ある時からお店を任されることになり、気づけば非常に長い時間が経っていました。勤めていたお店はどちらかというと、洋の居酒屋さん。年齢を重ねてきたこともあって、和食にどんどん惹かれていき、和の居酒屋をやりたい気持ちが大きくなって、20年目という節目の年に、独立開業をしました。
2010年の事です。オーソドックスなお店という事もあり、開業当初は中々お客さんが来てくれなくて、友達・知り合い・親戚など、自分の持てる限りの人脈を使って、声を掛けて何とか売り上げを作っていました。よくなったきっかけは数年前から急速に広がってきた、FacebookなどのSNSの普及。いち早く取り入れて、毎日必ず決まった時間に投稿する事を続けたところ、見てくれていたお客様や知り合いが、かなり広めていただけました。看板メニューは、「しゃぶしゃぶ(カンパチと鶏)」と毎日変わる「旬のお造り」。5年間お店を継続してこられたのは①何に対してもしつこく、しぶとく取り組んできたこと。②家族や友人やお客様の応援。
お客さんには、奇をてらっていない、オーソドックスな和の居酒屋であることと、品質と価格のバランスの良さがうけていると思います。「自分の家のようにくつろげる店を目指す。お客様とお店、お客様同士のつながりを大切にする。」というのがお店の経営理念。近隣の個店さんと協力して、お店がある、栄4丁目を盛り上げていくことを計画中です。ゆくゆくは、ビジネスをさらに凝縮させ、小さいお店・自分一人で回せるような店にしたい。一品で勝負できる店をつくりたいと考えています。「1日1日を大切に。お客様を決して裏切らない。」これがとても大切なことだと思います。
「独立してからが勝負!」
小割 真樹 氏
居酒屋平成19年 開業
学生時代からアルバイトをしていたお店に就職し、いつか独立をしたいと考えていた。業種の特性上「独立してからが勝負」と思い、居酒屋・イタリアン・フレンチなど色々なお店で10年程修業を積み、2007年に30歳の時に念願のお店「旬の素材とワインのお店デスコ」をOPENした。 “気軽にワインと作り手の顔が見える身近な食材で作るイタリア料理のお店”がコンセプトだそうだ。継続できている秘訣は、先輩からたくさんのアドバイスをいただけた事と、ソムリエの資格を取得する事によって、自信を持ってお客様におすすめできる強みを得た事とだそうだ。経営で一番大事にしている事は、“ロスを徹底的に出さない工夫をする事”で少々食材費が高くても在庫を持たずに使い切る事を意識しているとの事。病期で閉店を余儀なくされた期間や、スタッフを育成できなかった期間などを乗り越えて、今後は経営者として、仕入・計数管理・料理全てにおいての経営力を身につけつつお客様に満足を提供していく。
「チャンスは無数にある両手を広げて拾いなさい」
端 佳代子 氏
カフェ平成12年 開業
父親が台湾出張の際にお土産として買ってきてくれた“台湾高山茶”に魅了され、すぐに現地取材に赴き即座に販売の事業化を決意。飲むと健康になれるという香り高い台湾茶を多くの皆様にもっと知ってもらいたいとの純粋な思いからだった。父親が教えてくれた「チャンスは無数にある両手を広げて拾いなさい。大丈夫!」という言葉に背中を押してもらいHPも含めて、何とか自分の手で作り上げ、寝る間を惜しんで仕事に打込んだ。2000年に家族と共に、安心・安全で良いモノだけを提供し、笑顔がいっぱい集まる場所として「台湾高山茶 Yuuka」を開業した。知らない事ばかりの開業だったが、家族・友人・出逢った方々が助け支えてくれたおかげでお店を開ける事ができたと当時を振り返る。台湾の生産者さんとも深い信頼で結ばれ、今では家族ぐるみのお付き合いをさせていただくまでになったそうだ。経営で一番大事にしている事は、“お客様が価値を決めている事を忘れず妥協や迷いなく信念を貫き通し、商品の質を決して落とさず良いモノだけを癒しと共に提供し続けること”だそうだ。今後は、同じ志を持つ方との出会いにより店舗展開も視野に入れ台湾茶の素晴らしさをより多くの方に知って頂く為の活動を行っていく。
「常連さんが育ててくれたお店」
森 隆暁 氏
イタリアンレストラン平成18年 開業
いつかは自分でやりたい!という夢を持っていた。有名ホテルの調理場で9年程修業を積んでいた所に、「知人の店が移転するので、その後をやってみないか?」と誘われた事をきっかけに創業。前のオーナーがとても素敵なお店作りをしていただけに、やるべき事をやってダメだったら仕方がないという割り切った気持ちで、“自分らしい好きな料理を提供するお店”をコンセプトとしたチャレンジだった。3年間は、厳しい状況もあったが、4年目以降は、SNSでの口コミ効果もあり、急激に客足が伸び、軌道に乗ったそうだ。9年間やってこられた秘訣は、“淡々とコツコツ積み重ねる事”で、常連さんが育ててくれたお店と思い、その常連さんを飽きさせない事をやり続けてきたそうだ。現在は店舗を移転し、新たな気持ちで料理と向き合い、今後は、ずっと共に働き、大変な時も、支えて来てくれた同志たるスタッフに独立させてあげられるような店舗展開を考えつつ一料理人としてキッチンに立ち続ける。