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飲食店先輩経営者からのメッセージ

すでに飲食店経営者として活躍されている先輩経営者から後輩経営者に向けてのメッセージです。
これから共に飲食業界を引っ張っていく後輩経営者へたくさんのメッセージが寄せられています。

Trattoria Calma(トラットリアカルマ)

這いつくばってでも、やり抜く覚悟

松田 操 氏

レストラン
平成24年9月開業

麻生の賑わいから少し離れた、閑静な場所にTrattoria Calmaはある。円山までいかなくても気軽に楽しめるランチから、前菜〜メインまでしっかりと食べれられるお店が身近にあればと、この場所を選んだそうだ。オーナー松田氏の修業期間は長く、料理長経験も含み19年以上イタリアン一筋で修業し、「命を扱っている」ことを認識しながら、いつ来ても美味しいのは当たり前の仕事と考え日々努力を怠らない。北海道には本当に頑張って良い食材を提供しようとしている生産者がいる。食材のプロから調理のプロへ、春夏秋冬に沿っていかに美味しくするかを工夫している。厨房に立つときは覚悟を決めて、這いつくばってでも最高の料理を提供する。圧倒的な「練習量と勉強量」と、どんな時も笑顔をつくれる「体力」で、お客様の表情を入店時の倍の明るさで退店させることを意識している。「覚悟」「体力」と合わせて大切にしている事は、気配り、元気、気遣いなど「気」がつく言葉の意味だという。何事も「人間性」ありき、「人を大事にできない人にはお店は継続できない」と言い切る。丈夫な体に産んでくれた親や支えてくれる家族へ、日々感謝を忘れない。雇われている時は「美味しかった」の一言が一番嬉しかったが、オーナーとなってからは「また来ます」が一番嬉しいそうだ。これからも「人を大切に続けていきたい」と語り親しみやすい「やさしさ」と、やり抜く信念の「強さ」でお客様を喜ばせ続ける。

会員制シェアサロン737

人を学びネットワークを築くことが重要なファクター!

町田 武文 氏

バー
平成25年開業

前職は理学療法士として病院に勤務していたが、ライフサイクルの中で飲食が非常に重要、という観点から一念発起し独立開業する。イタリアン、フレンチ、和食、バーと業態変更を重ね、独自の理論から飲食店を『食事をする場所』だけではなく『集う場所』『共有する空間』として捉え、現在の会員制シェアサロンに辿り着く。シェアサロンとして集うだけではなく、ハブ機能として存在することもまた使命としており、料理も看板料理などはなく、他店でメイン料理として出されているものなどを特別に737で提供しているものもあり、そんな特別感が看板となっている。理念としては、紳士でいる事。『嘘つかない、ズルしない、裏切らない』そんな当たり前の事をしっかり行う事で、たくさんの方に愛される特別な空間を提供し続ける。今後は理学療法士と飲食店オーナーの観点から『新たなるCCRC構想』を打ちたて“医食住”を実現できる地方創生の街作りを目指す。出店がゴールでは無く、人を学びネットワークを築いていく事が今後のビジネスにおいて重要なファクターであると認識し行動する。

焼鳥倶楽部 ふとっぱらや

親切実意

山本 英樹 氏

居酒屋、焼とり
平成22年開業

元々1200店舗を展開する東京の外食企業に2010年2月まで勤務。取り組みに対して自由度の高い社風のもと、現場から始め最終的には居酒屋業態15店舗のマネジメントを任される程の経験を積んだ。友人の紹介もあり良い物件との出会いから独立を決意し、帰郷。平成22年に“焼鳥倶楽部ふとっぱらや”を開いた。お店のコンセプトは店名のイメージ通り“商品価格・サービス”に対して、大胆で型破りなスタイルを目指し、お客様のコストに対するパフォーマンスを上げることで“バリュー”を感じていただけるお店作りで他店との差別化を図ってきたそうだ。開業当初は東京の最先端のメニュー構成としたところ、味の嗜好が全く違う土地柄に戸惑う場面もあったが、徹底したお客様への聞き込みを行い味を改良し、地域に合った新メニューを出し続けたそうだ。繁盛継続の秘訣は、20年後継続できる店を目指し、そのために今何をやるべきかを問い続け実行すること。経営理念は「親切実意」で2度とないその日を精一杯のおもてなしでお客様をお迎えすることだそうだ。これから飲食店を始められる方へは“笑顔を大切にして、誰もやらない事を目指して欲しい”とエールを贈る、今後は多店舗化も視野に入れ、食を通じて地域の活性化や、食の安心安全への取り組みにも積極的に参加し、20年後の36街の発展にも貢献していく。

そば柳

関わってくれた人との縁を大切にすること

柳田 悟 氏

そば
平成2年8月開業

高校卒業後「調理」と「インテリア」のいずれかの道に悩む。東京で専門学校を卒業後インテリアデザイン業界で勤務し、23歳の時に家族が経営していた「土木会社」を手伝うため札幌に戻ることになった。32歳の時にもう一度「調理」の道を考え調理学校に入学し、先生の推薦により某そば名店での修業を始める。出会いに恵まれ全ての仕事を習得する機会をあたえれる傍ら「高級そば店」として名の通っている修業先の技術を駆使し、自分は「大衆に喜ばれる そば店」をやりたいと3年の修業を経て開業する。間もなく軌道に乗ったが苦難は何度となく訪れた。社員食堂のように来店していた大企業の事務所が移転した途端、売上は深刻な状況になった。すぐに近隣病院の出前で持ち直すが、その病院も閉院すると、またも深刻な事態になる。さらにワンコインランチの競合出店や景気の変動、何度となく苦難に苛まれるが「与えられた食材をいかに自分の技術で旨いそばをつくるか」「しっかりやりさえすれば上手く行く」と信じ、どんな時も仕事を楽しんでいたそうだ。その頃「チラシ制作の広告」が目にとまり、フリーペーパーへ折り込むことで徐々に売上も戻り開業から26年を迎える。「人との縁を大切にすることで続けてこられた」「これからも仕事を楽しみながら体が動く限り続けていきたい」と、やわらかい笑顔で語る。

株式会社日本カイザー幌加内製麺

情熱を持って、なぜ自分が飲食店をやるか?!の追求

黒木 一哉 氏

そば
平成19年開業

元々歯科技工士として活躍するも不慮の事故により怪我を負い歯科技工士を続けられない状況となり、自分の将来を考えた時にそばが好きだから、そば屋をやろうと決意した。資金作りの為飲食店関連会社に勤め、そば屋にも出入りし見て学びながら3年と決めた期間に資金を貯めた。2年間、店に立つが元々料理好きではあったものの、家での料理と商売の料理の差が大きい事と看板メニューの開発に苦しんだそうだ。他社と同じ事をやっても差別化はできないと考え試行錯誤の末“ザンギそば”を開発。提供方法もザンギを別盛りにする事でサクサク感も楽しめ、そばに入れて、かしわそば風に食べる事もできる看板メニューとして育てあげた。継続の理由として自分が思う商品レベルが95点以下の物は提供しないと決め、妥協しない姿勢を貫き通し確実に常連客を作っている。現在は10店舗以上を展開し本当の幌加内そばの美味しさを伝えている。今後は幌加内そばへの情熱をもっているパートナーを見つけさらなる店舗展開をしていく方針だそうだ。なぜ自分が飲食店をやるか!?やったらどうなるか!?の明確な答えをどこまでも追求し続ける。

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