下町の温かさやつながりを大切に、毎日気軽に通って頂ける店を続けていきたい
オーナー三代目 久保 英恭 氏
ラーメン創業1929年
昭和4年創業の庶民に愛される老舗中華そば萬福。店のたたずまいは、老舗の歴史と長く地域でお客様に愛され続けられてきた古き良き磨かれた雰囲気が感じられる。
時代は変わっても、基本的なレシピは創業時から守り続けているという。店の看板メニューの中華そばは、醤油スープに細麺とチャーシュー・なると・ほうれん草・メンマ、そして特徴的なたまごがのっている。一見シンプルながら、ひとつひとつに手を抜いていない磨かれた味わいだ。
現在は三代目の久保氏が祖父からの創業時の味を受け継いでいる。
『私も幼いころから祖父の仕事をする背中を見て育ってきました。本当に休みなく良く働く祖父でしたが、商売の楽しさや日常の中での幸せな姿をみてきました。』『私自身は店の手伝いを幼いころからしてきましたが、本格的に家業として店を引き継いだのは20代半ばでした。』そう久保氏は当時を振り返る。
『店に入るようになって、経営を任されたのは3ヶ月後の事でしたが、その時両親は完全に店を離れて、半年間旅行に行ってしまいました。経営を任せて、その程度で店が潰れてしまうようでは今後も続けられないということだったかと思います。』
『もちろん調理や運営はすべて幼いころから手伝ってきたので一通りできる自信はありましたが、経営をする立場に立って気付いたのは、自分自身が会社や店の一部なのだということです。また職人を使うことやお客様への対応に改めて自分に足りないところを感じることがありました。』
『当初は、常連客から「味が変わったね。」と言われることもありました。それは商品ということではなく、店主がお客様に醸し出す雰囲気や態度、そしてお客様への配慮も含めて足りないことがあるという意味合いだと気づかされました。最初の内はそれがわかりませんでした。本当にその意味に気づくまでには10年くらいはかかったかと思います。』そう久保氏は語る。
店が永く繁盛するためには、人格を身につけ、自分自身を律して商売をするということが大切とのことだ。
『うちの店は、地域の中で昔から通って頂けているお得意様が多くいらっしゃいます。木挽町仲通りという、店のある場所は古くから続く下町です。銀座ではなく下町の中華の店として、お客様には気軽に通ってきてもらえる店でありたいと思っています。』
食事をしてくれたお客様が満足して頂けたか、ひと声かけること、そして下町ならではの温かさや人とのつながりを大切にして、今後も店を続けていきたいとのことだ。
こだわりと味をぶらさずにお客様の喜びを追求していきたい
オーナー床井 英昭 氏
うどん2012年開業
こしの強い麺が特徴の武蔵野うどんを提供し、地域密着で繁盛をしている『肉汁饂飩屋とこ井』。うどんは粉から仕上げまでを、全て機械を使わずに手作業で行うことにこだわり質の高い武蔵野うどんを提供することで、お客様の喜びを追求し続けている。
まったく未経験から、飲食店開業を志したという店主の床井氏は、前職はサービス業やPC関連の仕事をしていたという。
『漠然と将来何かで独立したいという想いは若い頃から、考えていました。洋服関係などでの独立も実は考えていました。飲食業も居酒屋などでの開業も考えていましたが、未経験から何をしようかと考えていた時に、たまたま武蔵野うどんを食べる機会があり、非常に特色のあるうどんで、武蔵野うどんを出している店も周辺には少なかったので、これをやろうと。本当に思い付きで考えたのが、はじまりでした。』
『それから色々インターネットで情報収集していた時に、武蔵野うどんを修業できるスクールを見つけ、そこで修業を3ヶ月積ませて頂き独立を目指しました。』そう床井氏は開業のきっかけを振り返る。
将来は漠然と何かで独立をしたいと考え、働きながら資金作りもしていたため、武蔵野うどんの修業を終えたあとは、およそ2ヶ月という短期間で物件を確保し開業に向けて進むことが出来たとのこと。
『物件探しは、もともと土地勘があった、高円寺・荻窪・阿佐ヶ谷を中心に地域を歩きながら気になる物件があれば、知り合いに声をかけたり、地域の不動産屋に直接飛込みをして探しました。』『今の物件は、以前物販店があった場所でした。駅からも近く路地裏ですが、人通りも近隣にあったためここにしようと決めました。』
『ただ物件の取得はスムーズでしたが、開業までは内装業者や設備業者のやり取りを自分自身で未経験ながら行ったため、4ヶ月ぐらい施工工事にかかりました。今思えばやはり開業の準備をしっかりしておけば良かったなと思います。』そう床井氏は語る。
開業までの工事期間が非常にかかってしまったため、開業前のトレーニングは1日で行い翌日オープンを向かえたという。
『開業後、1年半ぐらいは売り上げを安定させるため、グルメサイトや販促クーポンなど試しながら、運営を行いました。食感的にこしの強い麺が特色なので、あまりなじみのないお客様からは、様々な声を頂くこともありました。そのような時、商品や製法を変えてしまう方向に考えてしまう方もいらっしゃるかもしれませんが、今考えれば味や製法・こだわりをぶらすことなく行ったことで、好きになって頂ける方をしっかりととりこみ常連客を増やすことができたと考えています。』
『実は幸いにも1店舗目が順調に立ち上がったため、2店舗目を開業2年目に出店しました。ただ2店舗目になると自分自身の目が行き届かない部分が出てきてしまい、味のブレや麺の管理・接客などでお客様に満足頂けずに、やむなく撤退した経験もあります。』
もう一度原点にかえり、立て直しを決意した床井氏は、高円寺本店の運営を見直し
味のブレや接客サービス・麺の管理を再度整え、お客様の喜びを見つめ直すことで、今では多くの地域のお客様に来て頂けるようになり、常連客も増えてきたとのこと。
『これから開業を目指される方には、まず焦らずにしっかりと準備を整えてからはじめることをお伝えしたいと思います。そして味やこだわりはぶらさず、お客様の喜びを追求していくことが大事だと思います。』そう応援のメッセージを頂いた。
今後は武蔵野うどん業態だけではなく別の業態にもチャレンジし、ビジネスとしての展開も考えていきたいとのことだ。
人のためになる強く優しい会社として、食の文化を追求し、感謝や喜びの場を広げていく!
オーナー松岡 保浩 氏
居酒屋2017年4月開業
学生時代の居酒屋でのアルバイトから、飲食業界に関わった松岡氏。学生卒業後はリクルートのホットペッパー担当として、様々な飲食店に関わりながら、次のステップアップとして飲食店の独立を決意したとのこと。
元々学生時代アルバイトで働いていた居酒屋グループが社内独立など仕組みとしてあったため、そこで働きながらグループの店舗を業務委託で引継ぎはじめたのが、開業をするきっかけだったという。
「飲食店の独立開業を考えたときに、初めの1店舗の出店はリスクを最小限に抑えて、
はじめるべきとの先輩経営者からのアドバイスも頂き、業務委託で引き継ぐところから
はじめようと思いました。幸いにも引継ぎから売上も安定して確保できていたため、2年後には自社の業態で亀戸に2店舗目の出店をすることができました。」そう松岡氏は開業時を振り返る。
亀戸の2店舗目は大衆バル業態を出店。もともと飲食経営者の知り合いが、ラーメン店をやっていたが、売上が悪くそこの物件を引き継いだとのこと。
「賃料条件が、駅前としては非常に安かったこともあり、店舗の出店を決めました。ただ、今振り返ると狭い店舗であったため、動線や厨房レイアウト・内装などもう少し当初想定を細かくして開業した方がよかったなと思う点もあります。」開業1年目は、改善点を洗い出し直しながらスタッフの教育とモチベーションを上げることを重点的に活動したとのこと。
開業6ヶ月目にはある程度売り上げも安定させ、軌道に乗せることができたという。
2017年には直営3店舗目となる博多どんたく亀戸店を出店、さらに2018年小伝馬町に4店舗目の出店を控えている。2021年を目標に直営店10店舗体制にするのが当面の目標とのことだ。
「飲食業のやりがいと感じているのは、社員やスタッフが成長して、生き生きと働き喜んでいる姿を見ることです。会社としては、人のためになる強く優しい会社を目指し、食を追求し食文化を追求し、人の成長できる輝ける場所をどんどん広げていきたいと考えています。」今後も目標に向かって、チャレンジをし続けていきたいとのことだ。
人の心を大切に、飲食に関わる皆が活躍できるステージとお客様も喜んでくれる環境を作り続けていきたい!
オーナー橋本 宏一 氏
居酒屋2015年4月開業
大学時代にバーや居酒屋のアルバイトから、飲食業界に関わりはじめた橋本氏。
大学卒業後、大手飲食FCチェーン店に就職し、およそ10年間現場での店長から新店舗の立ち上げ、複数店舗を統括するブロック長まで経験をしてきたとのこと。
「大手の飲食企業では、貴重な経験を積むことができましたが、一方でやはり飲食業界全体の職場環境などの課題を感じた部分は大きくありました。労働時間が長く、体力的にもきつい、そして給与条件もよくない。そんな環境を変えていきたいと思っていました。」そう橋本氏は語る。
「飲食店開業をしたきっかけは、当時チェーン店で働きながら、やはり自分の幸せだけではなく、一緒に飲食店で働いている仲間とともに、人生のステージを上がっていき、良い職場環境整え、飲食店で働くということの地位を上げていきたいと考え、独立開業をするために退職を考え始めていました。その時期に、当時勤務していた会社の経営者から業績不振店の引継ぎをしての独立の方法もあると話があり、巣鴨にあったFC加盟店の業績不振店を引き継ぎ独立をしたのがはじまりです。」そう橋本氏は独立当時を振り返る。
「実は不採算店舗の引継ぎでしたので、非常に条件としては厳しかったです。店のつくりも悪く、入り口も入りにくい店舗で、10年間営業の実績はあったものの、前オーナーの家賃未払いが数百万ありました。それでも引き継ごうと考えたのは、ここでやらなければ一生やらないだろう。これは条件は厳しいが、仕事に呼ばれたという直感があったからです。」
「引き継いでの開業当初は、自分自身も店舗に入り、お客様の顔と名前を全部覚えてお客様の好きなものを把握したり、来て頂いたときの声かけも地道に行っていました。それをしつかりと行った結果、不採算店舗を9か月後には軌道にのせ利益を出せる店舗にすることができました。」ただ自分が現場を離れてしまうと、売上が下がってしまうということも経験し、スタッフに会社の方針や理念を伝え続ける重要性も感じてきたとのこと。
「この会社は何のために、誰のために存在しているのか。経営者自身が目標をしつかりと決め走らないとスタッフを引き付ける引力がなくなってしまいます。またスタッフもそこが腹に落ちていないと一緒に戦えないと思います。」今後も人の心を大切に、今の直営店舗を少しづつ増やし、海外へも活躍と活動の場を広げていきたいと考えているとのことだ。
人とのつながりを大切に、働いてくれているスタッフの輝ける場所を作り、お客様にも喜んで頂ける店を作り続けていきたい!
オーナー竹村 謙太 氏
ワインバー2015年9月開業
18歳から飲食店で働きはじめ、20代前半には渋谷のダイニングバーの店長職や新店の立ち上げなどの経験を積んでいた竹村氏。飲食店での独立開業は、当初から働きながら考えていたとのこと。そのために働きながら自分自身の開業資金をコツコツと準備して来たとのこと。開業をするきっかけは、20代前半の頃、当時働いていた店舗のオーナーから、資金援助を一部受け、閉店する店舗の経営を引き継いで始めたのがきっかけだったという。
「渋谷にあった店舗を引き継いで、それまで貯めてきた自分の資金を投じて、はじめました。その当時は店舗の運営については、ある程度回せる自信が持てていましたが、集客をするためにグルメ媒体の担当者とは週に1回打ち合わせをしながら内容の見直しを行いました。」
「集客において工夫した点は、例えばコンビニの売れ筋デザートの流行を見ながら、誕生日をお祝いするためのデザートを開発したり。お客様の反応を見ながら新商品の導入と改善を繰り返していました。また、まだグルメ媒体がそれほど数多くなかった当時、20代前半の女性層に向けた誕生日にお祝いをして頂けるようなプランや予約客にはデザート一個無料サービスなどをPRすることで、立ち上がりから好調に売り上げを伸ばすことができました。」
移り変わる飲食のニーズを積極的に情報収集し、お客様の声を細かく取り入れ改善を繰り返すことにより、順調に1店舗目を立ち上げ、2年後には2店舗目を同じ渋谷に出店し、さらにその2年後には大宮にから揚げ居酒屋、下北沢にバー業態の出店など順調に店舗を展開してきたとのこと。
「ただ全てがこれまで順調に来ているわけではありません。実は事業が順調に立ち上がって店舗展開を始めたころ、自分自身が社長業・オーナー業に意識がいってしまい、現場から離れてしまった時期がありました。毎週のMTGや現場のことは店長にまかせっきりにしてしまった時期に売上が下降し、店舗の閉店や人員の削減をせざるを得ない状況で、数店舗撤退をした経験もあります。」その反省から、一旦積極的な店舗展開を止め、改めて現場の従業員とのコミュニケーションを重視し、週に1回多い時は週2回社員全員を集めて、顔を合わせてMTGをするようにし、情報共有も全社員とアプリを使い常に頻繁にコミュニケーションをとれる体制に作り直したとのこと。
2015年笹塚に開店した「ワインとグリル」は、料理経験豊富なシェフが、素材にこだわり親しみやすい料理でも、家庭では食べられないひと手間加えた美味しさを表現し、大人向けの地域密着型で地域に愛される店づくりを行うことで、主婦層を中心に支持され順調に売り上げを上げている。
そのほかにも他のFCチェーンに加盟し、ラーメン業態・イタリアンバル業態の出店を2018年に続けて行い、いずれも好調に立ち上がっているとのことだ。
「これから開業をされる方は、利益は大切ですが、目の前の売上だけ見るのではなく、先の利益も見据えて、お客様との関係性を長くお付き合いいただけるように考えたり工夫をすることが良いと思います。」と開業を目指される方への応援メッセージを頂いた。