地元食材にとことんこだわった、中華麺食堂
鈴木 清倉 氏
ラーメン2005年創業
子供の頃から料理づくりが好きでした。好きなことをやって、お金をいただける飲食業は素晴らしい仕事だと思い、中学の時にすでに「大人になったら飲食店をやろう」と決めていました。16歳から飲食店でアルバイトをはじめ、バイト代はすべて貯金。20歳の時に、そのお金を頭金にお店を始めました。一時は。
アルバイトも含め50名ほどのスタッフを抱える規模にまで店舗展開を拡大したのですが、組織のトップとなり、デスクワークばかりの日々に料理人としての違和感を覚え、もう一度原点に帰って、一店舗の料理人として、お客さんと向き合う事を決意しました。それまでのお店は無償譲渡という形で整理し、最初の出発点である「清太麺房」で再起を果たしました。今のお店は、地産地消を推奨し“地域の食材と人をつなげる”がコンセプトです。しかし、オープン当時は食べてほしい料理とお客様が食べたい料理とのずれがあり、迷いの連続でした。そんな中で見えてきたのは、自分の得意とする料理を押すのではなく、お客様の求める料理をさらに磨き上げ、自身の創作をプラスする事。そうする事で、ヒットメニュー看板メニューが生まれてきました。当店の看板メニューは、味噌も野菜も地元産の「最強の味噌ラーメン」と、“地域を包む”がコンセプトの「岐阜ご当地餃子」(シリーズ)です。さらに最近では、「本巣まるごと餃子」の開発にも取り組みました。これは当店の取り組みが、地産地消推進と評価され、地元本巣市からバックアップがあったプロジェクトです。当店の経営理念は「カタチある夢を創造する」ですから、まさにその一つの成果と言えます。「夢」を持つことは非常に大切ですが、それをふわふわしたままにせず、実現可能な形に落とし込んでいただければと思います。
愛されて半世紀。老舗の味を守りながら新たなスタイルを模索し続けます。
鈴木 大介 氏
居酒屋1962年開業
昭和37年、祖父が今の場所(名古屋一のオフィス街「伏見」)に洋食店を開業。その後、料理人であった父が二代目を継承。私自身は長男で、もう継ぐことが決まっていた状況でした。大学も、今のお店に足りないものは何かという基準で、マーケティングや経営学・会計学等を学びました。卒業後はコンピュータの会社に入り、SEとして3年勤務。その後のお店のシステムのコンピュータ化に役立ちました。また、入社式・転勤・歓送迎会・ボーナス・忘年会など、オフィス街に立地する店のターゲットの1年を実体験できたのも大きな財産。
その後1995年に、お店に戻り、店長として現場のマネージメントを経験した後、2003年に社長に就任。お店の一番のピンチはBSE問題が起こった時。当時はビーフステーキがメインだったので、お客さんが全く来ない日々でした。そんな中、通ってくれた常連さんには今でも感謝しています。その後、牛の比率を下げ、豚メニュー(トンテキ)の人気などもあって、徐々にシフトしてきました。
今の看板メニューは①とんテキ②味噌カツ③エビフライ
繁盛継続の秘訣はまず何をおいても立地、それと必ず名物料理を作る(できれば2つ)。そして常連さんを作ること。当社の経営理念は「食を通じて社会に貢献」です。
これから始められる方は、早い時期にパートナー・右腕を作る(家族、奥さんではなく)事をお勧めします。また年間計画や3年5年の中期計画も大事ですが、地域に根ざしたお店は、10年20年先を考えてほしい。永遠に継続させる前提で考えてほしいと思います。
泡盛と沖縄料理で、日々の疲れを癒してください。
石垣 達也 氏
居酒屋、串かつ2009年開業
料理好き、お酒が好き。人としゃべるのが好き、ということで、漠然と居酒屋経営を考えていました。一度は就職(製造業)しましたが、違うと感じ、20代前半で好きだった沖縄に旅に出ました。そこであるお店に出会い、その安さとおいしさに感動し、25歳の時に改めてそのお店に勤めることを決意。丸2年の修業の末、地元に戻り、アルバイトをして貯金したり、融資もおりて無事に開業できたのが、2009年10月です。
お店のコンセプトは【日々の疲れやストレスを癒す場。日常のすぐそばにある、非日常を味わう場所】ターゲットは30-50代のサラリーマン。実際今も90%が男性客。看板メニューは「串カツ」。そこに、ちょっと沖縄料理。これが非日常感を生み出してくれています。
継続してこれた秘訣は、ある時から、Web販促の活用で、仕掛けて集客できるようになった事。グルメサイトやグルメ口コミサイトをこまめに更新しています。Facebookはお店のページより、個人アカウントの方が集客できています。
経営理念は「ラブ&ハッピー」他者への愛、自己への愛。これを貫けばハッピーがやってくる、という意味です。
今後の展開というか最終的には、沖縄で、居酒屋併設の宿をやること。お世話になっている沖縄に恩返しをしたい。四日市と沖縄を結ぶ架け橋になりたい。という思いがあります。
モットーは「あきらめない」です。何かを決めたらそれができるまでやる。決してあきらめない。この姿勢が成功につながると思います。
「名古屋で一番、サラリーマンを元気にするお店を目指してます! 」
塚原 美奈子 氏
居酒屋、海鮮、もつ鍋平成8年創業
元々は、私が子供時代に、母が自宅を改装してお好み焼き店を始めたのがきっかけでした。その後、うどん店や居酒屋など、徐々にお店を増やし、20年前に本格的な外食事業を意図して、新たな総合居酒屋「えび寿(えびす)」をオープン。その立ち上げに私も関わり、10年前に会社を引き継ぐ形になりました。
「サラリーマンを元気にする」がコンセプト。流行に左右されない、奇をてらわない。オーソドックスな路線にこだわっています。お客様の9割は30-50代の男性サラリーマン。看板メニューは、「鮮魚」と「もつ鍋」です。
継いだ当初はスタッフ(母の時代からのベテランの職人さん)との関係に苦労しました。最初はコミュニケーションがうまく取れない状態でしたが、現場で一緒に働く時間を意識的に割くことで、関係づくりをしていきました。立場は違っても店をよくしたい気持ちは同じ。お互いの苦労が分かってくることで、コミュニケーションが取れるようになりました。
スタッフに恵まれた事がここまでやってこれた秘訣だと思います。スタッフの多くは、お店の立ち上げから働いてくれている人。権限をどんどんスタッフに委譲して、頑張ってもらうようにしたことも、やりがいにつながったのだと思います。
「お店は消耗品じゃない」をモットーに、愛されるお店づくりに心掛けています。変わらないことがウチの強み。お店(会社)の財産は人だと思います。
【お店はスタッフのためにあり、スタッフはお客さんのためにある】
これから始める方には、「お店の売りを明確にする」「初期投資はできるだけ抑える」の二点を心掛けて欲しいと思います。ウチはそこで苦労しました。
ONLY ONEの1店舗経営
笹谷 信浩 氏
洋食平成3年開業
元々POSレジを販売する会社でサラリーマンとして外食企業の開拓を担っていた。ある時、海外ブランド・大型チェーンの独壇場だった鳥料理の業態の中で、あえて多くの方が失敗する分野で勝負したいと思い立ち、独立を決意1991年に郊外にて「チキンペッカー」を出店。お店のコンセプトは“大手に出来ない楽しみ・料理の中身・外見を重視したお店”だ。そもそも季節需要が顕著で、浮き沈みの激しい業態という事もあり1年目以降、下がりがちな売り上げを回復する為に、2年目から5年目以降、丼物やハンバーガーなどのサイドメニューを研究開発し様々な手を打ち続けてきたが大手を意識するあまり先ばかりを見て足元が疎かだったと顧みて、お店独自のモノを深堀りして個店ならではのメニュー作りに立ち返るメニュー戦略に切り替えたことが功を奏して24年を迎えることがきたそうだ。今後も個店として進化を続けながら“ONLYONEの1店舗経営”を徹底し来て頂いたお客様を飽きさせない新たな感動を提供し続ける。