競合店に負けない努力
鈴木 泰広 氏
居酒屋平成27年開業
外食企業の取締役として勤めていた会社に骨を埋める覚悟をもって12年務めてきたが、40歳を過ぎて“後輩の成長を妨げてはいけない!後輩の活躍の場を作るため”との思いから独立開業を決意し退職した。今まで培ってきた和食料理の技術を存分に発揮できる業態を考え、“和食中心の居酒屋だが、居酒屋よりも一味違ったこだわり料理を提供できるお店”がコンセプトだ。開業当時、飲食店の経験は豊富だったが、経営者として一から始めたのは初体験で分らないことばかりだった。思いのほか内装費用がかかってしまい、不安な船出だったが奥様と共に二人三脚でお店を切り盛りし右肩上がりで売上を伸ばしているそうだ。看板メニューは、“毎日変わるグランドメニュー”で、その日に入った新鮮な魚介のお造りが人気、また青森シャモロック、手打ちそば等こだわり抜いた素材を使い季節に応じて“旬”を伝え続けている。経営者として大事にしていることは“競合店に負けない努力”でまずは選んで来店して下さったお客さの満足に集中している。これから始められる方には、“お客様に喜んでもらい社会に必要なお店になることが大事”とエールを贈る。今後は後輩を育てながら、自分が苦労した独立を支援しつつ、札幌での出店も視野に入れ多店舗展開の機会を狙う。
そろばんはじくな!ケチるな!金儲けを考えるな!
矢野 整 氏
食堂昭和9年創業
祖父の時代に小樽から始まり、後に人のご縁で帯広に移転した創業80年を越える歴史を持つ老舗店。その3代目として生を受け、東京の大学を卒業後に料理修業に入る。銀座や目白などの有名店で腕を磨き30歳で帯広に戻り家業に入った。帯広駅の店舗を任され一躍行列店に育てる。その後、関東にある百貨店の物産展への出店依頼があり、新たな一歩を踏み出したことから帯広の豚丼文化を守り、世に知らせる全国行脚が始まった。後に振り返り「経営の原点」だったと語る程の経験を積むことが出来たそうだ。“人生はドラマのようで自分に能力がなくても人との出会いでいかようにも変化できる”と実感したのは、人とのご縁から埼玉と北海道の巨大商業施設内への出店、シンガポールなどを含む海外出店など自分だけの力ではない、何かに導かれるような感覚で出会いを大切にしてきた結果だそうだ。“豚丼とかき揚げ丼”を武器に世界で戦い続け、過労から体調を崩した時期に自分を顧みて以前ならば避けてきた嫌なことを前向きに取り組めるようになり、“人は変われる!”ことを実感したそうだ。経営理念は「そろばんはじくな!ケチるな!金儲けを考えるな!」受け継できた素材を吟味した変わらない味と伝統を守り、美味しいものを出し続けることに集中し“お客様に信頼されてこそ本物”との信念を持ち続けている。今後は原点である本店をしっかり守りつつ、また新たな展開を進めていく。
自分の信念を貫き通しブレない味で伝えたいことを伝える
伊藤 護 氏
居酒屋平成24年開業
アルバイト時代も含めると20年以上に渡り飲食店で務めてきた。元々商売をしたいとの希望を持っていたが体力勝負の世界と分かっていたので、40歳までには出店すると決意した。お店のコンセプトは、旭川にはない30代より上の大人が楽しむ料理屋で、めっきり少なくなったカウンターを備えた店づくりをイメージし大衆的居酒屋よりもワンランク上、高級和食よりもカジュアルにお酒と食事をゆっくりと楽しめるお店、そして料理は日替わりで旬の素材を一番いい状態で、こだわりの日本酒と共に提供するお店を目指した。開業当初苦労したことは資金調達で、経験は長くても経営者は一年生、どこに相談すればよいのか悩んだそうだ。継続の秘訣は?の問いに対して「自分の信念を貫き通しブレない味で伝えたいことを伝える」ことを重視した結果と語り、クーポン系の告知はせず、毎日素材をFacebookにUPすることを日課としてきたそうだ。経営者としては、お客様を大事にすることは当たり前として、働いてくれるスタッフを大切にすることだそうだ。今後は他店舗化ではなく店舗の拡張を視野に目の届く範囲で運営を続ける。これから始める方には、“始める前にしっかりと可能性と失敗想定を考え練り込んで、ブレない信念を研き、言い訳が出ない程の自信を持った仕事”にして欲しいとエールを贈る。
お客様の満足の結果が利益
酒井 亮 氏
居酒屋、焼とり平成26年開業
元々、飲食店が大好きで特に焼鳥屋さんに通う日々、そしていつか職業にしたいと考えるようになっていた。アパレル業界のサラリーマンを経て、資金作りと修業のため名古屋に渡り5年程経験を積み、遂に平成26年地元旭川で開業を迎えた。お店のコンセプトは気の利いたサービスとお客様の居心地空間を重視し、お客様にとって何かのプラスを持ち帰ってもらえるようなお店で、常にお客様の気持ちになって出来る限りのおもてなしを心掛けてきた。開業当初から大事だと思っていたのはスタッフ教育で“それぞれの個性を活かしてあげられるか”ということをテーマに現在も考えながらの一日一日だそうだ。看板メニューの「仔羊の香草焼串」は他店では食べられない味との評価をもらっているそうだ。継続の秘訣はブレずに美味しく提供し続けることと、愛情たっぷりのお見送りに代表される接客サービスだ。今後は札幌進出も視野に入れ人脈作りに取り組んでいる。これから始められる方に対しては“お金儲けだけを考えるのではなく、お客様の満足の結果が利益”という考えで経営して欲しいとエールを贈る。
柳ケ瀬で60年“美味しくて懐かしい味”を提供し続けています
福井 雅一 氏
食堂1960年創業
創業者は祖父母です。元々は自転車の販売・修理と自転車預かりをしていましたが、徐々に車が普及し、自転車だけではこれから難しいという事で、店内にお好み焼きやおでんなどを提供するコーナーを併設したのがスタートです。その後、料理人だった父が1970年にお店を継ぎ、飲食店専業に。その2年後、近くに高島屋ができたのを機に、自宅をビルに建て替え、平成6年に私が三代目を継ぎました。
私は小さい頃から、甲子園を目指す野球少年でしたので、お店を継ぐことはあまり考えていなかったのですが、父が58歳の若さで他界したため、20代前半でお店を継ぐことを決意しました。(当時は大学に通いながら、高校の野球の監督をしていました)最初は、祖父母や父の時代の頃からの多くの常連さんをいかに満足させるか、引き続き来ていただくかが最重要課題でした。
料理は父から学びました。プロの料理ですが、原点に家庭の味がある。優しい味。なつかしい味。というのが大福屋の味の原点です。看板メニューは、岐阜の食材を使った。井ノ口丼、美濃姫丼など。
モットーは「奇をてらわない」こと。新しいトレンドやブームには一応アンテナを立てていますが、それを自分のお店にどう取り入れるかを考えます。「お客さんの笑顔が、お店にとっての喜び」この基本を徹底的に追及してきました。新しいチャレンジを成功に導く鍵は「技術より心構え」「基本をしっかりする」」という二点だと私は思います。繁盛店を形だけ真似てもなかなかうまくいかないものです。