ありがとうをいつも心に
耳塚 史泰 氏
バー平成26年開業
長年、銀座でバーテンダーをしてきた耳塚史泰氏。その長い間お世話になり、そして応援して頂いたお客様に更に頑張っている姿をお見せしたいと思い、独立をしたという。一人一人のお客様に全力でおもてなしをしたいので宣伝はせず、隠れ家の様な場所として営んでいる。看板メニューはなく、その時のお客様のリクエストや、雰囲気をみて最高の一杯を、お出ししている。今では知る人ぞ知る「Bar 耳塚」だが、開業当初は色々苦労したという。元々、バーテンダーという職人気質を重んじてやってきていたので、いざ独立となると経営の事が疎く大変苦労したそうだ。現在は経営の事を色々学べたそうだが、良いお店を継続させるには「美味しかった」より「楽しかった」と言っていただける事が大事だという。今後も“スタッフがスキルを身に付け、独立していく様背中を押していける様なマスターで居続けたい”との想いで精進をかさねている。これから夢を叶えていく方々に、「継続する」を目標に!そして「ありがとう」をいつも心に、と語る。
人と人との輪を尊び、お客様の喜びを自分の喜びとし、一期一会の心を大切にする。
井上 孔二 氏
和食平成7年開業
会社として、東京を中心に飲食事業部を作り、また、ススキノでは、パブなどの展開を行っていた。1995年に、ブームの転換期という事を感じて、ススキノで、業態を、飲食店にシフトした。その当時は、まだまだ、本格的な和の雰囲気と、高級食材を使用した、安心安全素材の食べ放題を提供するお店は少なく、和牛などを含め、握り寿司まで味わえる、盛りだくさんなメニューが、多くの方に支持され、翌年、2号店目を出店し、更に多くのお客様に喜ばれたそうだ。長く続けられた秘訣には、“社内で、週に一度は、議論の場を持ち、皆のアイデアで進化・改良させてきた結果”と話す。企業理念は、“人と人との輪を尊び、お客様の喜びを自分の喜びとし、一期一会の心を大切にする。”事で、今後は、お店が「食」を通じてお客様に安らぎと明日への活力を提供できる場となるように日々創意工夫、練磨、遂行を積み重ねていく。
この町にもう一度チーズの灯をともしたい!
宮本 正典 氏
チーズ屋平成2年開業
生家は和・洋菓子を製造販売する菓子店。兄弟と家業を発展させるかたわら、レストランなど飲食店経営を経て平成2年、“早来は日本で初めてチーズ工場が出来た町”だったが生産拠点が十勝に移り行く様を目の当たりにした時「この歴史を守りたい」「この町にもう一度チーズの灯をともしたい!」との強い想いから夢民舎創設に参加しチーズ製造を開始。試行錯誤を繰り返し遂に、後のグループの代名詞となる「カマンベール」を作り上げた。その品質はオールジャパンナチュラルチーズコンテストでも最上位の評価を得たほどだ。その後も次々と新商品を開発し北海道民なら一度は目にしたことがあるほどの人気と知名度を得た。直営店舗「レストランみやもと」は、いわばアンテナショップの意味合いが強い。このお店で提供される豚肉は、チーズ工場でしか育てられない「究極のホエー豚“夢民豚”」と「世界が認めた早来チーズ」が主力商品のお店である。オリジナル商品、ブランド、高付加価値、差別化をテーマに“他店では食べることのできない”オンリーワンの商品が並び、接客はアットホームで心温まるサービスが魅力のお店となっている。現在は、ホエーを飲ませ育てた鶏の卵をベースとしたスィーツ開発にも力を注ぎ、今後も次世代を託す家族と共に歴史とブランドを守り培っていく。
理想郷のBAR
奥秋 勝己 氏
バー平成23年開業
元々、音楽の世界にいた奥秋勝己氏。たまたまバイト募集の記事をみて入ったお店が『セントエルモスバー』このお店でBARという空間に魅了され、バーテンダーという職業の修行についたという。そして、数店舗を渡り歩き(ホテルのBAR)十数年の修行をし様々なコンペなどでも輝かし成績も収めた。その今までの経験を振り返り、『理想郷のBAR』を作りたいという思いが強くなり、独立を決意。BARという異空間をこよなく愛する人達の理想郷というコンセプトを抱え、今の『芝浦ボンド』が完成した。勿論、オープンして直ぐにこの理想郷のBARが完成した訳ではなく、自分の今までの修行で得たスキル・経験、様々なお客様との接客の末、完成した。
今は他業種での理想郷を作る事も視野に入れ、日々精進している。自分よりも若い世代の方々に“次なる『理想郷のBAR』を作るため頑張って欲しい”と力強くエールを贈る。
お客様が来やすい、スタッフが働きやすい店づくりを目指しお客様の声を大事にする
遠藤 政広 氏
焼肉昭和40年開業
先代である母親が学校卒業後に東京の焼肉店へ修業入りし、あるご縁から旭川で開業したのは昭和42年頃だったそうだ。父親や祖母の他界、信頼できるスタッフの病などのタイミングが重なり、修業中の札幌から戻り家業に入る。常連のお客様から伝わる伝統の重さを痛感しつつ、時代に合わせたお店作りを模索し続けた。顧客ニーズの多様化と高齢化から座敷ではなく、テーブル席へ変更し、居心地感を重視した雰囲気とレイアウトに改装し、ワイン、日本酒なども取り揃えた焼肉店として、新たなお客様に楽しんでもらう為の企画を打ち出した。改革当初は、都会の流行をいち早く取り入れようと躍起になっていたが、ふと気がつけばどこか独りよがりな部分を感じ、地元のお客様に愛される店作りに集中しつつ、少しずつ新たなモノを加えていくようにした。長く続けて来られた秘訣は“口コミに尽きる”と常連客を大事にしてきた結果だそうだ。経営で大事にしていることは「お客様が来やすい、スタッフが働きやすい店づくりを目指しお客様の声を大事にすること」だそうだ。今後は、老舗焼肉店として多店舗化ではなく、アットホームな雰囲気で“知る人ぞ知る名店”と言われるようなお店に育てたいと意気込みを語る。