原材料に勝る商品なし
勝俣 克廣 氏
レストラン昭和44年開業
昭和44年23歳の時に、牛乳生産に特化する酪農を営むため両親と共に神奈川県箱根市から北海道千歳市に移住し、原始林を伐採・開拓する所からスタートした。新しい土地には“地力”がないため止む無く化学肥料を使用するも牛たちの健康面に影響が出たため“いい牛が元気で生きられる牛のための有機栽培”を目指し悪戦苦闘の末、土壌改良に成功。微生物との共存共栄のバランスをとり、トウモロコシやジャガイモ、大豆などの輪作を行っている。生産・加工・体験・観光・飲食店を兼ね備え“人とのふれ合い”を重視した観光牧場は大人気となりシーズンに関わりなく多くのお客様で賑わう。自慢のソフトクリームや、国内でも珍しい“水牛(地中海)のモッツアレラ”は食べた人に感動を贈り続けている。平成元年にファームレストランを開店し、本格的な6次産業化に着手“原材料に勝る商品なし”の志で、高付加価値な素材を重視したステーキやハンバーグなどの料理を提供している。今後も来場して下さったお客様にリラックスできて、楽しい・嬉しい環境づくりを続けていく。
現状に満足せず安心することなく常に自分自身を疑い続け行動し続けることが大事!
森谷 祐至 氏
バー平成26年開業
元々料理人として勤め始めた頃から独立開業を目指し貯蓄を開始。きっかけとしては勤め始めて10年の節目であること、経験を積めたこと、資金計画に目途がついたことで2014年の開業を決意した。これからの時代の飲食店は継続が極めて難しいとの考えから、より個性的なオリジナリティーを模索した。そしてビール好きだったこと、1994年の規制緩和で全国で地ビールブームとなったことを見ていたこと、北海道ならではモノ、小さな商圏から大きな市場に打って出られる商品力を持つこと、ビールの多様性をもっと多くの人に知ってもらいたいとの欲求など様々な理由により自家製造のビールとオリジナル料理を提供する業態を考え出したそうだ。多くのビール醸造の関連本を読み、市内にある地ビール店に飛び込んでは教えてもらうなどの努力を重ねた。開業当時は資金不足により販売促進に予算をかけられなかったので、SNSなどを駆使して無料で使えるモノを最大限に活用し告知に励んだそうだ。ここまで継続してこられた秘訣は「目の前のことを一つ一つ真摯に対応すること」「相手の身になって考え繋がりを大切にすること」と語る。経営者として大事にしていることは、良い商品提供は当たり前として「数字管理!」をあげ、“どんなににいい目論見でも資金があってこそ出来ることがある”と考えている。これから始められる方には「現状に満足せず、安心することなく常に自分自身を疑い続け、行動し続けることが大事!」とエールを贈る。今後は、お店の土台作りをよりしっかりと行いつつ、ブランドを構築し、まだまだ自店は知られていないとの意識で広く多くの人に魅力を発信し続けていく。
永遠の師匠はお客様!
尾形 有司 氏
和食昭和36年開業
元々、東京の石油関係のケミカルプラント設計会社に勤務していたが、オイルショックや戦争など自分の力ではどうすることも出来ない状況に左右される仕事だったことと、母親が函館でおでんのお店を兄と共に営んでおり以前から手伝ってくれないかと誘われていたこともあり、一念発起して修行させてもらいながら、いつか東京で飲食店を開こうと考え妻と共に移住した。 世はまさにバブルの入り口、隣接する料亭を買い取り新店舗を開業。師匠の傍で料理修行に励む日々を過ごしつつも経営が安定した頃、多額の融資を受け母と兄のおでんとお食事処の店を新築開業することとなったが、バブルがはじけ一気に経営が厳しくなり連帯保証人となっていた自分が返済を余儀なくされる事態となる。 各方面からの非情とも思える対応を受けるも何とか歯を食いしばり匙を投げずに頑張り続けた。あるとき学校給食の派遣事業を請け負うことになり、家族全員で精いっぱい働き続けた結果“山あり谷あり這い上がれないほどの谷底あり”という危機的状況から徐々に好転の兆しが見えてきた。そんな折、日々の努力の甲斐あって“ミシュランガイド”で道南唯一の2つ星を獲得したことで話題となり現在の継続に繋がっている。 経営者としても大事にしていることは“地道にやっていれば必ず良いことが起こる。お茶一杯にも心を込めて「永遠の師匠はお客様!」”と捉え苦しい時にも、「1人でも100人のお客様でも目の前の方に集中し喜んでもらうことが大事!」と考えているそうだ。これからの方には「好きなことならやっていける!お金は後からついて来る」とエールを贈る。 今後については従業員を含む後継者には自分の味のバランスを受け継いでもらうことを基本に時代にあった取捨選択できる事業継承の道を作っていく。
オーナー自らが率先してお客様の声に耳を傾け、即実行してきた22年
栗崎 克泰 氏
焼肉、ホルモン平成6年開業
外食産業に興味があり、ビジネス目線でアンテナを張っていた時に、某有名塩ホルモン店で食事をし、タレをつけずに塩だけでこれだけ美味しいホルモンが食べられることに衝撃を受ける。
「旭川発祥の塩ホルモンをもっと広めたい!」という思いで、試行錯誤して出来上がったのが、オリジナルの塩ダレにつけた塩ホルモンだったそうだ。
地元の食材を使ったこだわりの塩ダレは、家庭では真似できない、ここに来たから食べられる味だからこそ、たくさんの方に食べていただきたいと、低料金で提供し続けることにもこだわる。
22年継続してこられた秘訣は、オーナーがお店に出て最前線でお客様を見て、常に反応を見ていることだそうだ。お客様の表情を見て、感想を直接聞いて、お客様が満足をされているかを常に気にしながら、お客様からのご意見はすぐに実行する。元サラリーマンだったからこそ、社長自らがお客様の声に直接耳を傾けることにこだわっている。
今でものれんをかける時には、ものすごく緊張しながら初心の気持ちを忘れずに、お客様に感謝してオープンさせているそうだ。これから始める方にも、初心を常に忘れずにがむしゃらにがんばってほしいとエールを贈る。
一口食べると泣きたくなる程、美味しい料理を目指す!
金田 二朗 氏
フレンチレストラン平成24年開業
フランス料理に入門し、東京で修行した後、本場の料理を学ぶべく、渡仏。約5年間現地で、腕を磨いた。帰国後ご縁を頂き、札幌で料理長を任される事となり、移住する。約4年間にわたり、繁盛店として、名を馳せるも、新たなチャレンジをするために、独立を決意し、2012年、「北海道のフランス料理 サヴール」を開店した。コンセプトは、敷居が高く感じられがちな業態の垣根を取り除き、ハレの日の特別食ではない、気軽な美味しい料理が食べられるお店として、また、業態では珍しいフルOPENキッチンで、調理する音、香り、会話、調理風景など、5感に伝えるお店作りだ。開業後半年程は、集客に悩んだ時期もあったが、奥様との2人3脚で、徐々にお客様が増えていった。志は、狭い商圏で、お客様を奪い合うのではなく、広く日本全国から、来店して頂けるようなお店になる事だそうで、“一口食べると泣きたくなる程、美味しい料理”を目指し、常にお客様に感動して頂ける、料理と、気持ちのこもったおもてなしサービスを提供し続けている。今後は、業界自体の魅力、楽しさ、やりがいを享受できるようなお店を増やし、志のある人材の活躍の場を作っていく。