まるいお好み焼きで”ゑん”(ご縁)をつなぐ
浅川 秀樹・よう子 氏
お好み焼き創業2001年4月
飲料メーカーにお勤めだったご主人が早期退職して奥さまと二人で始めたお店。お二人とも飲食業はほとんど素人だったそうだ。お好み焼き店を始めた元々の理由は、ご主人が大好きだったからとの事。
開業前は、期待よりも不安の方が大きかったが、なかでも困ったのは、設計士さんと建築業者さん、納期や品質面で問題があり、開店前日まで工事をしていたような状態だったという。
お客様は、オープン直後からけっこう来てくださったが、1カ月ほどでパタッと止まってしまったそうだ。急きょランチメニューを投入し、何とかお客様の定着を狙ったが、最初の3年間は本当に厳しかったとの事。
まずは、親戚や友人に声をかけて、利用してもらってそこから徐々に広げていった。最近ではSNSを活用して情報を発信しているそうだ。
経営が安定してきたのはやはり、地道な声がけを続けて、常連さんが増えてきた事。ランチは今ではリピーターが5割。徐々に夜の常連さんも増え、安定してきたそうだ。
看板メニューは、「ゑん ふわふわ焼き」まるでケーキのような、やわらかな生地の食感が評判だ。最近ではもんじゃも人気が出てきたとの事。
ここまで続けてこられたのは、常にお客様を大切に思い、また、常に声をかけてきたことが良かったのでは、との事。座右の銘は「一生懸命」(ありがとうの心をもって)だそうだ。これからも今のスタイルで、続けられるだけ続けたいとお二人は語る。
真心を込めて取り組む事と、お客様の目線で考える事。そして、謙虚な姿勢を忘れないでほしい、と後輩にエールを贈る。
食は命
福田洋一 氏
和食創業2012年6月
子供時代、体が弱かった父に代わって母が働きに出ていたため、晩御飯の支度は兄と二人で協力して行った。しかし、自分が作った料理が特に家族の評判が良く、その時、自分の料理好きに気づいたそうだ。また、人を笑顔にできる「食」の魅力を実感し、ゆくゆくは料理の道に入りたいと思っていたとの事。
高校卒業後、ご縁あって、箱根の老舗ホテルに就職。そこで11年お世話になり、一通り仕事を覚えた。元々、いつか独立したい、自分のお店を持ちたいと思っていたので、その夢を実現するために、勤めていたホテルをやめ、結婚というきっかけもあって名古屋に。そこで、名古屋で指折りの割烹料理店の板長と知り合うきっかけがあり、そのお店で二番(副料理長)として5年間、さらに腕を磨いて、平成7年に開業。
高級割烹としてスタートしたので、開業当時は、食材にもお金をかけ、人もたくさん雇っていた。そこそこお客さんは入るのだが、人件費を筆頭に何せ出ていくお金も大きく、苦戦続きだったそうだ。3-4か月で運転資金が底をつき、リストラやお店の方向性を変え、家族だけで再スタートして、何とか利益が出るようになったのだという。
当時は本当に毎日不安で辛かったが、来てくださっているお客さんの「美味しかったよ。また来るよ。」という声に支えられ、続けられたと、ご主人はしみじみ語った。
ご主人の目指す料理、例えば肉じゃがとか、ひじきの煮物といった、スタンダードな料理の最高峰を目指している。ずっと残っていく定番料理を確立したいと考えているそうだ。
盛り付けや見た目についても、「わぁ、美味しそう!箸がつけられない」というのは最高じゃない。「わぁ。美味しそう!」で思わず箸をつけてしまうのが最高なのだという。
お店の看板メニューとしては、季節のもの旬の物を使った、ひとひねりした料理。例えば初夏ならトマトを使った和の料理を出すとか、カツオの塩辛を使ったチーズとか。勝負は突き出しだと思っているので、最初でガツンと行く事を意識しているのだそうだ。
お店が継続してこられたのは、「人と人とのつながり、人への感謝があったからだと思う。いくら料理が上手でも、評判になっても、決しておごってはいけない、お客さんにどれだけ感謝があるか。」だと考えているそうだ。
今後の展開については、いい物件があればいつでも動く準備や気持ちはあるとの事。また、志を同じくする人と出会えれば、二号店、新しい業態なども考えてみたいそうだ。
座右の銘は「食は命」。食事というのは、命をつなぐため、すごく大切なもの。そういう気持ちで日々料理づくりに取り組んでいるのだという。
後輩経営者へは、初心を忘れないで、夢を貫き通してほしい。そして、志を高く持ってほしい。(志の高い人には志の高い人が集まってくるので)とエールを贈る。
ごはんが美味しいCafe
代表 松本康広 氏
カフェ創業2012年6月
子供の頃から料理を食べるのも作るのも大好きで、高校生の時に飲食店でアルバイトを経験し、飲食業の魅力を知った。その後もアルバイトを続け、20歳の時に、30歳で独立しようと決意。当時はカフェブームで、カフェがやりたいと思ったとの事。ただ、社会の仕組みや、お金の流れを知ろうと、まずは会社に勤めた。予定通り、30歳で独立。親の援助もあり、借り入れゼロで、お店を持つことができた。今も親には感謝を忘れないそうだ。
一番悩んだのは物件。2年ほど探したそうだ。あらゆるつてをたどって情報を集め、自ら足を運んでチェックしたが、なかなか希望する物件が見つからなかった。妥協をせずに2年間探し続けたある時、たまたま地元の駅前の不動産屋さんに顔を出したところ、今の場所に出会えたとの事。
オーナー自身、ずっと調理をやってきたので、とにかく美味しいごはんが出せるカフェにしたかったとの事。当時のカフェはオシャレな空間ではあったが、料理はイマイチだったり、量も少なかったり、というお店が多く、まずは食事で満足できるカフェにしたかったそうだ。
店名の由来は、たまたまオーナー自身のブログのハンドルネームがくじらだったので、そのまま使ったとの事。ちょっと珍しい店名で覚えやすいし、親しみがあるし、キャラクターも作りやすいという事で決断されたそうだ。
一番人気はオムライス。小原村の卵を使った、ふわとろオムライスが大人気。
オープンから5年、周りの環境(競合店が増えた)は以前より厳しくなったが、常連さんが確実に増えている実感はあるとの事。もちろん、コーヒーにもこだわり、生産段階から品質管理がしっかりしている、スペシャルティ珈琲を、オーダーを受けてから一杯ずつ丁寧に入れている。
ここまで続けてこられたのは、お客様に真摯に向き合ってきたことではないかとオーナーは語る。とにかく常連さんの存在が大きい。顧客リストの収集と定期的フォロー、プラスSNSの活用で、定期的に来てくださる方が確実に増えたそうだ。
お店のモットーは「おいしい」ものを「おいしく」飲み食べしていただく事。
これから始める方へ、「迷っているならやめた方がいい。サラリーマンでいた方がいいと思う。ただし、苦しい先に大きな喜びがあることはまちがいない仕事なので、心が決まっているなら、全力で前に進んでほしい。」とエールを贈る。
飲食業はエンターテイメント 五感で北海道を知ってもらいたい
代表取締役 井上雅之 氏
ラーメン、他平成18年開業
先代である父のラーメン店を長年見てきた井上氏。アメリカの大学に留学したことで、日本の文化の良さに気づかされ、国民食であり、アメリカでもヌードルとして親しまれていたラーメンを海外に輸出したい、と25年前から考えていたそうだ。帰国後、先代のラーメン店で窓ふき、トイレ掃除、皿洗いから始めて、9年修行した後、ラーメンの海外輸出を実現させるための会社を10年前に立ち上げた。現在は、ラーメンは国内9店舗、海外11店舗展開しているが、その他にも多種の飲食店を経営している。北海道の一次産業を美味しく食べてもらおうと、北海道の現地でしか手に入らない一品料理や地酒を空輸で毎日送る「ラーメンダイニング」という新しいスタイルも、東京の一等地で4年前に開業した。飲食業はエンターテイメントなので五感で北海道を知ってもらいたい、北海道を食をきっかけに興味を持ってもらいたい、食を求めて北海道に来るきっかけにしたい、という思いで始めたそうだ。
計40店舗経営する井上氏は飲食店に必要な要素として、Place(場所)、Product(商品)、Price(価格)、Person(人)の4つを大切にしているそうだ。「安く出店できるからここで店を出そう」ではなく、この4P理論が合致していることを重視していると語る。
これから始められる方には、ファーストフードやファストファッションなど、食も衣類も便利になりすぎて、対話が重視されないような時代になってしまったからこそ、若い世代には起業する場所に関しては世界も見てほしい。先輩というよりも同志として、要請があれば全力で協力するので大いなる志をもってチャレンジしてもらいたい。そうやって1+1=3になるよう飲食業界をみんなで盛り上げていきたい、とエールを贈る。
「地域に一番愛されるケーキ屋さんを目指しています」
服部 太賀士 氏
ケーキ創業2012年11月
元々はお菓子作りというより、喫茶店をやりたいと思っていた。その道の学校に進もうと考え、調べていたら調理師学校ではなく、製菓学校があることを知り入学した。当時はまだ製菓学校が少なく、名古屋になかったので、浜松の製菓学校に入学して、お菓子作りを学んだ。入学後は菓子作りの面白さにひかれ、パティシエとしてやっていこうと思うようになったそうだ。
卒業後は浜松のケーキ屋さんに5年勤め。さらに名古屋の珈琲専門店でも1年働いた。当時ケーキ屋さんの喫茶部門のコーヒーは美味しいと思えるものがなかったので、ケーキも珈琲も美味しいものが出せるお店にしたいと思い、その後改めてケーキ屋さんの店舗責任者という立場で働いた。さらに、なぜ売れるのか、人気なのかを肌で感じようと、当時の人気店にも勤めて、その後独立。
さらに、独立の準備をしながらパン屋さんでも働いた。
(将来的にパンもやりたかったので)
日常使いの、地域に溶け込んだケーキ屋さん、がコンセプト。ただし、洋菓子なので、お店づくりは非日常感を演出した。
開業当時、土地探しに非常に苦労した。広い土地でやりたかったが、敷地全体は300坪。農地を中心に粘り強く探してやっと見つけたのが今の場所。
看板メニューは特に設定していない。当初はそれが悩みだった。しかし、お店をやっていくうちに、お客さまからは「普段甘いものや生クリームが苦手な子供がここのお店のは大好き。」「このお店のしか食べない。」という声をたくさんいただくようになった。
繁盛継続の秘訣は?の問いに「まず、大きい店と広い駐車場は武器だと思う。それから、お客様が求めているものを、なるべく取り入れていきお客様の注文からできた商品も多い。」と語る。
地域に溶け込む意味でよかったのは、モーニングを始めた事。これで新しい層のお客様が増え地元のお年寄りが来てくださるようになった。ケーキ屋さんには入りにくいけど、喫茶店のモーニングには好んで来てくれる。ここで、パン屋での修業が役にたった。モーニングで、焼き立てのパンを出すケーキ屋さんはなかなかない。お年寄りが増えたことで、お孫さんにケーキを買って帰る方や、誕生日のケーキを予約してくださる方が増えた。
あと、地域に溶け込む取り組みとして始めたのが「マルシェ」の開催。地域の農家さんなどに声を掛けて、野菜を持ち寄って売っていただいた。自分も焼き立てパンや、焼き菓子を売った。これも、新たにお店を知っていただくきっかけになり、さらに広がりができた。今後も続けていきたいとの事。
経営で大事にしていることは、一流ホテルに勤めていたとか、超人気店のパティシエだったとかの経歴があるわけではないので、人と協力する、周りの力を借りる事を考え実践する事で、方向性が定まっていないという批判もあるかもしれないけれど。変に固まらずに柔軟に適応しようとしてきた結果、地域のお客様に支持されつつあるのだと思っているそうだ。
今後の計画としては、敷地はまだ余裕があるので数年先にさらに拡張して、カフェ用の厨房を作って、ランチやデリの販売なども手掛けていきたい。との事。
最後にこれから始める方には、周りの人の存在はありがたい。(親、親戚、友人)その協力がなければできなかったと思う。開店の時に良いスタッフと出会えたことも大きい。自分一人ではなかなか成功は難しい。そういう人間関係を大事にしてほしいとエールを贈る。