色々な経験は人生勉強。それが今を作ってくれた
星賀 寛 氏
ダイニングバー平成11年開業
調理人としてホテルニューオータニ札幌のフォーシーズンを皮切りに東京のフレンチレストランなどでも修行。札幌に戻り知人のレストランを手伝う中、思い立ってオーストラリア・シドニーへ。ジャンルは違うが言葉の通じる和食店で調理人として働きながらシドニー大学の語学研修所で英語を学んだという。そんな中、クラスメイトからインターショナルレストランのオープンでスタッフを募集している話を聞き、そこで働き始める。日常会話は出来るようになっていたが調理場では忙しくなるとブロークンになるため意味が分からず言葉の壁で相当、苦労したようだ。そんな調理場にも慣れ、永住権申請中に日本へ一時帰国。そのまま戻ることはなかったという。自分の店を持つことを夢に知人の店で働いていたとき、料理は作れるが接客や経営の経験は全くないのに、そんなことで本当に出来るのか、と恐怖を覚えた。勉強できるところはないか、と探していたところ、当時、接客にも力を入れ話題のチェーン店が店長候補を募集しており、思い切って飛び込んだと話す。右も左も分からないところから3年ほど勤務したが、この経験がなかったら、今頃どうなっていたか。そこで鍛えられ、今となっては本当に良い経験をさせてもらったと語る。その後、他店舗への異動話をきっかけに自分の店の開業に向け、本格的に動き出す。店を出すことを予定していたので、自己資金作りに余念なく、自己資金のみで開業させたという。借り入れをすると後で大変なことになる、という思いだったそうだ。 料理、接客そして経営は学んだが、たったひとつ勉強しなかったことが「立地」。開業後、精神的に一番辛かったのが、お客様からの「なんで、この場所なの?」という言葉だったという。友人やその知人、タクシーで来店してくれるお客様など、徐々に常連さんも出来、考えていた移転は思い切ることが出来なかったと話す。1日にお客様が1人とか2人とかしか来ない週もある、でもその次の週には沢山のお客様が来てくれる。トータルで目標をクリア出来れば良い、浮き沈みに一喜一憂はしない、小さなモノの見方をしない、そんな風に考えるようになったらメンタルが楽になった。それも、お店には一切出ていない奥様が色々な面でサポートしてくれるから、と語る。 平成11年「洋風居酒屋Soul&Spice」としてスタートしたが、お客様から何がウリなの?と聞かれ、試行錯誤。現在の「Pizza Pasta創作料理Soul&Spice」と店名を変更、生地から手作りのピザがウリ、と明確になったことも今の経営に繋がっていると語る。
自分を楽しむ、良いサイクルのところに良いものが集まる
冨士原 慶宣 氏
ダイニングカフェバー平成11年開業
料理が好きで調理師学校へ。卒業後はレストラン開業を目指しながら色々な飲食店で働いたりしたが、音楽好きもあり、一時期、音楽バンドの道へ。カフェで働き始めた時、コーヒーの魅力にはまったという。念願の自分の店、魅力にはまったカフェ店を平成23年に開業。店名は「コーヒー バー フレンチ」。当初は、立地が良いわけでない上に、知名度もなく、マネジメント経験もなく売り方も経営も分からず、2年ほどは本当に苦しかったと語る。それでも続けられたのは、現在の店でも人気のエスプレッソの粉を入れたカルボナーラやドリアが珍しいと、メディアで取り上げていただいたことも大きかったが、それ以上にお客様がどうしたらリピートしてくれるのか、人からモノを買うということがどういうことなのか。500円のコーヒーでも価値があれば5,000円でも注文してくれる、お客様は、そんなことは分かるんだ」ということを意識して、どのようにして運営していけば良いのか分かってきた頃、軌道に乗ったことを感じたという。そんな頃には店のウリがよく分からない店名だと気づいた、と語る。フレンチはフレンチコーヒーの意味だったのに、お客様はフレンチ料理のフレンチと捉えて来店。しかし気づいた時には認知度も上がっていて変更出来ない状況だった。良い立地に移りたい、規模の小さなお店から、もう少し広いお店に、と移転をきっかけに店名を「自分」にこだわっていきたいと「fujiwara」に変更した。移転後は、コーヒーとワインをメインに、前店でも人気だった“エスプレッソ カルボナーラ”などの料理を楽しみに来店するお客様で賑わっている。営業は17時~深夜1時。それでも〆のラーメンならぬ〆のコーヒーを飲みに来店されるお客様やお料理とワインを楽しんだ後、帰る前にコーヒーを、というお客様が多いという。 6年間お店を続けてきた秘訣は「諦めないこと」と「いかに人生を楽しむか」と語り、いつ潰れても良いと思いながら、そして自分の人生だから自分を楽しく生きている。そうするとお客様は、ついてきてくれる。不安などで悩んで頭を抱えていても何も始まらない。独立した意味もない、と話す。 淡々とそう語りながらも毎年コーヒーマスターズの大会にもチャレンジし、美味しいコーヒーでお客様が楽しんでいただくことに力をいれている。 今は月に1度、ディスコイベントを行っているが、大好きな音楽を絡めたことも今後やっていきたい。少し余裕が出たら経営の勉強や色々なものを吸収するため、海外の色々な国にも訪れたいと、あくなき探究心を覗かせている。
お待ちいただくクレームよりも、作り直してでも美味しいお料理をお出ししたい
廣部 賢太郎 氏
中華平成19年開業
市内ホテルの中国料理店で修行し、今ある環境で投資を抑えレストランを開業させるため、運転資金作りの土台として平成14年に点心の製造工場「美点工場」を開業させた。
その流れもラーメン屋を営む両親の影響だと語る。工場はそのラーメン屋に隣接し、1店舗目の「海鮮中華 宮の森れんげ堂」の開業につながる。自己資金と政策金融公庫からの融資で始めたが、開業当初はお客様の来店も少なく、また山の方だからか、雪が降ると途端にお客様の足がピタリと止まったり、と厳しい状況だったと話す。お弁当の注文や百貨店でのイベント、おせちなどのお声をいただいたり外での売上が上がる中、胃を全摘出した方や病のため食が細く食べられるものがない、添加物が入っている食べ物を受け付けない、という方たちが、れんげ堂のお粥を食べたいと来店いただくなど「心と体の健康」をテーマに広東料理をベースにした中華料理を提供してきたことが、お客様に届いていることが本当に嬉しいという。そして平成26年、北海道神宮内の出店の話がきたとき、色々な制約がある厳しい条件の中でも決めたのは、 10年ほど前から、お粥屋さんをやりたい、出来れば神様のお膝下である北海道神宮でやりたい、と思っていたからだという。経営者としては、その決断は甘いと思ったが、それでもやりたい、と踏み切った、と話す。
その想いは熱く「ちょっとタレが、皿についた」とか「ちょっと味が・・・」などという『ちょっと』などにも料理人として味付けや仕上げなどへのこだわりを持ち、少し待っていただいてでも自店での最高を尽くし、評判を下げることはしたくないと語る。
店名の「れんげ堂」の“れんげ”は、そのカタチが蓮の花びらから由来することからきていること、また蓮は東南アジア地方で祝いの花とされていることから。「白鹿食堂」は、白鹿が神様の使いということから店名としたという。
料理人として店を運営してきたが経営が難しいことを、つくづく身に染みて、今までの状況を、これから同じにはしたくない、経営の勉強をしていきたい、と話しながら、「石の上にも3年」という言葉があるが、本当に何事も、その通りだと、これから出店される方へメッセージを語りながらも自分へも語りかけ続ける。
お客様はもちろん、料理長やホールスタッフが大事
栗田 美鳥 氏
和食平成23年開業
当時17店舗を有する青木商事へ入社し、青木商事が有するすすきの有数のキャバレー「エンペラー」支配人に就任。「エンペラー」閉店後、平成19年にミニミニエンペラーを目指した「スカイラウンジピュア」をオープン。 「エンペラー」時代のお客様が来店され、女性スタッフにも恵まれ、その後、2号店、3号店と順調に姉妹店をオープンさせたという。
エンペラー時代に青木商事で運営していた“しゃぶしゃぶ”の店と1次会&2次会パックを作り、それがヒットしていたことが、現在のしゃぶしゃぶの店『彩食健美 くり田』開業につながったという。
現在は、スカイラウンジピュアとの “くりピュアパック”。さらに月曜限定 happyマンデー は、どの時間に入店してもラムしゃぶ食べ放題が1,980円、火曜日はラムしゃぶ含めてのコース女子会プラン、など曜日ごとにいろいろプランを造成、くり田には楽しい1週間がある、と思っていただくように考えた、と話す。
しゃぶしゃぶの店として有名なくり田だが、和食メニューにも力を入れており、お客様が飽きないように定期的にメニューを変更、また素材の良さをロスの出ないよう余すところなくお客様に提供しているという。
一番大切なことはスタッフの資質。某有名ホテルの和食店で腕を振るいオープン当初からの料理長は、今でも腕の研鑽を重ね、平成27年、調理技能コンクールで「銀賞」を、翌平成28年には同コンクールで「金賞」を受賞した。ホールスタッフは意識の高い現在のスタッフに落ち着くまで時間がかかったと話す。
店内は、オープンキッチンでオープンカウンター。調理場とカウンターでも話しかけられる間近な距離。五感を大切にしており、清潔感はもちろんのこと、肉のスライスをしているパフォーマンスを見て頂くこと、お客様との会話も重視している。お客様とは、たれの説明でも何でも必ず一言添えるなど、料理長もホールスタッフもお店の雰囲気づくりを心掛けてくれている、とスタッフを大切にしている姿勢がうかがえた。
「高価」と取られがちではあるが、決してそんなことはなく、自分にとって大切なひとときと思って頂けるような「くり田ならでは」という空間を意識しているという。「同じ時間」そして味を通して喜びを分かちあう、それは世界共通、いつか1軒だけでも良いから世界のどこかに「くり田」を出店したいと未来を語る。
一度来店したらツボにはまって何度も来たくなるお店を目指して
代表 伊藤 勲 氏
居酒屋平成28年開業
ホテルでのフロント勤務、レストランでのホール勤務を経て、調理場で和食料理の料理人を務めたことで料理の面白さを知ったオーナーの伊藤氏。その後は割烹料理屋で本格的に料理を学び、料理が本当に好きなことに気づき、3年半務めた後、多国籍料理の居酒屋で7年、ここでは料理だけではなく仕入れなど様々な仕事をさせてもらったそうだ。たくさんの経験を積んだことで独立を考え、焼鳥屋さんで3年修行をした後、焼き鳥をメインにしたお店で独立した。
サラリーマンが気軽に寄れるお店にしたいとオープンしたが、女性客も多いなど、幅広い層のお客様にお越しいただき、ジンジャーナッツやエノキシシトンなどオリジナル創作串が人気を呼んでいるそうだ。
お店は活気があり、一人で来ても楽しめるように、お店のスタッフ全員でお客様を楽しませるエンターテイメントのような接客を心がけていると語る。
新規で来店いただいた方には、良い意味でどつぼにはまったくらい何度も来たくなるほど楽しんでもらいたい、という思いで店名をつけ、スタッフ全員がその思いを共有しているそうだ。接客には力を入れていて、全員が気配りができて痒い所に手が届く接客を意識し、経営者としては、誰よりも明るく元気な声で!活気あるお店を意識している。
これから始めたい方には、飲食店は楽しんだもの勝ちなので、自分も心から楽しむことでお客様にも楽しんでもらう、その気持ちを大切にしてほしい、とエールを贈る。