すべては計画的に
つるが ふみお 氏
おでん平成28年4月
常連になっていた、美味しいと評判のおでん屋さんが高齢のため閉店。美味しいおでんを食べたいと友人や常連仲間を呼び自宅でおでんパーティを不定期に開催していた。3年ほど経った頃、こんな状態ではダメだと60歳を機におでん屋開業を決意する。
奥様には内緒で開業1年前から食器を収集、半年前になると奥様に打ち明け、本格的に開店準備に入った。随所にこだわりが感じられるのはグラフィックデザイナーならでは。現在もデザイン学校でデザイン講師、道新文化センターではフェルト教室の講師という多面性を持ち合わせている。
お店の物件は、数軒候補があり家賃が安く、地下鉄すすきの駅からのアクセスが抜群、そして居抜きではなくスケルトンだったことが決めてだったという。
居抜きであれば、自分の希望に合わせ改装しなければならない、スケルトンのほうが自分のこだわりに合わせて好きに造れるという理由。自分で店内のデザイン画を、そしてお店「おでん さんかくまるしかく」のロゴは、マンガ「おそ松くん」に登場する“チビ太”が持つおでんから、こちらも自分でデザインした。
カウンター1本のお店。お客様から汚いところが見えてしまうと、カウンターはL字ではなく1本板にしたという。
計画的に開業を目指していたので着々と進んでいたが唯一大変だったのは、工事会社。知人の紹介だったが工事が順調に進まず、完成2/3ほどでやむなく工事会社を変更することになった。
一保堂の抹茶を抹茶椀でたてて作る抹茶焼酎やサーロインからとったすじ肉、自分で考案したうどん巾着など、こだわりは随所に及ぶ。
お客様と楽しく、自分が楽しく、そして自分も飲める隠れ家的な店が良いなぁ、と開業したが、商売になると楽しくないことも多い。飲食店を経験したことがないので、お客様を待つことが精神的に辛かったようだ。
それでも毎日、おでんの出汁を作り続ける。
”煎りたて・挽きたて・淹れたて”のハンドドリップ珈琲をどうぞ
長﨑 哲也 氏
珈琲専門店2009年10月
ご主人は、学生時代から飲食に興味があり、いずれはお店を持ちたいという思いがあったのだという。まずは開業資金をためる目的もあって、成果報酬のある通信関連の営業職を選んだのだそうだ。
当時はまだどんなお店をやるかは漠然としていたそうだが、ある時、外回りの際に出会った、自家焙煎の珈琲専門店の美味しさに感動し、この道で行こうと決意。勤めていた会社を辞めてそのお店で働くことにしたのだという。
そのお店で10年勤め、地元である、現在の場所にお店を持つことに。
開業費用が、当初の予想以上にかかってしまい、当初は運転資金に余裕がなく、不安なスタートだったそうだ。
しかし、オープン記念で実施した、思い切ったコーヒーチケットの特売のおかげで、比較的早く地域に認知され、客数も伸びていったとの事。ただ” 安い店”というイメージが当初ついてしまったのも事実で、その点は、珈琲専門店としての品質と価格を維持するのに苦労したのだという。
現在の看板メニューは、屋号を冠した「長﨑屋ブレンド」。毎日大半のお客様が注文してくださっているとの事。
新規開業から8年近くも継続してこれた秘訣としては、少しづつではあるが、常にお店を変えてきたのが生き残れた理由ではないか、とご主人は語る。
アイドルタイムのスウィーツメニューを選べる形にしたり、営業時間も、季節の変化やお客さんの反応見ながら柔軟に変更したりしているとの事。
最近の変化は、ずっとやっていなかったランチを始めた事。ただ、珈琲専門店にふさわしいランチを目指し、地元の人気玉子屋さんとコラボした、オリジナル玉子サンドを開発して、ランチとして提供し始めたのだそうだ。
座右の銘は「利他の精神」まず人に喜びを与えることを大切にしているという。
今後は、コーヒー豆の販売をもっと強化していきたいとの事。
これからお店を始める方へ
「まずは、できるだけ様々な業界の方と人脈を広げてほしい。」とご主人は語る。「お店を始めてしまうとなかなか出かけて行ったり人と会ったりする時間が作れないので、お店がスタートする前に、しっかり人脈作りをしてほしい。」とエールを贈る。
数ある店の中から当店を選んでくれたお客様に感謝
落合 弘忠 氏
ラーメン2004年7月
実家は果物の卸売りをやっていて、その影響もあり、元々はフルーツパーラーをやりたいと、なんとなく考えていたとの事。
とにかく、お店を持ちたい気持ちが強く、20歳頃には、家業を手伝いながら休日には喫茶店でアルバイトをしていたのだそうだ。
その後、イタリアンのお店や、焼き鳥店のFCオーナーとして、飲食店経営を経験。どちらの業態も業績は好調だったが、2002年の道交法改正による、飲酒運転の罰則強化がきっかけで、赤字とまでいかないが、利益が出ない状態になったのだという。
やはり、オリジナルなもので勝負したいという思いが強くなり、自分のラーメン好きを活かした、ラーメン専門店をやろう、と決意。当時は焼鳥店と並行しながら、ほぼ独学でラーメンの研究やオリジナルメニューの開発を進めたのだそうだ。
そして、2004年の4月、濃厚かつ香り高い、独自の魚介豚骨スープの「豚そば」や、濃厚スープ&極太麺の「つけ麺」が売りのラーメン専門店をオープン。当初は集客に苦労したが、マスコミの取材後、順調に売上げがあがっていったのだという。
その後、まぜそばなども投入。さらに幅広いお客様に来ていただけるようになったのだそうだ。看板メニューはやはり「豚そば」との事。
お店を継続できたのは「お客様が来てくれる事はあたりまえではない」という思いが根底にあるから。とご主人は語る。その思いは従業員に伝わっていって、お客様への心からのおもてなしにつながっていくのだという。
「私達はラーメンを通じて関わる全ての人を元気にします」が、お店の経営理念。
今後の展開としては、
”人”を重視した展開指針を軸に、国内外問わず文化の違う地域へ出店を行い、仲間を増やしていく企業創りを目指すのだという。
また、万人受けはしないが、熱烈なファンのできる、個性的な一杯を目指して、新たにラーメンも開発中だそうだ。
これから始める方へ、
お金儲けが目的だったらやめたほうがいい。飲食店を好きだったらやったほうがいい。
いい時ばかりはない。悪い時があっても続けられるくらい好きな事だったらやったらいい。とエールを贈る。
スタッフには自立できる、自分で考えて行動する、そんなひとに
野々宮 朋幸 氏
イタリアン他平成29年7月
平成29年7月にオープンした「貝×シャブリ jiji(ジージ)」を筆頭に「雲丹を中心とした地中海料理 オステリア バーヴァ」そして一番初めに開業した「肉とチーズのイタリアン バール ブリオ」の3店舗を持つ。
飲食業に携わったのは、建築学校へ通っている頃アルバイトしていたのが始まり。卒業後は、建築会社に勤務し、傍ら図面書きも勉強。ところが建築の仕事がどこか合わない、先輩からも同じようなことを言われ、学生時代にアルバイトしていた会社へ転職する。
25歳の頃「いつか自分の店を持ちたい」と思うようなると「自分が経営者だったら」と、それまでと視点が変わり、お店でのシミュレーションや仕組みの理解が深まっていった。
その会社では次々と飲食店を開業、9店舗の開業責任者を務め、色々なことを吸収できたと語る。
会社を辞め、1店舗目を開業するまでにアメリカへ渡り、日本を半周、自分の外の世界を観たいと1年ほど充電する。
多店舗展開する理由を「リスクヘッジ」そして「スタッフの待遇」と考え、飲食店の寿命は短い、潰れないことが大事「本物=時間軸」で、30年続く会社は少数と言われている中、お客様の好みは10人10色、どんなものでも、その中に入れば本物だと思っており「続く」がコンセプトだと語る。
1店舗目から2店舗目を出すとき、互いの店がお客様を誘導し合えることも考えたが、同時にライバルになることも想定し、コアなコンセプトを互いに持ち合った。
お店はコンセプトに尽きるという。まず“何”を売るかを決め、内装を考え細部にこだわっていく、そうすることで重要なトータルバランスが出来上がるという。
スタッフの待遇の中には、“長い・きつい”やお休み、給料の面もそうだが、数字もスタッフ全員に開示しており、他にも常に刺激があること、目新しいもの、そしてそこに居ることで飽きないこと、とスタッフを大事に考えていることが伺える。熱い想いは、まだまだ先を見据え「続く」を続ける。
応援してくれる人たちがいて、自分が受け入れられたと思った
木全 直敏 氏
焼鳥平成25年7月
SEの仕事をして24年間、新たなビッグプロジェクトのため千葉県に単身転勤。1年ほどしたときに家族と一緒に過ごすことを考え、退職を決意する。
「経営者」という夢があり、その中に飲食店があったという。皿洗いからアルバイトに入り下ごしらえをさせてもらえるようになるが、未経験である自分の作業が遅いことは明白。そして行きついたのが「焼鳥」。下ごしらえしておけば、お客様を前にする仕事は焼くこと。それであれば遅くてもカバーできる、と札幌市内の焼鳥屋さんを食べ歩き、自分が納得したお店の門を叩く。
そこでの修行は、仕込をただ見ているだけ、そして家に帰って真似て焼いてみるということを繰り返し、そのうちにホールの仕事と皿洗い、そしてお客様が残した串を焼かせてもらえるようになった。
平成25年7月、いよいよ「焼鳥酒房 直どり」を開業。7か月ほど赤字が続き、困った挙句に休業日をなくした。それから半年後、やっと黒字化になり週に1度は休みを、次は朝5時まで営業したというが、2か月で止めたようだ。焼鳥という特性上、夜遅くに来られるお客様の単価は低いことに気づき、今は16時から23時までの営業。早くにお店を開けると0次会で来店される方が意外と飲んで食べてくれることが分かったという。
オープンしてから、開業したいという人を6人ほど受け入れ、そのうち2人がお店をオープンさせた。自分が受け入れてもらったことへの感謝、そして自分の足跡、結果を残したかったから、と語る。
同業者はライバルだと思っていたが、こちらが礼を尽くし挨拶をすると後輩のように接してくれ、仕入れ先を教えて頂くことや自店でのイベントの開催提案や他のイベントのお誘いなども頂くようだ。
退職してからお店を開業するまで、そして今も書き続けているブログを見て来店してくれるお客様や飲食店関係のひとまで来店して自分を応援してくれている。仲間やお客様が増え、少しずつ自信がついてきた。
多店舗経営やプロデュースなどが出来る「経営者」を目指すが、今は「維持」が大事だと語る。