静岡在来の”そば”で地域に貢献!
千葉 政直 氏
そば2014年5月
創業のきっかけは、趣味で蕎麦打ちをしていて、サラリーマン時代から蕎麦教室を自ら開催していたほどの腕前。その後脱サラして、全国の蕎麦粉を蕎麦打ち愛好会や蕎麦打ち団体(約500団体)に向けた販売を計画していたのだそうだ。しかし初期費用が膨大になることが判明し、導入コストの少ない蕎麦屋を開業して、蕎麦粉販売の事業計画の見直しを図ることにしたのだそうだ。
日本一美味しい静岡在来蕎麦の提供や、静岡県産の食材を使ったメニュー作りと、蕎麦農家への蕎麦教室による、蕎麦屋開業支援及び産地食材を使用したメニュー開発の支援・指導を実施することをコンセプトにスタートしたのだという。
静岡在来や国内産蕎麦粉での手打ち蕎麦を提供しているとの事。天ぷらやおでんなど、蕎麦以外のメニューに使う食材も静岡産を中心に取り扱い、静岡の美味しさを県外の方々へアピール。天ぷらは揚げたてを味わってもらうため、揚げながらお客様にカウンター越しで提供。おでんは季節の野菜をベースに個別の素材にあわせた味付けをして提供しているのだそうだ。
開業時は、蕎麦以外の料理の修行をほとんど行っていなくて、バリエイションが少なく、魅力あるメニュー提供ができなかった。その後は、知り合いのお店を訪問し、自分でも提供できるメニューのレシピを教えてもらい、徐々に充実させていったのだという。
看板メニューは、前菜5種類 ・天ぷら盛り合せ ・蕎麦(もり or かけ)の「しずおかセット」2,000円。
これまで継続してこられた秘訣は、来店いただいているお客様とできるだけ会話をして、リピート客に繋げている事や、蕎麦打ち教室を行い新規顧客開拓を行っている事だと、ご主人は語る。
経営者として、一番大事にしているのは、在来の蕎麦をきっかけとした食の安全を確保することだという。
これから始められる方へは、お店を経営する事で、どんな社会貢献をするかを明確にするのが大切だと、エールをいただいた。
無理をして、頑張らない
白川 文 氏
バール平成24年7月
イタリアに1年、スペインに1年、毎日を楽しく過ごしながら、色々なところに食べ歩きもした。料理はイタリアで住んでいた大家の奥様に、そしてスペインでは友人のお母様などに習ったという。 日本に帰って仕事をしながらも時折イタリアやスペインには遊びに行っていた。お店を開業する約1年前、自分は会社勤めに向かない、と退社。飲食店で修業したわけでもなく、プロでもない、自分に出来るのは、イタリアやスペインで教わった料理を出せる飲み屋さんだと「バール」に決めた。
一番大変だったのは物件探し。すすきの付近だと物件はあるがビルの中に入ることを敬遠し、現在の場所付近で探したため、物件自体がほぼ無かったそうだ。その頃、丁度、狸小路7丁目ブーム。現在のTanuki Squareの建築が決まり、物件探しを依頼していた不動産屋さんから、まだ図面しか無い頃に声が掛かり、3番目に場所を選ぶことが出来た。2階にありながらも狸小路に面し、1席だが外にも席を置ける、外から見える場所を選ぶことが出来てラッキーだったという。狸小路7丁目ブームにも乗り好立地も重なり、お客様が来店、今ではリピーターに繋がっている。
自分が好きなもの、美味しいと思うものをお客様へお出ししている。さらに、お客様が飲みたいものに合わせて即興で料理を作ることや「○○食べたい」と来店するお客様にも柔軟に対応している。ワインなども自分でセレクト。酒屋さんへ、その時に欲しい味わいを伝え、ピックアップしてもらったものを仕入れ試飲、自分が気に入ったものをお出ししている。
お客様とベタっとしない、我慢しない、ユルユルっとお店を営業している、と言うが「決まり通りにお店を開ける、臨時休業や時間をずらして、ということはしない。そこはキッチリと守る」、お客様には正直に応対することが信条だと語る。
お客様の” 美味しい”の一言を励みに!
玉井 信吉 氏
中華1987年
早くから飲食店で働くことを決め、10代後半で、九州から大阪に出、中華料理の人気店で10年ほど修業。その後、名古屋で開業したのだそうだ。
開業当初は、昼より夜がメイン。夕方から夜2時まで営業し、当時は非常に交通量の多い通り沿いだったので、開店からそれほど集客に困ることはなく、比較的順調なスタートが切れたとの事。その後近くに、環状線が開通した事や、道交法の改正などで、夜のお客さんが減ったが、常連さんに支えられて、おかげさまでピンチらしいピンチはなかった。
客層的には、世代交代もあって今は平均40~50代。わざわざ遠くから来てくださる方も少なくないという。
人気メニューは、鶏ガラスープのあっさりチャンポン。若い方から年配の方まで受けがいいとの事。
長年継けてこられた秘訣は、お客様とのコミュニケ-ション力ではないかと、ご主人は語る。カウンターのみの店なので、お客さんの反応がダイレクトに伝わる。常連さんには味の好みに合わせて、細かく調整しているのだという。
お客様に美味しいと言わることが励み。そこに全力を傾ける。おかげさまで口コミでひろがって、お客さんも増え続けているのだそうだ。
後継者がいれば、この味を引き継いでもらいたいとのお考えだ。
これから始められる方へ、
料理人を目指すならタバコは吸うな!いつも自分の舌で、きちんと美味しさを確認できるよう、体調管理も大切。とのエールをいただいた。
四季折々の旬の食材をいかしたイタリアンをめしあがれ!
安田 在奉 氏
レストラン1985年11月
若い頃から料理の道にすすんだ。高校卒業後は地元倉敷のお店で働き、その後東京へ。さらにイタリアで1年修業の後36歳で独立。
お店は、イタリアンレストラン。出店地はその地域の人に受け入れられそうなところを選んだとの事。
全く広告をしないでオープンしたため、当初の集客に苦労したという。なかでも9か月目が一番底だった。この状態があと3ヶ月続いたらやめようと思った。おかげでその後は徐々に常連客が増え、何とか継続してこれたのだそうだ。
食材は四季折々の旬のものを使う事にこだわってきたが、第一はお客様の予算やニーズにあわせる事を考えたという。
これまで続けてきた秘訣は、自己満足ではなく、お客様だけでもなく、お店も、お客様にも満足できる” バランス”を意識したからではないか、とシェフは語る。
あと、ワンコインだからとか、1,000円だから安いとかではない。価格に見合った価値の料理が提供できているかを常に意識したのだそうだ。
座右の銘【売り手よし、買い手よし、世間よし】近江商人の三方よしの精神。
これから始められる方へは、
お金がなくても独立できる。まずは独立しようという志と計画性があれば夢は必ず実現できるとの事。また、最初は自分の身の丈にあった規模で開業し、徐々に脱皮していくような経営をおススメする。との応援メッセージをいただいた。
” いつ来ても変わらない味”でおもてなし
中森 滋巳 氏
ラーメン2002年10月
実家は喫茶店を経営されていたそうで、自分は違うことしたいと思い、他の業界へ、。しかし、体を壊したこともあり退職。その後結婚し、夫婦で居酒屋を始めたのが、飲食店を始めたきっかけだったそうだ。
居酒屋の経営は順調だったが、同時に、ラーメンにもどんどん興味を持ち始めたのだという。自分がラーメン好きというのもあるが、様々なメニューを用意して、色々な好みのお客様にきていただく居酒屋より、好みがはっきり分かれ、好きな人だけが通ってくれる、ラーメン専門店の方が自分に向いている、と感じたのだそうだ。
ラーメン屋をやろうと思い立ってから約5年、夜は居酒屋をやって、昼はラーメン屋に修行に行っていたとの事。居酒屋が結構繁盛していて忙しかったので、一時はあきらめかけたが、一度きりの人生で、悔いを残したくないので何とか開業にこぎつけたのだという。
当時(2000年頃)の豚骨ラーメンは細麺が主流だったが、自分は太麺で勝負したかったそうだ。特に、東海地区には太麺の豚骨ラーメンがなかったので、自分がやりたかったと、ご主人は語る。
最初は朝早く夜遅くまで営業。寝るのは3時間ぐらいだったそうだ。精神的にも肉体的にもきつかったが、お客様の食べた瞬間の表情というか、自分が作ったラーメンに”はまった”顔を見る事が、自分の原動力になっていたと、当時を振り返る。
開業から数年後、地元の雑誌のラーメン特集で、東海三県の殿堂入り8軒に選ばれ、一気に知名度がアップ。今までやってきたことが報われた、と実感されたのだそうだ。
自分がおいしいと思うものを作って、それをおいしいと思う人が食べてくれることが、お店の原点。自分が納得できないモノは出さないし、無理にお客さんの好みに合わせることもしない。気に入った人が食べに来てくれればいい、という気持ちでやっているとの事。自己責任でやっている。
人気メニューは、とんこつしょうゆラーメン。最近はさらに麺にパンチのある極太麺も人気だそうだ。
これまで続けてこれたのは、「いつ来ても変わらない味」という考えで、どんな時でも、この味を守りつづけてきたことだと思う、とご主人は語る。ただ、常連のお客様の年齢にあわせて少しメニューも増やし始めたそうだ。
今後は、任せられる人が育ったら、新たな出店も考えたいとの事。
これから始める方には、
目先の欲より、自分の信念を貫き通してほしい。はやりに左右されないでほしい。とエールをいただいた。