ハワイ好きな仲間が集うカフェ
山田 恭裕 氏
ハワイアンカフェ2012年2月
実家が喫茶店を経営していたので、子供の頃から将来は飲食店をやると、なんとなく思っていたそうだ。小学5年生のとき、連れて行ってもらった、とある老舗キッチンに感動し、将来はそこで働きたいと思ったのだという。その思いはずっと続き、高校~調理師学校を経て、そのお店に就職。約10年間、調理・ホール・店長など様々な立場の仕事を経験してきたのである。
その後、これからどうするか悩んでいた時に、移動販売の存在を知った。自分が今まで経験してきたいわゆる飲食店と違って、こちらからお客様が集まりそうなところに出かけていくというのは、非常に興味深く、また、人とのつながりももっと広がっていくんじゃないかと考え、取り組むことにしたのだそうだ。
そして、移動販売の仕込み場所の必要性を感じていた時に、ちょうど手ごろな物件が見つかり、それなら店舗もやろうということで、移動販売スタートから約半年後に、今のお店をオープン。
平日はお店、イベントがある週末は移動販売。というスタイルで営業している。
最近はお弁当の販売なども手掛けているとの事。
お店はハワイ料理のお店だが、昔からハワイが大好きだったわけではなく、ある時からウクレレを習い始めたのがきっかけで、ハワイ好きな知りあいがたくさんできたのだそうだ。それならばハワイ料理にしよう、さらに、自分がキッチンで培ってきた洋食と融合して個性を出して行こう、と思ったのだそうだ。
お店は、ご近所さんや、フラダンス(隣にスクールがある)のお客さんなど、常連さんがメインの店。
売上げは、移動販売と店舗がほぼ半々といった状態。※店舗には弁当の販売も含む
人気メニューは、ロコモコ。アボカドバーガー。ガーリックシュリンプだそうだ。
これまで続けてこられたのは、苦しい時もあったが、ブレずにハワイ料理一本で続けてきた事や、ウクレレ・フラなど、ハワイ好きな人たちとのつながりを大切にしてきた事ではないか。と、オーナーは語る。
今後は、人を育てて、土日など移動販売がある日も店舗も稼働させたいとの事。
これから始められる方へ、
誰かに止められて、迷ったり、すぐに諦めるようなら、やらない方がいい。移動販売も店舗も”好き”じゃないと続かないと思うので、本当に好きならぜひチャレンジしてほしい、とエールを贈る。
寿司一筋!伝統の技法をふまえ、日々の進化を追求しています。
相越 秀男 氏
寿司2000年12月
小さい時に初めて連れて行ってもらったお寿司屋さんに感動!小学校の卒業文集に「お寿司屋さんになる」と書いたそうだ。高校を卒業後、東京の寿司屋で5年修業。その後、奥様の出身である名古屋に来て、さらに5年修業し開業したのだという。
コンセプトは「ザ・寿司屋」寿司しかできないので、寿司一本で勝負している。と、謙遜気味にご主人は語る。お客様は年齢も地域も幅広く、知る人ぞ知る隠れ家店だ。
若い頃から食べ歩きが好きで、貯金が全然できず、開業の時は苦労したとの事。
開業してからも半年ぐらいは厳しかったそうだ。良くなったのは、グルメサイトで紹介されたのがきっかけ。それから雑誌の取材も増えて、お客さんも徐々に増えたという。
看板メニューは、もちろん寿司。寿司のみでお客様に満足していただきたいというのが、お店のスタイル。
これまで継続してこられたのは、女将さん・スタッフとしっかりコミュニケーションをとってきた事。決して一方通行にならないよう気を付けてきたのだという。
また、どうしたら儲かるかではなく、どうしたらお客様に美味しく食べていただけるか、喜んでもらえるか。を常に追求してきた結果なのかもしれない、とご主人。
ウチの寿司を食べて元気になっていただく事が社会貢献になればと思ってやっているのだそうだ。
以前、修業先の大将から言われた『寿司のネタは年々悪くなっていくので、同じことをやっていたら、どんどん味が落ちる。常に技を磨いて、進化させていかないと、お客様を満足させられない。』と言われたことを守って日々、悩み・もがいているそうだ。
寿司というのは、創作料理ではないので、伝統の技法を踏襲しながら、進化し、磨いていくのは、かなり難しいが、日々挑戦して努力していくしかないとの事。
自分のつくった寿司が、今日も食べてみたい、と自分が思えるかどうか。食べたいと思えなくなったら、やめようと心に決めているのだそうだ。
今後の展開については、今は広げるより、深めるのが大事な時期とのお考えだ。
これから始められる方へ、
“チャンスはリスクの顔をしてやってくる”事が多いが、恐れずに挑戦してほしいし、“冬は必ず春になる”ので、あきらめずに頑張って欲しい。と、エールを贈る。
北イタリアの家庭料理でおもてなし
森 聖則 氏
イタリアン2012年2月
大学生3年の時に初めて飲食店のアルバイトを経験。とても楽しく、飲食店が好きになったのだそうだ。卒業後、酒屋で1年働いて、学生時代のアルバイト先の飲食店に就職。しかし、当然だが、アルバイトと社員では、求められるところも違うため、入社前に自分が描いていたイメージとの違いに悩んだ事もあったという。
その後、イタリアンのお店をやりたいという気持ちが強くなり、思い切って会社を辞め、調理師学校や、語学学校へ通ったとの事。語学学校で知り合いができ、その方のつてで、イタリアに渡り、3年ほど本場で修行をしたのだという。
帰国後、イタリアンレストランや洋食店で働いて、経験を積みながら、お金を貯め、
自宅から自転車で10分程度の場所に開店。
自分が暮らし、修業した北イタリアの家庭の味を再現。毎日食べても飽きない味を日々提供しているのだそうだ。
看板メニューは、ラビオリ(肉などを詰め物にした、北イタリアの代表的なパスタ)
最初、お店づくりを、ほとんど住宅しか建てたことがない会社に頼んでしまい、お店としての居心地感や使い勝手が悪く、結局別の会社に改装してもらうはめになってしまったという。時間もお金も余分にかかって大変だったとの事。
これまで継続してこられたのは、
お客様が多くても少なくても、毎日、常に全力でおもてなしすることを心掛けてきた。
からかな、とシェフ。お客様に助けられ、育ててもらった。という意識はすごくあるそうだ。常にお客さんの声に耳を傾け、同じ目線で、感じる・考える。という気持ちが大事なのだという。
座右の銘は、まじめにコツコツ。それと、常に笑顔で仕事する。平凡かもしれないが、常にそのことを心がけているそうだ。
当面は、今の店をもっともっと強くしていきたい。自分が納得できるものをやりつづけて、より魅力あるお店にしたいのだという。できればもう少し、お店のキャパを大きくしたいという気持ちはあるとの事。
これから始められる方へ、
まず立地が大事。一般的な好立地というより、自分の強みを活かせ、狙っているターゲットが集まりやすい場所かどうかをチェックしてほしい。とエールを贈る。
人の思い出に残る空間づくりを心掛けています。
鈴木 亮 氏
ダイニングバー2015年10月
大学時代に飲食のバイトをしていたが、その時はあまりに興味を持てなかったのだそうだ。その後、いわゆる就活を始めたが、特にやりたいことや行きたい企業などがなく、就活を途中でやめてしまったとの事。
そんな折、祖母がなくなった。それがきっかけで『仕事をするなら、自分が死んだときに何か形が残せるものがいい。』と考え、それなら人が集まる空間を提供する”場”になれる、飲食店をやりたい、と思ったのだそうだ。自分自身、学生時代に長くアルバイトしていた経験があった事も大きかったという。
また、子供の頃、家族で外食をした時の楽しい記憶を結構はっきり覚えていたので、人の思い出に残る空間で働きたいとも思ったのだそうだ。
その後、就活を再開し、無事外食企業に入社。8年ほど勤め、様々な業態を経験。
しかし、大きな会社の中で働いていたため、調理技術が十分身についていなくて、その後中華の専門店の厨房で7年ほど働き、料理の腕を磨いた。
それから半年ほどで、今のお店を開業。借入はせず、安い居抜き物件を探していた。内装の一部は自分でもやったのだという。
スタイルは中華料理を出すダイニングバー。しかし。くつろげるバーとして楽しんでほしいので、店名や広告などにも中華色を出さずにスタート。
開業時に一番大変だったのは、物件を探している半年間だったそうだ。金銭的にも厳しかったし、なかなか先が見えてこない不安で、気持ちがぶれることもあったという。
オープン後2か月ほどは、ご近所への告知をほとんどしていない。最初は友人、知人に来てもらい、それが落ち着いてきたぐらいに、ご近所さんにお知らせをしたのだそうだ。小さな店なので、自分の友人とご近所さんが同席してしまうと、お近所さんはあまり居心地が良くない(第一印象が良くない)のでは、と考えそんなやり方をしたとの事。しかし、これは集客に時間がかかり、最初の半年は大変だった、とオーナーは語る。
7~8割が常連さんなので、日替わりメニューが人気。定番メニューで人気なのは「濃厚クリーム担々麺」と「麻婆豆腐」。
また、新メニューを考える時は、常に特定の常連さんの顔を具体的に浮かべながら考えると、外れがないし、受けがいいという。
これまで続けてこられたというより、続くようにしてきたと思っている。ニーズがなければつくってきた。来店したくなる動機をつくることが重要だと思っている。
座右の銘は「実るほど頭を垂れる稲穂かな」謙虚な気持ち、感謝の気持ちが大切とのお考えだ。
今後について、
1年目はとにかくがむしゃらに突っ走ってきた。2年目は前年との比較ができるようになったので、やっと自分のお店になったという感覚がある。
3年目はいかに外とのつながりをふやすか(新規のお客様に発信していくか)が勝負。また、3年目にはスタッフを入れて育てていきたいとも考えているそうだ。
これから始められる方へ、
立地はいいに越したことはないし、内装もお金をかければいいものができるかもしれないが、あまり背伸びしないで、オープンしてからつくりあげていく方がいい。
もちろん、軸はないといけないが、あとは変化を楽しむくらいの気持ちで臨んでほしい。とエールを贈る。
人と人とのつながりを大切にして半世紀、地元で一番愛されるお店に!
福森 雅人 氏
お好み焼き 和食1970年
祖父の代から飲食業をやっていたが、以前、テナントで入っていた場所の老朽化に伴い、2000年11月に、現在の場所に移転。鉄板居酒屋としてオープンしたのだという。
父親が和食の料理人なので、お好み焼きもお刺身も出せる、大箱のお店で、当時は特に地方では人気があり、順調なスタートだったそうだ。
2002年の道交法改正から、個人客が急激に減ってきたが、マイクロバスの送迎も完備していたので、徐々にもどってきた。影響は一時的だったとの事。
三重県伊賀市という場所柄、土日は観光客の方が多く来店され、伊賀牛ステーキなどが結構売れるのだそうだ。
これまで継続してこれた理由は、
常連のお客様に支えられてきたからこそ。例えば道交法の改正など、色々な要因
があって一時的にお客さまが減ったが、そうなっても、特になじみのお客様は変わらず来てくださったという。
お店としても、なじみのお客様のお子さんやお孫さんの話を覚えていて、声掛けしたりさりげなくサービスしたり、という事を徹底。地域の方とのおつきあいを大切にしてきたのだそうだ。お付き合いがきちんとできていれば、お客様が世代交代してもつながっていくもの。
座右の銘は、人と人とのつながりを大切に。
お客様ももちろんだが、スタッフにも気持ちよく働いてもらう事を意識している。
親御さんからも感謝されることもある。また、地域との交流を深めるため、中学の職業体験の場所としても提供しているのだそうだ。
今後の展開、
伊賀ブランドのメンチカツを申請中。イベントや、テイクアウトに展開できる。また息子がワインの勉強中なので、戻ってきたらワインバルのようなお店もできたらいい、と女将は語る。
これから始められる方へ、
最初は自分と家族で始めるなど、小さなお店からスタートした方がいい。
色んな人に教えてもらってすこしずつ取り入れて行き、広げていくのがいいとの事。
また、健康第一なので、若くても健康診断は定期的に受けましょう!とエールを贈る。