食を通じて人を磨き、お客様の感動を実現する!
長縄 賢司 氏
鉄板ダイニング2000年7月
実家が飲食店だったこともあり、飲食店は子供のころから身近な存在だったという。その後、高校卒業後、ホテルのフロント係や、ドリンクの自動販売機の補充の仕事などを経験したそうだ。この業界に入るきっかけになったのは、就職してしばらくたった20代前半の頃、たまたま入ったお店で、お客様もスタッフも一緒になって凄く楽しそうに盛り上がっているのを体験し、こういう仕事がしたいと思い、ある焼き鳥チェーンのFCに加盟して飲食店を始めたのだという。
当時、勢いのあったチェーンという事もあり、最初は順調だったが、2002年の道交法改正で、売り上げが大幅ダウン。ロードサイド店だったので、お酒を飲ませる店は非常に厳しいと判断。悩んだ末にFCを脱退し、食をメインにした、鉄板焼き業態に転換し、独自の業態で新たなスタートをしたのだそうだ。
看板メニューは「お好み焼き」「鉄板で焼くだしまき玉子」。
狙いは当たり、ファミリーを中心にお客様にきていただけたのだという。しかし、計画では翌年に2軒目を出店する予定だったが、なかなか、任せられる人が育たず、2号店出店までに5年かかったそうだ。1号店の業績は安定していて、経営的には順調だったが、この間の5年間は精神的に辛かったとの事。
その後は順調に人も育ってきて、駅前に飲み屋業態なども出店。
これまで継続してこられたのは、人に尽きるとのお考え。支えてくれたスタッフがいたから続けてこられた。本当に感謝している。この”人の力”がウチの強みだと思う。と、社長は語る。
経営理念は「食を通じて人を磨き、お客様の感動を実現する!」
スタッフには目標意識と目的意識を伝えているという。目標は売上、利益といったいわゆる”お金”だが、これだけを追いかけるといい結果にならない。目的とは(当社の場合)お客様に満足以上の感動を与える事。これがまず大事。そこに意識が集中していれば、おのずと目標も達成できるのだという。
今後は、現在展開している3業態を中規模程度の駅に近いところに3店舗セットで出していきたい。ターゲットが競合しないし、近ければスタッフの融通もできる(今後の人手不足に対応)。またお客さんも紹介しあえるとの事。
今後出店が拡大していけば、なかなか自分の目が届かなくなる。近いところに3店舗あれば3人の店長が顔を合わせて、コミュニケーションをとっていけるし、力を合わせられるのだという。
そしてこのパッケージがうまくいったら、海外(アジア)にそのパッケージを出したい。
とのお考えだ。
社長のモットーは「守り攻める」という考え方。隙を見せず、守りも固めながら攻める事が大事なのだという。
これから始められる方へ、
一つでも迷いがあったらやめた方がいい。不安は誰しもある。不安はあってもいいが、迷ってしまったらいい結果は出ない。例えば出店でも、迷いがあると本当に次々と問題が出てくる。迷わない物件だと気づけばオープン、というぐらいスムーズに事が運ぶ。どんな局面においても” 迷ったらやめる”を貫いてほしい、とエールを贈る。
今は、継続することが大事
片岡 正己 氏
串焼き平成27年3月
学校を卒業し自衛隊へ。当時、食事は隊員が作っており、厨房に立つうちに興味が湧いた。調理師免許を取得するため希望して食事を作る担当回数を増やしてもらい、免許を取得。6年の自衛隊生活にピリオドを打ち、いよいよ調理人としての人生が始まる。
最初に飛び込んだのは、寿司屋。色々な経験を積みたいと居酒屋へ、そしてビール園も経験した。そこでは札幌の夏の風物詩でもある大通公園ビアガーデンに行く機会もあり、会場の設営やメニュー開発、レシピ作りなども経験。その頃には既に自分の店を持ちたいと考え始めていたという。
自分の思うように出来る、自由になる、という思いで、今考えると「責任」ということは意識していなかったと語る。
そして、やき鳥・おでん 根・北24条店で4年半、店長として発注からお酒の勉強など営業に関わる全て行った。ここで初めて、自分の店を持つイメージが現実的に出来たと話す。
そのイメージが出来たこと、そして店長だったこと。そのため売上はもちろん、原価率や人件費、家賃などを見ることが出来て勉強になったという。
10年あれば資金も含めて準備が出来ると計画してから約10年、本当に自分のお店を持つことが出来た。お店を辞めて資金繰りをしようと動き始めた時、知らない間に奥様が少しずつお金を貯めてくれていたことを知る。それでも若干の融資を受けるため事業計画書を作成。大変だったが、自分で作ったおかげで開店してから物事がスムーズに運んだという。
串焼にしたのは、根の時代、名前に冠している焼鳥の売上が思わしくなく、勉強をして対策を行った、すると嬉しいことに売上が伸びた、という成功体験から。オープンした「串焼き か楽」では農家を営んでいる実家からの野菜を使ったメニューも多く、江別をPRしていきたいと語る。
お客様の健康を第一に考えています!
内田 幸一 氏
定食1996年4月
もともと何かで起業したいという思いはあったが、まずは会社(食品スーパー)に就職し、約20年勤務。各生鮮部門の店長やチーフバイヤーなど、様々な立場で食に関わってきたのだそうだ。食材の発掘で、北海道から沖縄まで全国各地に出向いたのはいい経験になったという。
収入は良かったが、40歳の時にこれからの人生を考え、今までの経験を生かせないかと、自分でお店をやることを決断。
食材に詳しくなり、若い時に調理師免許もとっていたので、飲食店をやろうと考えたそうだ。
店舗は、なるべくランニングコストがかからない物件を探したが、なかなか希望の物件が見つからず苦労したとの事。悩んだ末に、今の場所(住宅や商店が混在している。駅から遠い)に出店。周りからは、なんでこんな所でと結構言われたそうだ。
地域の人に知られていき、少しづつお客さんも増え、借入金の返済が終わったころ、リーマンショックがおこり、日常的な定食屋にもその影響は少なからずあったという。スタッフを雇わず、家族だけでやる体制にして、なんとか切り抜けたのだそうだ。
今時(特に若者)の食生活が偏っているので、健康によく、毎日来てもらってもあきなくて、さらに美味しく食べてもらえる定食屋を目指した。
メニューの中で、おススメで、また人気なのは「魚定食」。しかし、お客さんの要望を長年聞いているうちにメニューが増え、今ではラーメンや日本蕎麦もある。それだけを、ずっと食べに来てくれる常連さんがいるので、やめるわけにもいかない。
家族で来られて、あれこれ頼んでいただくと厨房は大変な事に。しかし、お客様が楽しそうにメニュー選びをしてくれているのは嬉しい事だという。
これまで継続してこられたのは、売上げと経費のバランスを常にチェックしてきたから。サラリーマン時代に数字にシビアな社長に鍛えられたおかげ、とご主人は語る。
モットーは「お客様の健康第一。」魚をメインに季節の食材を使った手づくりメニューでお客様を健康に!
これから始められる方へ、
とにかく、お客様を飽きさせない事が大事。それにはお客様に知恵をもらう事が大切なので、常にその姿勢を忘れずにいて欲しい。とエールを贈る。
お客様に感謝、地域に感謝。
一瀬 弘考 氏
和食2009年1月
子供のころ、テレビで料理人が対決する番組を見て、凄いと思ったのが、飲食に興味を持ったきっかけ。その後大学時代に居酒屋でアルバイトを経験。料理する面白さを知った。
就職の際も、人に寄り添う仕事に就きたいと思い、身近に感じていた飲食業の道を選択し、東京の飲食店に就職。働くうちに自分のお店を持ちたいと思うようになったという。そんな頃、お店の先輩に愛知県出身の人がいて、その人が、地元で独立開業するので、一緒にやらないかという誘いを受けた。自分も、独立に向けたいいきっかけと考え、お店を辞め、その後数年間先輩のお店で働いた後に独立したのだそうだ。
お店のコンセプトは「居酒屋以上、割烹未満。」
いい食材を使った手間暇をかけた料理も出すが、気軽なメニューも出す。
入口の間口が狭く、半地下という立地なので、非常に見つけてもらいにくく、開業時は集客に苦労。友人知人から紹介で広げていったり、地域の方に地道に知らせていって、なんとかお客さんが定着してきたのだという。
人気メニューは「だしまき玉子」「鶏つくね」、たいていのお客様が注文してくれるそうだ。また、日替わりメニューは豊富にして、いつも来ていただく常連さんに楽しんでもらえるようにしているとの事。
これまで継続してこられたのは、いいお客様に恵まれた事。土地柄なのか、意見や感想を率直に言ってくださる方が多いと感じた。当初は、調理や接客で足りないところもいろいろあったと思うので、お客様がお店を育ててくれたと思っている。と、ご主人は語る。
そんなお客様(常連さん)に感謝を込めて、同じメニューを出すにしても、お客様一人一人の好みやその日の調子に合わせて、少しづつ味付けなどを変えているのだそうだ。
また、スタッフにも恵まれたとの事。一人一人わりと長く働いてくれたし、辞めた後もお客として顔を出してる人も多いという。
これから始められる方へ、
とにかく、立地が大事なので、じっくり時間をかけ、慎重に決めて欲しい。と、アドバイスをいただく。
失敗しても全て自分の責任
升田 幸信 氏
小料理平成11年3月
旅館を営んでいた家に生まれ育ち、自然と調理の道へ。調理師専門学校を卒業後、日本料理店で約3年、違う仕事を覚えたいこともあったが和食の世界で直接入ることの出来ない有名な親方がいる全日空ホテルの「車屋」に。調理師専門学校の先生が紹介してくれてのことだったという。
30歳を超えた頃には自分の店を持つ、と決めた。自分にはお客様はいない、だから分かりやすく人通りがあるところ、そして自分一人で出来る小さなカウンターの店というのが探す条件。見つかったのは1年以上経ってからだった。一人にこだわったのは「「はい、すみません」しか言えなかったが自分の腕を試したい、そして、まずは一人で気兼ねなくやってみたかったから。
店造りでこだわったのは入口だ。「味処 升田」という名前を付けることで自分を知っている人には分かりやすくしたが、知らない人からすると名前のついた店は入りづらい、そこでドアに外から少し見えるガラスをはめ込み、ちらっと中が見えるようにした。
オープンするのに一番大変だったのは、葉書の宛名書き。6軒の店で修業した際のお客様の顔と名前が一致している人だけに送ったが、それでも約300枚。オープン10日間でほとんどのお客様が来てくれて、今も常連客になっている。今では季節の節目に約600枚出しているそうだ。
一番大切なお品書き。一人だからメニュー構成が大変だ。料理を造る、出す、お酒を出す、食器を洗う、そしてテーブルを片づける、など、やることは一杯だ。当初は直ぐに出せる料理を中心にしていた。
開店時間は18時から朝の3時まで、帰るのは朝の6時や7時だったそうだ。早い時間は常連のお客様、そして12時を過ぎると同業の方たちの来店。早い時間のお客様が少ないときでも同業の方の来店があって助かったという。その後、体力的に辛いこともあり、閉店時間を2時に、そして1時に、オープンしてから10年を過ぎるころには現在の12時閉店に早めた。
ほとんど常連のお客様に支えられ、ここまできた。これからもお客様を大事に、そして昔は苦手だった会話を楽しみながら続けていく。