「人生にスパイスを!」
井手 剛 氏
スープカレー1999年開業
元々、ホテルサービスマンだった。新たに務めた洋食屋の2号店目として、スープカレー店の出店計画があり、準備を進めるも、急遽出店取りやめとなり、「やりたいなら、自分でやってみたら?」という話から、売り言葉に買い言葉的な勢いで出店を決意。1998年、29歳の時に琴似で、スープカレー「らっきょ」が誕生した。とにかく必死で働いた。2000年、横浜に2店舗目を出店するも、軌道に乗らず撤退。困難に直面し、おこなったのは、料理、接客サービス、お店の雰囲気、スタッフとの関係、お金の計算、掃除など“今あるもの全てを見詰め直し、一つ一つを丁寧にする”事だった。お客様との会話から、「明日また来てもらう為には、どうしたら良いのか?」ファンになって頂く為の事を丁寧に積み重ね、“一度しかない人生を、愛とカレーに賭けた!”。高校時代の校訓「よく考え、真面目に頑張る。」を胸に、“スープカレーを知ってもらう”活動をコツコツと続け、努力が実り、2001年頃からようやく軌道に乗り始めた。「スープカレーを家庭でも食べる、外食でも食べる。」普通の食文化として、食べてもらえるように、料理教室を開いたり、家庭で食べられるようなレシピを考えたり、演歌歌手のように、息長く伝え続けてきた。これから始める人には、その業界でTOPになる気概を持って、とんがったモノをいっぱい、いっぱい考えて創り上げて欲しいとエールを送る。今後は、一次生産者と手を携え、業界作りの為に一般社団法人スープカレー協会、カレーヤーズ等のコミュニティを運営し、海外も含め、もっともっと多くの人達にスープカレーの魅力を伝えて行く。
「人という財産」
溝口 敏 氏
ラーメン2007年開業
飲食店を始めるきっかけは、前職の経済団体で、多くの小規模経営者たちの相談を受けたり、専門学校での教員経験をした中で、人生最後の仕事に実際のマネジメントの経験をしたいと考え、発意したこと。ちょうど子育ても終わり、奥様がラーメン店をやってみたい!と以前から考えていた事、家業が自営業だった事も手伝って、2007年に、初期の手持ち資金は、300万円まで!と退路も決めて開業した。自慢は、「塩ラーメン」だ。今まで自分が食べて来たラーメンは、脂が多く、にんにくの香りが強過ぎて、次の日まで胃がもたれるモノばかり、もっと普通に美味しくて、食べ飽きない、鶏と野菜とカツオをベースとした純粋なスープを追及し、年配の方にも配慮した身体に優しい味を目指した。ちなみに、「逍遙」には、“思いにふけってぶらぶら歩く”という意味があるとの事、多くの方に、気軽に入って欲しいとの思いからだ。ご夫婦で、「人という財産」を今までずっと大切にしてきた。そんな人柄から、多くのファンの方に支えられて、らーめん共和国出店時、ラーメン王2回、旨さの達人3回受賞。今後もコツコツと次世代のファンにこの味を伝えていく。
「人生!人のやらない事を最初にやる!」
船木 雅彦 氏
イタリアンレストラン1991年開業
家業は、札幌で3代続く地元スーパーと、喫茶店を営んでいた。東京の料理修業から戻り、流行り始めたパスタを中心としたお店を、1991年に自分達の手で、喫茶店をリニューアルして、オープンさせた。当時は、皿盛りパスタの人気が出始めた頃で、競合店が何軒もひしめき合う激戦区だった。そこで、勝ち抜く為に、他店との差別化の目玉として、イタリア料理の「カルトッチョ」をヒントに、パスタを紙で包む「北海道紙包みパスタ」専門店とした。お客様が、自分で紙の包みを破ると、あっつ熱の湯気と共に、美味しい香りが立ち上る、北海道唯一のお店の誕生だった。宣伝広告費をかけず、ひたすら口コミを意識し、ご来店頂いたお客様に満足して頂く為の「おもてなし」を徹底し、「声」を拾い続け、その都度、修正進化させていった。オープン半年程を迎えた頃、ローカルTVの取材が入り、そこから人気に火が付いた。連日行列のできる大繁盛店となった。船木シェフ曰く「北海道民の気候風土に合ったんでしょう。」と語る。次に、もっと多くのお客様に喜んで頂く為に、数十m隣に、北海道初の窯焼きピザのお店「レ・マドリ」をオープンした。厳しい業界、逆境を勝ち抜く為のモットーは、「人生!人のやらない事を最初にやる!」だ。今後は、次世代を受け継ぐスタッフにお店を任せ、時代に合わせ、自分自身を変化させながら、全国のもっと多くの方に愛されるメニューを生み出し、伝え歩く。
「喜ばれる事に喜びを!」
石濱 克敏 氏
串かつ2001年8月29日 開業
2008年、それまで経営してきたIT企業を、「デジタルな世界から、アナログな世界でいきたい。」との想いで知人に譲渡し、出身地の関西から、遠く離れた札幌の地で、1店舗目となる「かすうどん風土」を立ち上げた。そこから、そば店「かすそば風土」、ホルモン店「ホルモン酒場風土」、餃子店「博多餃子舎603」、鉄板焼料理・串揚げ「Oyaji Dinning」を、異業種参入の利点を活かし、消費者目線での、商品開発、店舗開発を行い、4年で7店舗を展開。2014年に入り、「仲間が楽しく集まれる場所を作りたい」との発想から、ススキノからやや離れた場所に、8店舗目となる、1戸建ての「Bistecca肉Bal+36」を開店させた。根底にある考え方は、「美味しくて、サイフに優しいお店」を掲げ、その美味しさと、気軽さ、対面カウンターで培った、近い距離感での接客スタイルをスタッフ達、自らが具現化した結果が今の店舗展開に繋がっているのだそうだ。店長達の徹底した、キメの細かい、経費管理意識が、会社の経営を支えており、曰く「自分はキャシュフローを見ているだけです。」とあくまで運営は、スタッフの自主性に任せている。新規出店には、前向きに取り組み、「全てはスタッフのやる気のおかげ」との感謝の気持ちと、いずれは「頑張るスタッフ達に、お店を譲り、独立させてあげたい。」と、仲間と創る近い未来を語って頂きました。
「鮮度標準装備!他人のやらない事をやる!」
神山 幸久 氏
居酒屋2010年開業
ほとんどの人が、失敗する飲食業界なのだから、他人と同じ事をしていたら生き残れない!以前から温めていた”九州料理業態”と”地鶏”を主力商品としたお店「もつ串地鶏九州料理 芋の華」で独立した。開業前は、物件が本当に見つからなかった。半年間にわたり探し続け、良い場所を見つけても、大手競合店に負ける事の繰り返しが続いた。そんな折、大手でも手を出しにくいとされた物件に出会い、勝負をかける事を決意。綿密に、詳細な事業計画をしっかり立てて、やるべき事をやれば、必ず繁盛出来ると信じ、慢心する事なく、謙虚に努力し続けた結果、多くのお客様に受入れられた。さらに主力商品に使用する牛・豚の内臓肉をより新鮮な状態で仕入れ、「鮮度標準装備!」の実現を考え、札幌にはそれまで無かった新鮮な希少部位を扱うホルモン焼きに未来を感じ、リスクを伴なう”内臓肉一頭買い”を決断した。全てのパーツを無駄なく、より新鮮なうちに、より魅力的な商品として使い切る為に複数業態を展開する。新業態「金獅子のホルモン」と「芋の華」のダブルネーム店舗を出店し、ここでも幅広い年代層に受入れられた。今後は、「金獅子ブランド」を前面に、鮮度標準装備!一頭買いのお肉をコンセプトにした様々な新業態開発を行いながら、人のやらない店づくりをコンセプトにした、店舗展開を積極的に行う!